21 素直になれない
タッタからラインがあったのは朝の六時過ぎだった。
島にいるメンバーを起こしては悪いと思ったのか、個人ラインへの返信だった。
——事情はわかった。今から電車で戻る。起きたら連絡くれ。直接話そう——
心細くて仕方がなかった私は飛び起きて、即返信した。
——如月で待ってる——
タッタがどこから乗るのか、この後どれくらいかかるのかも知らないのに、ダイニングテーブルに「朝食いらない」とメモを残してすぐに家を飛び出した。
三十分ほど座っていると、無精髭のむさ苦しい幼馴染が店に入ってきた。
姿を目にすると、なぜか涙が浮かびそうになる。
安心感だろうか。
張り詰めていた気持ちがほどけて、コントロールを失ってしまいそうな……。
すっかり冷めてしまったチキンを慌てて口に突っ込んで、気持ちの動揺をけちらしてみる。
タッタはすぐに私を見つけた。
無理やり肉を飲み下すと如月のイートインスペースで私の正面の椅子を引く彼に、唐突に今思いついたどうでもいいことを尋ねた。
「昨日も思ったんだけど、タッタ、仕事場までいつも電車なん?」
確かに私たちの住んでいる地域から、とさでんの駅はほど近い。
行き先によっては本数だって、田舎にしてはある方だろう。
だけど高知では大人になればひとり一台、車を使うのが普通だ。
家が中心街に近いので、高い駐車場代を払うのがもったいないと考えたとしても、原付くらいはみんな持ってる。
私だって調査で細かいとこまで入り込む生物研究サークルでなければ、通学に自転車なんか使わない。
ましてや電車通学なんて考えたこともない。
無精髭を指でなでつけ、頬杖をついたタッタが素直に答える。
「どうせ決まったところの往復だしな。交通費出るし。っていうか、お前こんな早くにわざわざ出てこなくてもいいのに。戻ったら話すって言ったっちゃー言ったけどよ。ラインでよかったんだぜ?」
「ん……なんかあんま寝れなかったし。如月弁当食べたかったし」
できるだけ早く、会って話したかったし。という言葉は飲み込む。
「そうか。二日連続南蛮とは、朝からガッツリだな」
食いちぎられたチキン南蛮を見て、タッタは呆れたように目を線にした。
「食は基本だからね。昨日あんたと会ったのは十時半くらいだったと思うけど、上がる時間そんなまちまちなわけ?」
「昨日は特別だ。泥酔した客が起きてくれなくてな。いつもはだいたい始発で帰る」
「泥酔って……あんたのバイト先飲み屋さん? 愛想良くないし身綺麗でもないのに、飲食店なんて意外」
「身綺麗って、この髭は落ち着いて見せるためにあえてだからな?」
納得したことにしておこう。
昨日タッタは市内辺境にある大学前の朝倉駅よりさらに向こうから乗ってきた。
深夜営業の店なんて高知市の中心街である追手筋の方が実入りが良さそうなのに。
その方が家からだって近いし。
私が思案していることを読み取ったかのように、タッタが答えを口にする。
「飲み屋っていうか、バーな。系列店のヘルプで特別時給二千五百円」
「破格!! 東京並みじゃん。そっか。だから電車なんだ」
「まぁ。基本、勤務中に酒は飲まないけど、一応な」
ひとつタッタのことがわかって満足する。
このまま核心に触れることなく、疎遠だった幼馴染の近況報告に花を咲かせていられればいいのに。
高校の頃みたいに、どうでもいい話を続けていられたなら。
甘ったれな私の代わりにタッタが話を切り出す。
「……ヤツと会うんだな」
「うん。タッタに一緒に居てもらいたいと思ってる。巻き込んで、悪いけど」
「いや、いい判断だ。廿代町に俺が元々働いていたバーがあんだが、同じビルの下にいつもそれなりに人が入ってる飯屋がある。そこなら半個室の席もあるから落ち着いた話もできそうだ。少々値は張るがな」
廿代町か。
距離的には十分うちの生活圏だが、およそ中高生には用がない飲み屋街だ。
唯人や真人と鉢合わせる心配はない。
大学から遠いし、中心地として人通りもそれなりだろう。
