24 ジッパーの話をしよう
タッタが予約した店ノルンはグリーンロードから一軒分脇道へ逸れたところにあった。
大きなガラス窓から北欧風の店内を覗くことのできる優雅な作りは、飲み屋やスナックの立ち並ぶこの辺りの雰囲気からは浮いていてかなり目立っている。
中を覗くと、日の当たる窓際の席で仏頂面しているタッタと目が合った。
ヤツは私の姿を確認するやいなや、ふいと店内の方へ顔を逸らしてしまう。
入れ替わるように振り返ってこちらを見たのは、彼の正面に座る頭のてっぺんでふんわりとしたお団子をつくった色の白い女の子だ。
屈託のない笑みを向けて手を振ってきたので、つい会釈で応えてしまったが、知り合いではない。
長い首が綺麗に映るとろんとした素材の服がよく似合っている。
綺麗な人だ。
タッタは拗ねたように唇を尖らせ、彼女にぼそぼそ文句をつけているように見える。
ただでさえ強面なのにあんな目で睨んだら怖がられるんじゃないの、と思わず心配になるけれど。
見かけによらず彼は周囲への気遣いを怠らないタイプの男だ。
それがあんな素直な顔を見せるなんて、よほど気心の知れた相手なんだろう。
先に行って勉強しているって言ってたのに、机の上には参考書のひとつも出ていない。
デートなのかな。
言ってくれてたら気を使ったのに。
やっぱりタッタは私を信用してくれない。
私は二人に背を向け、達弘がやってくるだろうグリーンロードの方へ向き直った。
「有希。ごめん、待った? 時間すぎちゃったかな」
達弘の声がしたのは予想の反対方向だった。
電車を降りてから、地図アプリの案内に従って最短距離をきたのだろう。
道中大した目印もないだろうに、よく迷わずこれたものだ。
まあ、これほど浮いた店なら間違うことはないだろうが。
「ううん。ちょうど良かったよ」
手にしていたスマホでタッタに「到着」とラインを送り、鞄にしまう。
達弘はハンカチで汗を拭い、私を気遣った。
「暑いのに、ごめんね。中でいてくれて良かったのに」
「いいんだ……」
一緒に入りたかったから、なんて言ったら誤解されるだろうか? などと考えて変な間が開いてしまった。
実際はタッタに達弘の顔を確認させるために待ってたんだけど。
苦笑いを浮かべて扉を開ける。
「じゃ、行こうか」
ウエイターに予約の笹川だと声をかけるとタッタのテーブルから角を挟んだ向かいの席に案内された。
近い。
そしてあまりにオープンだ。
半個室の席もあると聞いていたのにずいぶん大胆な位置を選んだものだと驚いたが、きっとこれもタッタの戦略だ。
一番窓際で壁沿いのベンチシートに腰掛けていたタッタからだと、一人が窓に向かって座ることになる私たちの席は真正面にあたる。
達弘の顔どころかテーブルの上まで見ようと思えば見られるかもしれない。
しかも彼女が座っているおかげで、タッタの姿は上手く彼女の背中に隠れている。
それでいて、こちらはわざわざ横を向かない限りあちらの顔を確認できない。
なるほど。今朝聞いた作戦に最適な配置だ。
タッタの正面に座る美女も私が入ってきたのに気づいているだろうに、さっきのフレンドリーな態度が何かの間違いであったかのように、素知らぬふりをしている。
つまりある程度、事情を承知しているということだろう。
私はさっさと窓の側の席に入って腰掛けた。
達弘を通路側に座らせれば、タッタにも自然に首を確認するチャンスができるかもしれない、と咄嗟に思いついたのだ。
ドリンクバーはないみたいだけど、例えば会計やトイレに立った時なんかに。
我ながら冴えていると内心で自画自賛しながら、テーブルに置かれたメニューを開き、事前にネットで調べておいた情報を口にする。
「ここのランチ、ライ麦パンのオープンサンドが評判なんだって。達弘、食べ物の方はアレルギーなかった?」
気遣われた達弘は、嬉しそうに口元を綻ばせた。
「大丈夫だよ。なんかずいぶんおしゃれなところだね。有希って、こういう店に詳しかったんだ。意外」
「まさか」
そんなわけないの、見りゃわかるだろ。
店内で私の格好、めちゃくちゃ浮いてる。
タッタの前に座ってるようなオシャレ女子が来る店だ、ここは。
じゃあ、と達弘が続ける。
「この店、俺と会うためにわざわざ探してくれた?」
タッタと違って私はそんな気が回る人間じゃないんだよ、と頭の中で毒づきながら、待てよ、この会話の流れなら自然に切り出せるかも、とひらめく。
「違う、違う。彼氏が席とってくれたんだよ。オープンサンド食べさせたがってたのも彼。言ったよね。一人立ち会わせるって」
「……そっか。それで、広めのテーブル席。なるほどね」
達弘はあからさまにすんとして肩をすくめてみせる。
通じたようでよかった。
無用な期待は切っておかなくては面倒なことになる。
「でも、今日は来ないかもしれない。実は浮気を疑われててさ。ちょっと修羅場かも」
「え。もしかして俺が誘ったせい? でも、ジッパーのことを相談してたんだよね?」
「うん。実は、四人で花火に行った時点で気に入らなかったみたいなんだ。一組がカップルだったから、ダブルデートじゃないかって疑われてさ。浮気じゃないことを証明するからお店探してって頼んだのに。直前になって、お二人でどうぞなんて嫌味なラインが来た」
あえて視線を落として落ち込んでるふうに演出してみせる。
演技する機会などこれまでの人生にほとんどなかったが、なかなかうまくやれているんじゃないか?
