番外編七話 終戦報告
七月中旬、ラザムを伴って魔法陣を通った細川は、数か月ぶりに、ピンク色の肌をした風船魔人──否、伝説に基づくならば、《禁忌の魔王》のいる空間を訪れていた。《禁忌》は、細川たち魔力使用者と、人類の転生を司る存在で、三千年の過去には、世界を喰らった《飽食の魔人》を倒したと語られている。現在細川たちがいるのは、《飽食》が喰らった死後の世界を、《禁忌》が取り出して再構築した空間とされている。
……その空間に、《禁忌の魔王》の居室がある。何人かの天使が《禁忌》とともに常駐し、魔力使用者に選ばれた大一世界空間の人間と、転生候補者を出迎えるのだ。ただし、この日は例外的であった。現役の魔力使用者が《禁忌》の前に現れることは、本来ならばまずありえない。だが、細川は魔力使用者としては、例外が服を着て歩いているようなものだ。この日彼がここへ来たのは、《禁忌》に対し、ある報告をするためだった。
「『第百』に関わる話か?」
相変わらず、高いのか低いのか判然としない、尊大な声だ。細川がこの声に好感を持ったことはなく、恐らく今後にわたってもあり得ないだろう。その尊大な声で発せられた問いを、細川は否定した。
「いや、そいつは関係ない。今回は別の話だ。裏切り者のルシャルカ──その始末に関することで、話しておくことがある」
「ほう」
ルシャルカは、元々は《禁忌》に創られた大天使である。しかし彼女は、あるとき契約を破って堕天し、以降は第二世界空間や第一世界空間に複数の中級悪魔を配置し、暗躍を続けていた細川も、数度手を出されたことがある。
「聞こう。ルシャルカの始末、と言ったか」
「ああ、一年前、あいつにラザムを誘拐されたのが接点の始まりだ。当時は俺も魔力使用者になって時間がたっていなかったし、ただ追い返すのが限界だった。それからしばらく目の前に現れることはなかったが、今年に入ってから、あんたが第二世界空間に送り込んだ元日本人の転生者と繋がってな。彼女の指示で、俺はルシャルカを抹殺するために動くことになった」
「ではなぜ、その転生者はルシャルカを知っていた?」
「……白々しすぎて、いっそ拍手したくなってくるな」
細川は肩を竦めて見せた。
「転生者たちに、あんたが吹き込んだんだろう? 機会があったら、あの裏切り者を殺しておけ、と」
「その証拠は?」
「その発言が証拠も同然だ、と言いたいところだが、そうは言わん。物証こそないが、証言なら同じものが複数人分あるそうだ。証人同士のつながりは、諜報機関が調べても見つからなかった。示し合わされた可能性は限りなく低い。ただ、証言から分かるのは、それだけじゃなかった」
細川にルシャルカを討伐する任務を与えたのは、『白兎』のコードネームを持つ、精霊自由都市共和国群のスパイだ。彼女は他に数人の転生者に心当たりがあり、彼等に確認を取ったところ、その全員がルシャルカという名前に反応したという。ただ、転生者はその条件故、頻繫に生まれる存在ではない。ルシャルカが息絶える間際に存在が浮上したもう一人の堕天使に関しては、全員が口を揃えて、知らないと答えたという。つまり、ここから分かることは、
「イヴリーネは、最も新しい堕天使だ。後任は誰だ?」
「私ですわ」
答えたのは、壁際にいる大天使の一人だった。細川が名前を知らない天使だ。《禁忌》の隣にいる大天使が、「リークス、あなた……!」と言っているので、彼女の名前はリークスなのだろう。ショートボブの髪型の、中性的な印象の天使である。
ちなみに《禁忌》の隣にいるのは、確かリーファと言ったはずだ。以前細川がこの場を訪れた際、一触即発の剣呑な視線を交換した相手である。
「《禁忌》、イヴリーネを倒したらまた報告する。それまで、リークスは魔力使用者に付かせるな。ラザムの前例もある。制限の外れた堕天使イヴリーネが、逆恨みで殺しに来ないとも限らん」
「それはあなたが決めることではありませんわ、細川裕」
「と、俺が言えば、リーファにそう言われることは予測していた」
代わって口を開いたのは、今まで沈黙していたラザムだった。
「私も同意見です。魔王様、リークスの安全のために、彼女を魔力使用者に関わらせないようにできませんか」
「そう。ラザム、あなたが彼に感化された訳じゃないでしょうね」
「嫌われたものだな、俺は」
どうにも、このリーファという天使は細川のことを敵視している節がある。正直心当たりはあるのだが、話が進まないのは困る。
「リーファ」
「はい、魔王様」
「しばし、口を挟むな」
「……はい」
幸いにも、《禁忌》が細川の視線を理解したので、リーファを一度大人しくさせるのには成功した。そうなると、今度はリークスが、細川に言う。
「それで、私はいつまで魔力使用者から離れていればいいのでしょうか。任務の性質上、あなたの報告があるまで無期限に引き籠っているわけにもいきません」
言うからにはそれくらいは提示しろ、と言外に含め、厳しい眼光を放つ。それで委縮する細川ではないが、天使もこのような表情ができるのだ。普段隣にいるのがラザムなので、つい忘れそうになる。……そのような感慨を、彼が表に出すことはない。
「最長で十年、目標は五年だ。既に第二世界空間の諜報機関では計画が動いている。そう長くはかからないはずだ。それまでに、俺が始末する。そのためにも、一つ聞いておきたいことがある」
討伐のために必要になるかもしれない、と前置きし、細川が《禁忌》に要求する。
「イヴリーネは、何のために堕天した?」
後の展開に差し支えるため修正しました。




