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【改稿版有】気まぐれ魔法店  作者: 春井涼(中口徹)
Ⅲ期 The Magical Life

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第七話 修学旅行のラヴトラ(Ⅱ)

 #3 Day-2

「細川、ちょっと助けてくれないか」

「知るか」

「見捨てないでくれ……」

「自業自得だ」

 ホテルで同室になった大山少年も、一泊目に腹痛を起こした一人だった。何のことはなく、単なる過食である。

 ホテルの部屋割りは基本的に四人一組となり、男女別であるため自由行動班は関係がない。そのため細川は木下と同室になる危険(リスク)を回避できたのだが、いつかの座敷童の件で半ば無理やり助けた大山が同室になった。様子を観察する必要もあったので都合はいい。それ自体は構わないのだが……、

「晩飯を食いすぎた……」

 これである。料理は細川も美味と思ったが、自制心を発揮した。沖縄料理の味はその自制心を破壊せんばかりのものだったが、とにかく細川は耐えたのだ。

 耐えられなかったのが大山他複数名である。他のクラスにいる立花からも大体似たような事情を聞いており、皆調子に乗って相当な量をかきこんだようだ。細川のスマートフォンに、「あほか」という三文字のメッセージの送信履歴があるのは、立花も調子に乗った手合いだからである。

 二日目の朝になってようやく少し楽になったようだが、朝も反省なく量を食べた者が若干名いたという。大山はさすがに反省したらしく、優雅に通常通りの量を食べた細川を、羨ましそうに見ていた。

 それからしばらくして、水族館に向かうバスに乗るため、集合、点呼を行う。四日間通してわざわざ変えるものでもないと、座席配置はそのままなのだが、細川と合流した天宮の様子がおかしい。

「一応訊くが、みなみ、大丈夫か?」

「どうしよう、食べすぎちゃったよ。お腹苦しい……」

「ここにもいたか……」

 他の数名と同じことをやらかしただけのようだ。

「少し歩いてきた方がいいんじゃないか。乗車時刻までまだ少しある。腹ごなしをした方がいい」

「いい、裕君と一緒にいる」

「胃に物が入りすぎていると、乗り物酔いをしやすくなると聞くが」

「……裕君と一緒に歩く」

「俺はキャリ-ケースか何かか。一人で行ってこい」

「戻ってこられなくなりそう」

「バスの位置くらい覚えておけ」

 乗車十五分前になってようやく細川の傍を離れた天宮だったが、彼女はそれから十分経っても戻ってこなかった。

 点呼は二人一組、つまり彼女がいなくなると、細川までバスに乗れなくなる。

「これだけ見通しのいい駐車場で、一体どうしたらバスを見失えるんだ?」

 天宮の方向音痴にむしろ感心しつつ、細川はスマートフォンを取り出し、天宮に電話をかける。前日のバスの中で、念のためにと連絡先を交換していたのだが、まさか細川の方から使うことになるとは。

 発信から十秒ほどで、電話がつながった。

「……誰?」

「あんたの方向感覚と時間間隔に、今世界一感心している男だよ」

「ごめんって」

「それで、今どこにいるんだ。屋外じゃないな。狭くて物があまりない空間?」

「何で分かるの? これビデオ通話じゃないよね?」

「ただの勘だ」

 正体は音の反響である。

「あと四分だ。さっさと戻らないと俺まで置いて行かれるぞ」

「人質取るなんて卑怯」

「何とでも言え。人質の今後があんたにかかってるんだからな」

「わ、分かった。頑張る」

 何かが擦れる音がして、通話は切れた。


 頼りない足取りで天宮が戻ってくる頃には、他の生徒たちはすでにバスに乗り始めていた。細川たちも急いで乗り込むが、天宮の顔色が良くない。外では風に髪が煽られてよく見えなかったが、前日よりわずかに肌が白っぽく見える。