達弘はグラスの水に口をつけると、つまらなそうに頬杖をついた。
「なるほどね。有希が店の外で待ってたのは彼氏のためだったわけか。知らなかったとはいえ、悪いことしたね。違う学部の人?」
「いや。しゃ、社会人だよ。この近くで働いてる」
「年上かあ。なるほど。だからランチ時間帯。……なんだか、驚かされることばっかりだよ。大丈夫かな。俺、殴られたりしない?」
「どうかな。席、こんな窓際だし、どっかから顔くらい確認してるかもね。そこで提案、っていうかお願いがある。浮気でもなんでもないことを証明するために会話を録音させてほしい」
私とあなたとはなんでもないのですよと強調するかのように、画面を伏せてスマホを机の上に置く。
達弘はふうんと鼻から息をつき、メニューを私の方に向けなおした。
「了解。その前にひとまず注文しちゃおうか。話は食べてからでもいいだろ」
すんなり受け入れてくれたことにホッとして、力が抜ける。
大丈夫。タッタと決めた条件はこれで満たしたはずだ。
お街で働く社会人彼氏という設定を忘れないように気をつけなきゃ。
私は赤玉ねぎとスモークサーモン、達弘はエビとアボカドのオープンサンドを選び、それぞれ食後に紅茶とコーヒーをつけて注文した。
注文を終えた途端に間がもたなくなる。
食事を終えるまではジッパーの話を切り出す気はなかったが、かと言って二人で話したいことなんて特にない。
一口グラスに口をつけると、達弘が沈黙を破った。
「有希は思いもよらなかったみたいだけど、俺はそのつもりだったよ」
「え?」
「ダブルデート。……あ、まだ録音してないよね?」
突然、壁際に座るタッタが咳き込んだ。
正面の彼女が、やだ、ちゃんと手を当ててよ、汚いなあ、などと可愛い声で文句をつけている。
どうやら、こちらの話にちゃんと聞き耳を立てていたのらしい。
そりゃそうか。
わかっていたけど、かなり気まずい。
「してない、けど」
なんと言って返せばいいかわからない。
沈黙。
せっかくここまでうまくやれていると思ってたのに、またいつものコミュ障に逆戻りだ。
自分にがっかりしてしまう。
「そんな顔しないで。困らせたいわけじゃないんだ。ただ覚えていて欲しくて……って、今そんなことを言うのは卑怯だな。拗れてるのは俺のせいなのに。ごめん、やっぱ忘れて」
「なんで、そんなに私のことを?」
「どうしてだろ。自分でもよくわからないけど、有希だけだよ。俺をこんな気持ちにさせるのは」
困惑した。
達弘が口にしたのは情熱的な告白だ。
針の筵。
あの夜とは違って今度はどこにも逃げ場がない。
注文をほったらかして出て行くわけにも行かない。
ジッパーの話だって聞いてないのに。
あのコンビニ前での告白を忘れたわけじゃない。
ただどうしてもすんなりとは納得できかねた。
上池や克己が美夏の前でみせるような甘い視線を、この私に向けることが解せないのだ。
このスマートな態度で接し、女性から好かれることだってなかったわけじゃないだろうタイプの男が、私のような出来損ないを好きになるなんて、どう考えてもおかしい。
いつかテレビで見た、魚に抱きつくオスガエルみたいに、無駄なことをしている哀れさしか感じられない。
そんなふうに思ってしまうのはおかしいだろうか。
「ごめん。聞かなかったことにするよ」
「こっちこそごめん。忘れて。こんな話をするために誘ったわけじゃないんだし。有希の彼氏に殴られたくないしね」
ちょうどいいタイミングでオープンサンドが二人分テーブルに運ばれてくる。
食べるのと同時にしゃべることはできないから、と言わんばかりの態度で、私は黙々と口に食べ物を運んだ。
達弘もそれに倣ってか、ずっと黙っていた。
最後の一口を飲み込んですぐに、私は宣言する。
「コーヒーが来たら、録音を始めるよ。ジッパーの話をしよう」
「うん」
達弘が短くうなずくと、ちょうど良いタイミングでコーヒーと紅茶が運ばれてきた。
その足で食器が片付けられ、机の上がスッキリする。
私はスマホを取り上げ、ボイスメモアプリのボタンを押した。
達弘は録音状態を確認すると、椅子にかけたスリングバッグを手前に引っ張り、中から白い紙袋を取り出した。
「まず、見て欲しいものがあるんだ」
逆さにした袋からテーブルの上に転がり出てきたのは、ジッパーの引き手部分だった。
※1「おまち」
高知県民が高知市の中心部を表して使う言葉
標準語に相応しい言葉が見つからなかったのでそのまま使用しました。