7 別人でもない限り
正面に座るタッタの腹がぐうと盛大な音を立て、私もおなかが空いてたことに気づく。
「あー、ひろめで食いながらでいいか? そろそろ開く頃だろ」
ひろめ市場は集合型の屋台村で、フードコートみたいに各自好きな店で買い、持ち寄って食べるところだ。
私が聞いてもらいたいことは、そんなオープンなところで話せる内容じゃない。
できれば個室……うちに来てもらいたいところだが、いまは弟たちが期末テストの真っ只中だ。
午前で終わるのでそろそろ帰宅しているかもしれない。
独立した部屋がないから落ち着かないし、テスト終了までは弟たちの気が散るようなことはしたくない。
「タッタんちはダメ?」
タッタんちにも今年受験生になった双子の弟妹がいる。
でも、私やタッタの後輩に当たる彼らの高校は二学期制だから、テストは夏休み明けのはずだ。
「……うち、誰もいねーぞ」
「だからだよ。誰もいないとこで話したいんだって。如月でチキン南蛮でも買ってってさ」
コンビニ併設の弁当屋『如月』ならデザートやドリンクも買えるしちょうどいい。
ナイスアイデアだと思うのだが、タッタは渋い顔だ。
「そらダメだ。一人暮らしの男の家に行くのと変わらん」
「私は別に気にしないよ? 美夏とよく男子の家にも行く」
「今、お前一人じゃん」
「えー。だって、タッタんちだよ?」
小さい頃から弟と共に互いの家を行き来してきたし、おばあちゃん先生に連れられて毎年合宿で雑魚寝だってしてた。
いまさら気にするようなこともないだろうに。
性別を理由に距離を取られるのはなんだか寂しい。
タッタは深いため息をついた。
「河川敷で食うか。クソ暑いがベンチもあるし」
「なら、月の瀬橋の下のが涼しいんじゃない?」
「地べたかよ」
呆れた顔をして見せるが、汚れを気にするような服でもあるまい。
「よし、行こう」
橋に一番近いのは次の電停、上町二丁目だ。
降車ボタンを押して、タッタの汗で湿った腕を引く。
同時に交差点に入った電車が急停止し、とっとと足が動いてバランスを崩した。
右折車でも飛び込んできたのだろうか。電車はぷおんと警告音を鳴らす。
タッタが私の腕を掴んでくれたおかげで、なんとか踏ん張りきった。
下手すると運転席の方まで転がっていたかもしれない。
「慌てんな。動くのは駅に停車してからでいい」
タッタは車内アナウンスのようなことを言って、運転席の方へ目を逸らした。
あとになって、どっと汗が吹き出した。
昨日からずっとヒヤリとしてばかりだ。
*
電車を降り、如月で買った熱々のチキン南蛮を手にすると、鏡川へと向かった。
川は昨晩と変わらず呑気な顔をしている。
月の瀬橋の陰に座って南蛮を平らげながら、線香花火の時に見た達弘の首のジッパーのことから、美夏が教室内の学生を従えてジッパーを下ろし始めるまでの経緯をつぶさに話した。
コンビニ前で達弘に告白されたことはカットした。
関心が逸れて問題がぼやけるのを避けたかったからだ。
話を聞き終えたタッタは、律儀に弁当の空箱を袋に戻しながら、うーんと首を傾げた。
説明が拙すぎて通じてないのではないかと不安になる。
「わかりにくいとこあったら聞いて」
「いや。言ってることは理解できたんだが、納得できるかどうかは別というか……」
煮え切らない態度にモヤモヤする。
きっと、ジッパーなんて見間違いだろって言うんだ。
私が反対の立場でもそう思う。
納得なんか私だってしていない。
「ジッパーがなんなのかはともかくとして、なんか、想像つかねーんだよな。あの山﨑美夏が面白半分にお前を泣かせるとは」
「だから、面白半分なんかじゃないんだって」
自分で言うのもなんだが、私は美夏に溺愛されている。
高校の頃からこれまで、庇われたことはあってもからかわれたことなんか一度もない。
「とはいえ本気だったって言うのも、なぁ」
「私、講義抜けてこんなとこまで来ちゃったんだよ? 全速力で走って、電車止めて転がり込んで。あの美夏があれきり連絡ひとつよこさないなんて、変だよ。別人でもない限り、ありえない」
いまも平然と講義を受けているのだろうか。そんなの絶対らしくない。
タッタが顎の無精髭を触る。
「あいつ、過保護だもんなあ。お前に対して……勝ったのは山﨑でミスったのは達弘、だっけ?」