 しばらくして、天宮は細川に顔を見られていることに気付いた。

「どうしたの、裕君?」

 声をかけられたのを皮切りに、細川の手が伸びる。そのまま彼女の顔を自分の方に向けるが、これは当然、突然彼が理性を失ったわけではない。

「ちょっと、本当に急にどうしたの!?」

「じっとしていろ」

 隅々まで顔を観察すること数秒、天宮が視線を彷徨わせ、顔に朱が差してきた頃、細川は天宮の顔色が悪かった理由に気付いた。

「目の下に隈があるな。みなみ、寝ていないのか?」

「その確認のために見てたの!?」

 細川の手から抜け出し、天宮が静かに叫ぶ。静かに叫ぶ、とはまた妙な表現だが、形容詞としてはこれが最適解だろう。器用なことをするものだ。

「過食に寝不足、乗り物酔いの要件が整いすぎているな。窓側の席、替わるか?」

「……替わる」

 目を合わせずに弱々しく答えたので、細川は席を立ち、天宮を窓側の席に座らせた。

 その後、バスの走行中に雨が降ったり止んだりを繰り返し、その度に彼女が一喜一憂するのを細川は隣で見ていたわけだが、そのためか、幸いにも彼女がバスで酔うことはなかった。そうして、バスは目的地──(ちゅ)ら沖縄水族館に到着した。


 美ら、というのは沖縄方言で、標準語で言えば、美しいに相当する。その美ら海を細川が見ることが叶わなかったのは今更言うまでもないことだが、ともすれば、彼の目的は一つだった。

 ──大水槽。数多の魚が悠然と泳ぐそれは、あまり知られていないが、ガラスが使用されていないという。このことを彼が知ったのは約三年前、中学理科の資料集の巻末に、日本の技術力について力説する記事が載っているのを見たからだった。

 曰く、ガラスに比べて透明度や耐久力において勝る、巨大なアクリル板が使われているらしい。継ぎ目も見せず、複数枚のアクリル板を並べて作られた水槽を、どうせなら見ておこう、と考えたのだ。

 結論から言えば、細川は一時間半以上を大水槽の前で過ごした。館内自由行動時間のうち、約八割に相当する。

 他に気になる展示もなかったためだが、悠然と泳ぐジンベエザメや、統一感のあるイワシの大群などを眺めているうち、いつの間にかそれだけの時間が経過していたのだ。

 ふと気付いた頃にはバスへ戻る時間が近付いており、他の水槽は流し見程度に、細川は館内を出ようとしたのだが。

「雨か」

 いつの間に降りだしたのか、本館の外では大粒の水滴が、しきりに地面を殴り続けている。

 コートの懐に手を入れながら、細川は思案した。雨具は持っているが、ここまで強い雨は想定外だった。果たしてこれ(・・)が通用するだろうか。とてもそこまで大人しい雨には見えないのだが。

 屋根の下で考えあぐねていると、彼の姿を見つけた天宮が駆け寄ってきた。

「裕君、どうしたの?」

「いやあんたがどうした。どうやったら屋内でそんなに水を被るんだ?」

 彼女の身体は、頭から爪先まで、ぐっしょりと海水に濡れていた。さながら海水で着衣泳でもしたかのようだが、まさか海水を被るイベントがあったわけではあるまい。というか、スマートフォンや時計などの電子機器類は無事なのだろうか。

 天宮は、苦笑しながら説明した。曰く、イルカショーの会場で最前列に座っていたところ、イルカが跳んだ際に大量の海水を浴びてしまったらしい。それが何度も繰り返され、イルカの数もそこそこにいたというわけで、最終的には濡れ鼠状態になってしまったのだという。

 スマートフォンはプラスチック製のポーチの中、腕時計は完全防水仕様だったため、幸いにも被害は免れたようだ。

「だから背中は濡れてないでしょう?」

 天宮はその場で一回転して見せた。これで服が海水を吸っていなければ、ワンピースの裾がふわりと舞っていたことだろう。

「もうこの際、雨に当たって海水を洗い流した方がいいんじゃないか?」

「雨と海水ってどっちが汚いの?」

「……よく考えたら、海が近いからあまり変わらない気もするな」

「君の魔法で水って出せないの?」

「原理の上から言えば造作もないが、それを浴びる気か?」

「雨よりはいいかなって」

「どこで?」

「…………」

「やっぱり雨の中を歩け」

 ため息交じりに言うと、細川は雨具を取り出し、バスに向かって歩き始めた。


 細川の雨具は、傘でもなくレインコートでもなく、小さな魔道具だった。安全ピンが二本平行に取り付けられた缶バッジのような形で、その原理から、細川には風傘(かざかさ)と呼ばれている。

