4 疑惑の音
二限の英会話で、美夏や克己と一緒になる。
達弘は別の先生だから、絶対に現れない。話をするならこの時がチャンスだった。
ふうっと息をつき講義室に足を踏み入れると、声をかけるよりも前に美夏が席を立った。隣の克己も腰を上げる。
「聞いてよ有希。達弘のことなんだけどさ」
駆け寄ってきた美夏の言葉に、思わずびくりと肩を震わせる。
もしかして美夏も見たのだろうか。
私の反応など気にも留めずに克己が割り込んでくる。
「有希が帰った後、マジヤバかったぞあいつ。黙って不貞腐れてるし、人の分までパカパカ飲んで一人で勝手に潰れちまうし。な」
「あたし実家だから克己に任せて帰ったけど、相当だったよ。花火している間は普通だったよね? 有希、なんか心当たりない? 昨日二人で買い出し待ってる間とかさ」
ジッパーのことじゃなかった。
反射的に思い当たることなど何もないというように首を振る。
「いや……別に。で、達弘はどうしてるの?」
「サークルボックス棟でまだ寝てんじゃねーかなぁ。ほっとくわけにはいかねーから朝までは付いていたけど、今日俺一限から入ってたから置いてきたわ」
克己は胸の前で腕を組み、鼻から大きく息を吐いた。
「そういや昨日、有希も慌てて帰ったよな。俺、なんかやらかした? 思い返すと気になってきてさ」
調子に乗りがちだけど、克己は意外と小心者だ。
やらかして後から気に病むのは損な性分だと思う。
「ごめん、余計な心配かけたね。家族に夕飯いらないって言ってなかったのを思い出して……一応、達弘には伝えて帰ったんだけど」
「そっか。ならいいんだけどさ。はーっ、結局あいつの豹変ぶりがなんなのか、わかんないままかぁ」
ふと思い至る。
もしかして、私が原因じゃないの? 告白されたんだよね。
平然として見えてたけど、達弘からしてみれば、かなり勇気を出してしたことだったのかもしれない。
なのに私がはぐらかすようにして逃げ帰ってしまったら……それは確かにショックだろう。
黙り込む私の顔を美夏が覗き込んでくる。
「有希も昨日、変だったよね。帰りだけじゃないよ。花火の時だって、気もそぞろっていうか。あんまり喋ってなかったし。なんかあるんなら溜め込まないで言ってよ。お願いだから」
ええと、どこから話せばいいんだ?
きっかけは、私が彼の首にジッパーを見つけて、それについて聞こうとしたら達弘が急に告白してきて、それで……。
元々ジッパーのことを克己に聞こうって決めてたじゃないか。そこから話そうと決める。
「あのさ……実は昨日、変なものを見たんだ。花火してる時、達弘の首の後ろに銀色のジッパーが付いてるのを見つけて」
「え、何? ジッパー?」
美夏が首を傾げるのを見て、話が通じていないことを理解した。
わかるように話さなきゃと思うと軽くパニックになる。
私は身振り手振りを交えて説明を試みた。
「えっと、そう。ジッパー。どう見ても直接生えてるようにしか見えない感じで、ジッパーとしか思えない金属が首の後ろにこう……張り付いてた。それがなんなのか確かめたくて、コンビニで」
「聞いたのか? もしかして達弘って着ぐるみなのっ……」
克己は言ってる途中で噴き出した。
美夏が手のひらで思い切り背中を叩く。
「……ってーな。だってよー」
「チャチャいれないで、聞きなさいよ」
自分の説明がまどろっこしいことは自覚している。
しかし、達弘の首のアレ。克己も知らないんだ。
サークルで温泉行ったり、キャンプなんかも一緒にしてきたはずなのに。
じゃあ、あれはいったいなんなのだろう。
「ふざけてると思われても無理ないと思う。私だって見間違えじゃないかって思ったもん。だから明るいところで見てはっきりさせようって思ったんだ」
「本当についてたの?」
「間違いなく、首と頭の境目あたりの肌にくっついてた」
克己は額に手を当ててわざとらしく頷いて見せる。
「そうか。あの晩、達弘は有希に秘密を知られて荒れていた、と。そうさ。今の俺の姿は本物じゃない、ほんとの俺はこのジッパーの内側にっ」
「こら。変な妄想膨らませないの」
私も似たような妄想をしてしまったんだけど。だいたい人の発想は似たようなものだな。
「ははは。でも俺だったらあんな腑抜け面じゃなくて、もうちっとイケメンのマスクにするぜ」
「ネックレスのアジャスターじゃない? 見慣れない形だったからジッパーみたいに見えたとか」
「達弘は金属アレルギーだから、アクセサリーはつけないよ」
「そうなんだ」
みんな知っているのかと思ってた。
「買い出しかなんかに行った時、達弘が買い物カゴの持ち手にハンカチを巻いているのを見て、聞いたんだ」
そこからどう告白のことを話そうか、やっぱりこういうことは人に話すべきじゃないんじゃないだろうかと思案していると、克己がおどけた調子で首を前に傾け、ジャージの首元に手を添えた。
「有希、そのジッパーってさ、こんなやつじゃなかった? ほら」
ワンピースのジッパーを引くようなそぶりをしてみせると、耳にかすかにチキチキとジッパーを下げる音が届く。
「えっ??」
「克己。からかいすぎ」
美夏が克己の肩を掴んで引き寄せると、ジャージの襟の内側できらりと何かが光ったような気がした。
「ははっ。なんてな! ……あ。やりすぎたか」
シンと静まり返った空気に気付き、気まずそうに頬を引き攣らせる。
「克己、さっきの音。ジッパーの音。どうやって出したの?」
胸がばくばく跳ね、視界が揺らぐ。
冷や汗が吹き出し、自分の皮膚が遠くなるような嫌な感じ。
だって、今の音は。
怯える私の声に克己がの肩がピクリと上がる。
「ああ、聞こえちまったか。それはな……」
「しつこい。怒るよ」
身を屈め、眼前に首元を晒そうとする克己を美夏が押しのける。
きらり。達広にあったのと同じ位置でジッパーが揺れるのが見えた。
「なんで、克己の首にっ……」
「これ以上勝手は許さないよ、克己」
「諦めろ。達弘がミスった時点で、もう手遅れなんだよ」
「いうことを聞きなさい。賭けに勝ったのは私でしょ?」
賭け?
二人のやりとりはなんだかおかしい。
「美夏、克己、何言ってるの?」
「克己、まさか……」
美夏が怯えたように克己を見やった。
ぼんやりと宙を見つめ、克己は美夏と目を合わせようともしない。
私の質問に答えることなく、美夏は自分の両耳の後ろに手を当て、後ろ髪をかき上げた。
手首にはめたシュシュでさっとまとめると、シャツワンピースの襟をまくる。
「わかった。だったら、私がやる。……心配しないで、有希。怖くないから」
美夏はうなじに手を当てて、講義室をぐるりと見回した。
講義室に集まり始めていた数名の学生が皆、同じように両腕を首の後ろに当てる。
ジィッと一斉にジッパーを下ろす音がする。
「痛くないようにシテあげるね」