いい選択かもしれない。
「ありがとう。そうする。すぐに連絡とるよ。タッタの予備校は何時から?」
「十四時から二十一時。そっから徒歩圏だ。終わったら直に職場へ向かう」
「ウソ。夕方からって言ってなかったっけ?」
「さすがに昨日は一コマサボった。普段はこんなスケジュール。店閉めてから始発まで寝れるし、戻る頃にゃイサキたちが家を出てて静かだし。いい感じなわけよ」
となると、タッタに無理をさせないランチの時間帯がベストだ。
「じゃ、決まりな。店の場所送った。調整がついたら連絡くれ。優先してスケジュールをあける」
スマホをいじっていたタッタが席を立つ。
店を出たら、私はまた一人であの家を守らなくちゃならない。
家族に何事も起こらないように。
変わらずのんきに過ごしてもらえるように。
タッタは昼まで眠って、睡眠不足を解消しないといけない。
勉強に集中できるように。
それがタッタのすべきこと。
自分が不安で何もすることがないからって、それを理由にいいようにつきあわせてはいけない。
大切に思うなら、邪魔すべきじゃない。
将来がかかってるんだから。
ほとんど喉から出かかっていた「待って、お願い。一緒にいて」という言葉を飲みこむ。
「……うん。時間決まったらラインするね」
タッタから目を逸らし、食べ兼ねているチキン南蛮をつつくと、右手から箸が抜かれた。
パスタと一緒につまみ上げられた南蛮がタッタの口に収まる。
「ちょ。なんで横取りすんの」
タッタはしっかり噛んで飲み込んでから、ソースのたっぷりついた口で反論する。
「だって、もうお前食う気ねーよな。給食つつきまわしてやり過ごすのが手だったろ」
「は? 給食って、小学生じゃないんだからさ」
「お前、まだなんか言いたいことがあんだろ。ホントは寝れなかったし、食えなかったんだよな? こんな冷えるまで放置しやがって。無理しても長続きしねーぞ。どうした。ヤツからラインが来たことが原因か」
「……そんなんじゃないし」
言うな。心配かけるだけだ。
ブレーキをかけていたい強がる気持ちと、底知れぬ不安が心の中で綱引きする。
真人の首に見たジッパーの幻覚が頭をよぎる。
「なんだよ。歯切れがわりーな。いまさらカッコつけんな。いいから言ってみ?」
「気持ち悪い。なんでもお見通しだって態度がむかつくわ」
無理やり毒付いて、心を落ち着かせようとする。
でも、無理だ。
どんなに頼もしい何人もの味方とネット上で繋がっていても、足りない。
言葉だけじゃ支えられない。
怖い。一人でいたくない。
「わかりやすいんだよ、お前。こんなんじゃ帰っても寝れねーわ。どうしてくれる」
「なにその脅し。あんたが受験失敗しても私のせいじゃないんだけど」
できるだけおどけた調子を演出しようとするが、タッタの顔は一層険しくなる。
「いいから。ヤツのライン見せろ」
「なんで、やだよ」
「書いていたのは本当にグループラインに書いてた要件だけか」
睨まれて、つい黙り込んでしまう。
これじゃあノーと言ってるも同然だ。
自分の単純さが嫌になる。
「……家が割れた。留守の間に私の家の鍵を届けに来たんだ。彼、真人と接触してる」
「は? 家の鍵って、なんでそいつが」
「落としたからに決まってんじゃん」
威張れることじゃないのはわかっているけど、こんな間抜けなこと、開き直るしかない。
元々眼力の強いタッタの目がますます吊り上がってキッと三角になる。
「……わかった。俺、今日から昼間お前ん家で寝る。秒で支度してくるから、唯人か真人にベッド開けるよう頼んどいてくれ」
「そんな。いきなりなんて言えば……」
「知るか! クソうっかりなお前が悪い。いーからなんとかしとけ。じゃあな!」
タッタはテーブルの上の南蛮弁当をぶんどって、さっさと外へ出て行ってしまった。
スマホを見るとじきに八時を指すところだ。
二人ともとっくに家を出ているころあいだ。
どうせ、時間的にかちあうことはない。
悪いが、事後報告にさせてもらおう。