 これは有効化すると、使用者の周囲にエアカーテンを作り、ある程度の雨や雪を受け流すようになっている。

 開発中の魔道具ではあるものの、魔法そのものは比較的簡単(細川基準)で、魔法力回路が暴走を起こしにくい。また服の肩に取り付ける構造に設計されているため、使用時でも両手が使えるという利点もある。

 問題は、雨が強風を伴ったり、大粒の雨や(ひょう)など、そもそもの降水自体の質量が大きい場合は、エアカーテンを貫通し、使用者が被弾することである。

 細川は以前、風を使って拳銃弾の弾道を逸らしたことがあったが、あれは弾道と発砲のタイミングをある程度予測したうえで、圧縮した空気を局所的に開放することで初めて可能になったことである。風傘のようなエアカーテンに転用するには、そもそもの出力が違いすぎて、エネルギーの供給が追い付かなくなる。

 というわけで、それなりに大粒の雨が降っている現在、風傘を使用して歩く細川も、時折肩などに水滴を受けていた。雨の中を歩かされた天宮は、無事だった背中すらもずぶ濡れだ。

 バスに着くと、細川は肩の水滴を払い、天宮を風傘の中に入れた。

「今入れてもらっても、僕はもう手遅れだと思うんだけど」

「そのままバスで座らせるわけにはいかないだろう」

 わずかに頬を染める天宮に細川が手をかざすと、彼女の服が吸っていた水が彼の手に集まり始めた。

 やっていることは、氷を使用する魔法の応用に過ぎない。氷は当然ながら虚無から生み出されるわけではなく、大気中に存在する水蒸気を集めて熱を奪い、冷却することで造形を可能にしている。

 原理それ自体は結露とそう大きくは変わらず、水を集める範囲と冷却の加減を調整して応用することで、水浸しになった物体を素早く乾燥させるのにも役立つ。

 ただしこの方法は、水にしか応用できない。そのため、海水中の塩化ナトリウム他、溶解している物質は神や服に残ってしまう。雨に関しても同じことだ。

 細川に言えることは、

「ホテルに帰ったら、いの一番に風呂に入るんだな」

 その後、ホテルに帰るまで、天宮は何度も身体中を擦っていた。


 #4 Day-3

 三日目の朝、食堂でサラダをつつく天宮は、やはり寝不足丸出しの顔つきだった。細川の方は同室のメンバーが大人しいのでのんびりと寝られたのだが、彼女はそうではないのだろうか。

「可能な限り、班ごとにまとまって食べるように」

 という指示が予め出ているので、細川は寝不足少女の対面に腰を下ろした。

「昨日より隈が濃くなっていないか?」

「うん、そうかもね」

 そう言いながら、天宮はシークヮーサーを口に入れた。強い酸味のある果実だ。彼女が顔をしかめるのを見ながら、細川はタコライスを口に運ぶ。

 当初は細川の苦手な(たこ)が入っているのかと警戒していたのだが、蛸ではなくタコスだったようである。美味いな、と呟きながら、箸を持つ手を動かす。細川が気に入っている食事の一つだ。

「女の子が修学旅行の夜に、何をしているか知ってる?」

 知っているわけがないのだが、一応それらしいことを言ってみる。

「カードかボードゲームでもしているのか?」

 カードについてはともかく、ボードゲームが出てくるあたり、それらしいことの基準がどうかしているのだが、細川はそれに気付かない。天宮もそれを特に気にしてはいないようで、