「そう。達弘は私にジッパーを見られたからね」
なるほど、と呟きタッタは続ける。
「賭けに途中参戦した山﨑は、克己びいきで、達弘には勝たれたくなかった?」
「どうかな。そんなんじゃないと思うけど」
克己は何がしたくて勝負を仕掛けたんだろう。
最後まで生き残ったやつが王様。
他のみんなは王様の言うことをなんでもきく。
よくある王様ゲームだった。
「でも、美夏はもともと賭け自体反対だった。なのに翌朝教室で、賭けに勝ったのは私だから、言うことを聞けって、克己に……」
賭けにこだわり、まるで克己を牽制するかのように、強く出たのは美夏だった。
あの日、線香花火を配ったのは美夏だ。
達弘が賭けにのって、四人でいっせいに火をつけた気がしていたけど、思えば対戦する二人にしか注目していなかったかもしれない。
今にして思うと、達弘の花火の寿命が短かったことも気になった。
落ちさえしなければ、美夏の花火はまだ生きていたのに。
美夏はいつ火をつけたのか。
同時だったのかわずかに後だったのか。
誰であれ主導権を握られるわけにはいかないと思った美夏が、確実に賭けに勝つために、あえて途中参戦したのではなかったか。
「賭けについて、三人にはお前の知らない共通の思惑があったって考えるのが妥当だろうな」
「それがジッパー……?」
揃って首の後ろに手を回した学生たちの、意志のない人形のようなうつろな顔が浮かんだ。
「そこまではわからんが。ともかくも、三人は一枚岩じゃなさそうだ」
こんなおかしな話を親身になって聞いてくれる、タッタの存在がありがたい。
美夏に達弘のジッパーのことを聞いて欲しいと思ったのは、どんなにおかしなことでも美夏なら受け止めてくれると信じてたからだ。
それなのに教室で自分だけが彼らと違うと知って、どれほどショックだったか思い知る。
あれが、冗談でなんかあるものか。
「そういや、電車で言ってた夏祭りの話。あれはどういうアレだ?」
「いつから美夏がジッパーを持っていたのか、ぐるぐる考えちゃってさ。少なくともあの夏祭りの頃はなかったんじゃないかって、タッタに確認したくなった」
自分の目だけじゃ信用できない。
ずっと近くにいたのに、美夏が首に手を当てる直前まで、私は気づかなかったのだから。
「なら、敦史にあたってみないか」
「えっと……美夏の前の彼氏? なんで。もう別れてるよね?」
そうだ、あのスナフキンの名前は敦史。上池敦史だ。
ふつう忘れるかよと、タッタが呆れた顔をする。
「あいつなら、俺らの知らない山﨑のことを知ってんだろ? それに、アイツなんの前触れもなく突然別れを切り出されて、未練たらたらだったんだ」
「美夏が上池をフった?」
思わず声が裏返る。
ずっと美夏の方が追いかけていたんだと思っていたのだ。
「ああ。それも一方的にラインで切り出されたらしいぜ。そこから既読無視。音信不通。そんな身勝手なやつには見えなかったが」
「それ、いつのこと?」
尋ねながら、美夏の首からペアネックレスが消えたのがいつだったのかを思い出そうとする。
あの紫色の桔梗柄の浴衣の上で、パステルピンクのニットの胸で、上池と二人で行ったライブで買ったというバンドTシャツの前でも、ネックレスが揺れていた。
初めて私をサークルのムササビ観察に誘ってくれた春の日の夜、自転車にまたがった美夏の胸にもそれはあった。
「山﨑の誕生日のちょっと前だ。プレゼントを発送した直後だったって聞いた」
「ちょうど、克己と付き合いだした頃だ」
美夏の誕生日は五月三十一日。
サークルに入部した私は、その日を克己と達弘と一緒に祝った。
二人が付き合うことになったという報告を受けたのもその日だ。
上池と別れたなんて話は聞いていなかったから、もちろん驚いたけど、私は何も尋ねなかった。
聞いて欲しければ美夏の方から言うだろうし、そうでないってことは触れてほしくないんだと解釈したんだ。
恋愛の話は不得手だから、踏み込めなかったのもある。
誕生日、美夏の胸にペアネックレスは、たぶんなかった。
「でも、上池に美夏のことを聞くのは、さすがに迷惑すぎないかな」
「いいんじゃね? 今のままじゃ、あいつだって気持ちの整理がつかねーだろうし」
ズボンの後ろポケットでスマホが震えた。
「……電話だ」
手に取って見ると、画面に山﨑美夏と名前が表示されていた。