9 聞かせた理由
元の電停に駆け戻ろうとする私の腕を、タッタが掴んだ。
「ちょ。どこ行く気だ」
「あてはついてる」
「そういうことじゃなくてだな。まぁ落ち着け」
「何で落ち着いていられるのよ」
かっとして腕を振るが、タッタは涼しい顔をして掴んだ腕を離さない。
悔しい。振り払うこともできないなんて。
「山﨑の電話。間違えてかかったふうを装ってたけど、俺はあれ、わざとだと思う。お前が出たことを確かめてから山﨑は谷田に話を振っただろ。会話の内容を聞かせるためだ」
「だからなんなの? 美夏が危ない目にあってるかもしれないんだよ。ほっとけっていうの?」
短気な克己の怒鳴り声が頭の中で再現され、アラートが鳴る。
行かなきゃ。いますぐ美夏の無事を確認しないと。
彼が暴力を振るうところなんか見たことはないけれど、あの激昂ぶりは尋常じゃない。
「頭冷やせよ、単細胞。お前、あいつらから逃げてきたんだろーが」
「腕、痛いよ」
「あっ。わりぃ」
顔を歪めるとタッタは慌てて手を離した。
掴まれたところが指の形に赤くなっている。
腕をさする私を前に、タッタは目を泳がせる。
「すまん。そんな強く握ったつもりはなかったんだが」
「そんなに凹まないでくれる? こっちが気を使う」
「ごめん」
思わず舌打ちが飛び出した。
もしも立場が逆なら、簡単に振り払われてしまうはずだ。
私がどんなに力を込めようとも。
だからこそ、私は美夏のことが心配でたまらないのだ。
絶対に力で敵うことはないんだから。
その恐怖がタッタには通じない。
「だいたい、タッタは美夏が心配じゃないの?」
私の言葉にタッタはぼそりと言う。
「お前の見た通りのことが真実なら、谷田は山﨑に手出しできないからな」
「なんでよ。タッタがもしやろうと思えば、私なんか簡単にめちゃくちゃにできるよね。克己だってそうじゃないの」
幼い頃は対等だった。
小学生くらいまでは。
でも今は違う。
対等じゃないと日常生活の端々で突きつけられている。
バケツ運びをあてにされてもいなかったこと。
タッタの手を振り払うことができなかったこと。
作りが違うんだから、仕方がないんだってわかってる。
いつのまにか、それほどまでに違ってしまったことが悔しい。
もう決してあの頃のように、同じにはなれないのだ。
タッタは困ったように頭を掻いた。
「めちゃくちゃって、誰がそんなことするかよ。ヤな言い方しやがって」
「やろうと思えばだってば。それに、タッタはやんなくても克己はどうだか」
「たとえででも加害者扱いされんのは、気持ち良くないぞ」
「別に、警戒しなきゃってだけだよ。それが現実じゃん」
自分で自分を助ける術がないと感じさせられる、その惨めさ、恥ずかしさをタッタは経験することがない。
自分を頼みにすることを諦めなくてはいけない、半人前のような気持ちがタッタには見えない。
私の感じていることが。
タッタはえーと、と首を傾げた。
「お前、見たんだよな? 山﨑がジッパーを持つ連中の意思を奪い、コントロールするところを。谷田にそれができなかったのも」
「見たけど」
だからなんだという態度で答える。
克己がジッパーに手をかけても周囲は無反応だった。
でも美夏の時は違った。
克己も周囲も意識を手放したようなうつろな顔で、一緒になって首に手を当てたんだ。
まるで夢の中にいるかのようなぼんやりとした顔をして。
「ってことは、だ。谷田は山崎にはかなわない。山﨑が自分の首のジッパーを握るだけで谷田は意志を奪われるんだから、勝ち目がない。だろ?」
確かに、タッタのいう通りだ。
克己が美夏に手を出すことはできない。
「この電話で山﨑は、谷田をはじめジッパーを持つ連中は全員、本人の意志に関わらず人を襲う可能性があるということを明らかにした。山﨑が意図してお前にあの会話を聞かせたのだとしたら、伝えたかったのは、自分達に近寄るな、ジッパーを持っているものは誰であれ、絶対に信じるなってことじゃないのか」
「私にそれを伝えるために……?」
「さあな。でも、少なくとも俺ならそうする。襲いかけた以上、もう近寄るわけにはいかないからな」
美夏はもう二度と私と会うつもりがないのかもしれない。
トートバッグからスマホを取り出し、ラインを開く。
メッセージは、未だ既読になっていない。
「電話が単細胞を煽っておびき寄せるためのものなのか、何が起きているのか見せつけて近寄らないよう警告するためのものなのか。山﨑がお前になにを伝えたかったのかをよく考えてみろ」
頭に血が昇っている自分の目を覚まそうと、大きく息をつき、両手で二回頬を叩く。
「実際見たわけじゃないから、俺はまだ手の込んだドッキリの線も捨てられない。でも、だとしても怯えるお前を見て面白がる連中の遊びに乗ってやる必要はない。どっちにしろ行くべきじゃないんだ」
「美夏がそんなふざけたことするわけないじゃん」
「だったら行くな」