「だったらまだ良かったんだけどね」

 と言って疲れた顔をしている。天宮は今度はサーターアンダギーを食べているが、朝から油が多くないだろうか。

「僕の部屋の子たち、夜中ずっと喋ってるんだよ。特に紅羽ちゃん主導で」

「ウチの名前呼んだ?」

 噂をすれば、とでも言うべきか、一人の少女が天宮の隣の席に食事のトレーを置いた。

 天宮は露骨に嫌そうなため息をつくが、ため息をつかれている当人は、からからと笑ってそれすらも楽しんでいるようだ。いじめられているわけではなさそうなのだが、ストレスの原因になっている理由は、細川も正直分かる。

「そういえば、こんな奴がクラスにいたかもしれないな」

「あれあれ? もしかしてウチ、細川君に認知されてないの?」

「サーターアンダギーの油で口が滑らかになった……訳ではなさそうだな。原来の気質か。悪気のないのが余計に質の悪い、厄介な人間だ」

「もしかして、随分失礼な分析されてない?」

 ぺらぺらと口数の多い少女だ。零火の親友の白原千夏も話好きだったと思うが、彼女はもう少し(中学生に負ける高校生というのも情けない話だが)相手に合わせて話ができる人物だ、と零火から聞いている。つまり、ただの長舌族。細川にしてみれば、取るに足らないが、動きを読めない障害物になりうる存在、という評価だ。

「なるほど、これは眠れようはずもないか。不本意ながら、あまりに煩いので俺でも名前を憶えている。名前は確か、眞木(まき)紅羽(くれは)だったな」

「あら、覚えててくれてたんだ」

「木下と組んで文化祭の実行委員をやっていたはずだな。俺が道具の制作を断っていたら、あんたがあいつを始末してくれたのか?」

 さすがにこれだけ人がいる場で拳銃を出しはしないが、その分代わりに険の籠もった眼光で突き刺す。

 屋敷で命乞いをした木下の言葉が噓でないのなら、細川が半ば無理やりに協力させられたのも、眞木のせいであるはずだ。その点どう考えているのか、と訊きたいところだったが、どうせ何も考えていないか、可能な限りクラスの全員を参加させることが目的だったのだろう。

「裕君」

 静かに天宮が名前を呼んだので、細川は突き刺すのを辞めて箸の動きを再開させた。

「ふん、まあいいか。どうせその気になればいつでも始末できる」

 しかも現状の科学捜査では解明できない完全犯罪で。

「災難だったな、みなみ。つまりこの眞木って奴のせいで眠れなかったわけか」

「だって可愛いんだもん。なのに今までウチらと絡みなかったし、逃がさないよ」

「あんたは一回黙っていてくれないかな」

 眼光だけは冷たく細川が言うと、紅羽はこれ以上は危険だと察したのか、黙ってタコライスを食べ始めた。話がまるきり分からない相手ではなさそうだが、それがなぜ天宮に適用されないのか、不思議なところだった。


「それで、あの徒口女(むだぐちおんな)に何を聞かれたんだ?」

 徒口女とは、無論眞木のことである。かなり失礼な呼び名だしこれが理由でまた絡まれたら堪ったものではないが、幸いなことに、彼女とはバスの座席が離れているので、声は届きそうにない。万一聞かれれば間違いなく乱入してきて話を持って行かれるのは明々白々なので、本人不在は安心材料の一つだった。陰口も使い方次第である。

「本当にどうでもいいことばかりだよ、何で知りたいのかも分からないくらいの。どこの学校出身なんだとかどこに住んでるんだとか誕生日はいつなんだとか星座血液型好きな人の有無文化祭前後で一人称が違う理由……」

「……かなりずけずけとものを訊く奴だな。あの女、背中から刺されないのか?」

 自分を棚上げした細川の発言に、天宮が反論する。

「それ、君にも言える話だけどね」

「不要な情報に深入りはしていないつもりだぞ、俺は。必要であればその限りではないが」

「もしかして、鈴花ちゃんにもそんな感じなの?」

「だからどんな感じだ」

「君は一回、デリカシーと倫理観を学んだ方がいいよ。あと女心も」

「倫理観に関しては、零火も含めてかなり手遅れな気もするが……」

「それはだいぶ問題だよ? もしかして、昨日沖縄戦史資料館で言ってたのもそういうこと?」

「何か言っていたか?」

「市民を殺す戦争は二流だ、って」

 思わず、細川はため息をついた。確かに記録映像を見ながらそんなことを思った記憶はある。それは細川の倫理観によるものだ。声には出していないつもりだったのだが、天宮に聞かれていたらしい。

 これだから独り言は恐ろしいのだ、以後より一層注意しなければならない。

「まあそいつは忘れていい。どうせ俺は、血を被った側の人間だ」

「大量虐殺の映像見ても平然としてたよね?」

「嫌な慣れだな」

 むしろ悪魔を虐殺した側の人間なのだ、今更吐き気など覚えない。

 再度細川はため息をついた。どうもこの三日間、ため息をついてばかりだな、と細川は思うが、細川はそれ以外に、この感情の吐き出し方を知らない。

 しかしそれにしても、人の死に慣れすぎるのは確かに問題だろう。父親と死別した六年前、確かに感情が薄れた自覚はあった。それを加味しても、人の死を見て何も感じないのは、既に真っ当な人間の道を踏み外しているのだ。

 果てには殺しを専門に受けることになるのだろうか、と考え、さすがにそれは回避したいな、と考えた。

「人に話すことではないな」

 細川は、そう結論付けた。

 ちなみに、天宮の一人称が変化しているのは、いじめから解放されて戻した、ということらしい。細川と零火しか知らない事実である。


 変わり映えのしない景色を、細川はぼんやりと車窓から眺めている。身じろぎ一つしないが、これは身体を押さえられているからであり、彼自身が石像よろしく固まったわけではない。

 それというのも、シートベルトのみならず、天宮に拘束されているのだ。どうやら寝不足には勝てなかったらしく、しばらくバスに揺られていたかと思うと、

「C地点に着いたら起こしてね」

 と言い残して眠ってしまったのだ。今日は班別に関係なく、各々が事前に選択したコースでの体験学習となるため、降車地点が異なるのだ。D地点の細川はリバートレッキングであり、天宮のC地点は工房見学だ。

 ちなみにA地点はシュノーケリング、B地点はカヌー体験であり、立花と成瀬はA地点を選択したらしい。D地点に細川の知り合いはおらず、話し込んで足元が疎かになる可能性はなさそうであった。

 バスはA~Dの順に停車し、生徒を下車さる。一番の人気はA地点で、ここでは細川と同じバスに乗っていた生徒の半数が下りることとなった。

 やがてB地点を通過し、C地点が近付く。細川が天宮に視線を移すと、細川の腕にもたれかかって眠る少女の顔が目に入った。その幸せそうな寝顔を見て、つい細川の手が伸びる。四回ほど頭を撫でたところで、うっすらと天宮が目を開いた。

「……裕君、今僕の頭撫でてたでしょ」

屋敷(うち)で保護している少女に、どことなく寝顔が似ている気がしてな。つい手が伸びた」

 無論幽灘のことである。彼女も屋敷では細川に寝顔を見せることがよくあるが、いつも幸せそうな顔で眠る。そしてラザムといい幽灘といい、寝ている際に頭を撫でてやると喜ぶので、いつの間にかそれが癖になっていたようだ。

 半ば無意識でやってしまったことだが、あまり同級生にすることではないな、と反省する。

「裕君、今すごく優しい顔してる」

「俺に似合わん形容詞として五本指に入りそうだが」

「あ、また仏頂面に戻った! さっきの方がよかったのに」

「いや知らないが。というか、起きたなら自分の席に戻れ。腕が痺れてきた」

「嫌」

「あんたは寝起きだと精神年齢が退行するタイプの人間か。もうすぐC地点に着くぞ、降りる用意をしておけ」

「なんだかんだ文句言いながら面倒見は良いお兄ちゃんって感じがする」

「今の自分の発言を覚えておくんだな、正気に戻ったときに死にたくなるぞ」

 何とか寝起き少女を引きはがすと、ちょうどバスはC地点の駐車場に入り、天宮はやや拗ねた表情をしながらも大人しくバスを降りて行った。

 彼女の後から外跳ねウルフカットの少女も降りて行ったような気がしたが……細川としては、何も見なかったことにしたい気分である。


 外跳ねウルフカットの少女、もとい眞木紅羽は、バスを降りると真っ先に天宮に飛びついた。

「みなみちゃん!」

「……っ!?」

 天宮は天敵に出くわしたかのように驚いて内巻きボブカットの髪を揺らしたが、本人の感覚で言うならば、声を押さえただけ誉めてほしいところである。随分と面倒な相手に目を付けられてしまったものだ。

 ──ああ、願わくは、早々に飽きて解放してくれますよう……。


 細川が柄にもなく岩場から滑落して打撲の軽傷を負ったり、他の参加者が着替えもないのに滝つぼに飛び込んで泳いだりする謎の突発事がありはしたものの、リバートレッキングは概ね平和に終了した。

 来た道を逆にバスが走り、D地点から順に生徒を回収していく。C地点で回収された天宮は、細川の隣に身を投げ出すように座ると、勢いのままに倒れ込んで細川の身体に体重を預けた。

「戻って来て早々に甘えるな」

「もうやだ、疲れた、このまま帰りたい……」

「離れろ」

 B地点の活動が長引いており、出発まで時間がかかるとかで、シートベルトを着けていない彼女は際限なく細川に甘える。疲労が溜まっていると人に甘えたくなる性質も持ち合わせているのだろうか。寝起きの件といい、割と頻繁に精神年齢を退行させているように見えるのだが。

「しかし、本当に疲れているようだな。何かあったのか? C地点は工房見学と聞いているんだが」

「僕もそう思ってたんだけどね、紅羽ちゃんが一緒だったから」

 なるほど、あの徒口女か、と細川は納得してしまった。もう何も聞かなくても大体の事情が察せられるのだが、精神的な負担を軽減させるためには吐き出させた方がいいだろう。

 一応話を聞いてみると、止め役不在で放たれた眞木は、隙あらば天宮に絡んでいたらしい。誰のせいで寝不足に陥っていると思っているのか、とにかく気の休まる暇はなかったようだ。やはり細川の予想通りである。

「あいつに何を言われたのかは知らないが、だからといって……」

「やっぱりみなみちゃん、細川君のこと好きなんじゃない?」

「失せろ、徒口女」

 右腕で窓枠に頬杖を突き、窓に反射して視界に入った少女に対し、細川は条件反射的に容赦なく直球の悪口をぶつけた。

 天宮に逃げられ、時間差で乗車してきたらしい。後から乗り込んできた木下が、眞木に通路を塞がれて立ち止まっているのが見える。こいつに眞木を引きはがさせようか、という考えが細川の脳裏を過ったが、あの様子だと木下は眞木に対し、強く出られないのだろう。

 逆に木下までこちらに絡んでくる可能性も同時に検討したが、今のところ、その様子はない。一度死にかけた手前、迂闊な行動には出ないように努力しているようだ。指一本使わずに自分を殺せる相手を怒らせるほど、彼も馬鹿ではないらしい。

 それはそうと、気付かない眞木はお構いなしに細川に話しかけてくる。

「細川君、よく鈍感って言われない?」

「共感性が薄い自覚はある」

「人の気持ちについては?」

「みなみがあんたを疎んでいる理由なら、たった今、本人に理解させられている」

 厄介な人間は一度全員半殺しにするか、という極端な選択肢が思い浮かんだが、さすがに無駄に命を脅かすのは得策ではない。それに近いことは必要かもしれないが。

 眞木は自分が死の淵に向かって歩いているとも知らず、次の爆弾を投げ込む。

「もしかして、細川君もみなみちゃんのこと好きだったり?」

 前言撤回である。やはり一定の抑止力というものは必要なのだろうか。

白痴(たわけ)たことを抜かすな」

「でも絶対……」

「これ以上この話を続ける気なら──お前が人間として(・・・・・)産まれたことを後悔させるぞ」

 こう魔法使いに脅されて、震え上がらない者が一体どれだけいるだろうか。

 以降、眞木が細川たちに絡んでくることはなくなった。はったりとは、かくも有用なものである。

続きます。第七話、全部合わせたら二万字超えるかもしれない。細川は確かにお兄ちゃん気質持ってると思う。

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