18 無防備な私の家族
他に選択肢がなかったとはいえ、会う約束をしてしまったことに後悔の念がわいてきて、達弘の送ってきたスタンプのウサギがウインクを繰り返す画面を眺めながら、細く息をついた。
連れがいるなんて言ってしまって本当によかったのだろうか。
達弘に顔が割れたらタッタやタッタの家族まで危ない目に遭うかもしれないのに。
父を失った家族に、さらに辛い思いをさせるかもしれないのに。
ジッパーのことを知っているのは私だけじゃないと仄めかしたことで、達弘を牽制することができたはずだ。
私に何かあれば、仲間が動く。
そう感じさせることができたなら、実際に会うのは私一人でもいいんじゃないだろうか。
タッタは怒るかもしれないけど、でも巻き込むんでしまうのは怖い。
……絶対に連絡しろと念を押した、タッタの去り際の背中が浮かぶ。
考えるのが嫌になってスマホを投げ出しベッドに寝っ転がると、真人が間仕切りの向こうから私のスペースに入ってきた。
首だけを起こして顔を見上げる。
「げ。なーんでそんな怖い顔で睨むの。俺、なんかしたっ?」
真人が間仕切りを掴んだ状態で固まって、抗議する。
「別に、睨んでないよ。で、何」
思ったより低く掠れた声が出た。
いやいや、そんな言い方怖いだろう、と自分でも思う。
寝っ転がったまま対応するのはあまりにも態度が悪いと思い、体を起こして真人に向き合った。
「ねーちゃん、そんな顔してたら顔中しわっしわになるよ?」
「は。なんで、しわっしわ?」
「あーそこ、眉間? でいいんだっけ。超しわ。やばい」
指摘を受け、眉の間に手をやる。
不安に流され、普段考えないことを考えてるからだろうな。
黙って指で皺を伸ばした。
うん。眉のあいだね、眉間で合ってるよ。
心の中で応答する。
真人はさらに続ける。
「俺、心配してんの。ねーちゃんなんかこないだからいつもに増して……えっと、きょどーふしん? だからさ」
珍しく四字熟語なんか使って尋ねる。
「あはは。そうそう、挙動不審で合ってるよ。睡眠不足になる程勉強してんだもんな! 語彙力上がってるわ」
「んだろう?」
いつもと変わらない感じが出るように、軽くからかってみせると真人は得意げに顎を上げた。
試験勉強の出題とはなんら関係ないとは思うが、なんにしろ語彙が増えているのはめでたいことだ。
もっと褒めてくれていいんだよ? と言わんばかりの得意げな顔を見ていると、おかしくもないのに笑顔になる。
もしも真人に尻尾があったならぶんぶん振れていることだろう。
ちょっとおバカだけど、いい子に育ったな。
唯人なら嫌味と疑っただろう言葉も、真人はそのまま受け取る。
本当に人を疑うことを知らない素直なやつだ。
——玄関までYシャツのボタン外したまま走ってきたよ。インターホンにも出ないで、無防備だよね——
ふと頭の中に達弘の言葉が蘇り、玄関で見た真人の後ろ姿が浮かんだ。
それから鍵を拾ってくれた時の首の後ろに見た、ジッパーの幻影も。
突然に襲われた痛みに耐えるように、息を止め、堅く目を瞑る。
いま頭に浮かんだものが、もしも現実になったら。
私は自分が許せない。
二度と無防備に玄関を開けたりしないよう、うんと怖い話でもして脅しておかなければ。
ビビリな真人が震え上がるようなやつを。
「あのさ、真人……」
呼びかけると同時にインターホンが鳴った。
真人が「はーい」と外まで聞こえるような声で応え、慌てて部屋を出て行こうとする。
引き止めなければ。
思わず大きな声で叫んだ。
「ちょっと待て、真人!」
「えっ、何? 誰か来てるんだけど?」
怯えとまでは行かないけれど、ちょっと驚いたような、困惑したような顔で振り返る。
「あのね。チャイムが鳴ったら玄関に行くんじゃなくて、まずはリビングのインターホンに出て返事すんの。画面に出てるのが知らない人だったら居留守を使わないと危ないんだから」
「う、うん。でも……」
再び玄関で音が鳴る。
音に急かされ真人がキョロキョロ落ち着きなく首を回した。
「詐欺とか、暴行とか、勧誘とか。色々あるから、マジで気をつけないと」
痺れを切らした訪問者が玄関ドアを叩き出した。
大きな声で急かしてくる。
「おーい、いるんだろ! 早く開けてくれよ」
「げ。……ねーちゃん、これ。やばいやつ?」
真人が私を振り返る。
いや、これは、たぶん、というか間違いなく……。
「いいから、まずインターホンの画面を見てこい」
「わかった」
指示に従い、一目散に真人は階段を駆け降りた。
私は階段の上から顔を出し、下の階の様子を伺う。
ちょっとしてリビングの方から呆れたような真人の声が聞こえてきた。
「はぁっ、にーちゃんかよ。 また鍵わすれたん?」
やっぱりそうだったか。
一見私や真人の方がうっかりに思われるが、実際忘れ物が多いのは唯人だ。
なんでも要領よく切り抜けられる唯人より、すぐにテンパる私たちの方が、失敗経験が深く刻まれ学習できているのかもしれない。
「怪しいやつ確定だから開けないのだ。わはは」
階段の上がり場で聞き耳を立てていると、リビングのほうからからわざと通話で焦らしているのが聞こえる。
バカだな。調子に乗って。
鍵開けた瞬間やられるの、わかりきってんのに。
頭を押さえ、ため息をつく。
案の定、玄関の鍵を回す音がした直後、バタバタ不穏な音が響いた。
「ねーちゃんの言うとおりに防犯を意識したら、暴行にあったんだけど……」
とぼとぼと階段を上がってきた真人が右手で耳の下をさすりながら訴える。
玄関扉を開けた途端、唯人が締め技をかけようと真人の首に腕を引っかけたらしい。
後から大きな足音を立てながら上がってきた唯人が、後ろから真人の頭を叩く。
「何を言いつけてんだ。おめーが調子に乗るからだろが。バカちん」
「唯人、あんた鍵ちゃんと持って出なよ。真人に誰彼構わず玄関開ける癖がついてる。危ない」
真人がチャイムと共に玄関を開けてしまうのは、唯人がしょっちゅう玄関を開けさせるからに違いない。
「別に、こいつが不注意なのは生まれつきだろ」
俺のせいじゃないというわけか、
唯人が言い終わるかどうかのタイミングで玄関の開く音がして、母の怒号が上がってきた。
「なに、この玄関。こら、唯人。靴ちゃんと揃えな! 狭い玄関なんだから避けてくれんと脱ぎ場がないわ」
あちこちから言い上げられて短気な唯人がブチ切れる。
「はーいーはーい! わかったっつーの。そもそもかーちゃんが閉めないから、俺に鍵なんかいらねーんだし」
切れたところで結局いいお返事で降りていくのが、唯人の憎めないところだ。
しかしなるほど。そっちもだったな。
母より遅く帰宅するとすでに鍵が開いていたことがあったのを思い出す。
つまり、部活帰りの唯人が帰る頃にはだいたい開いているから鍵を使うことがないんだ。
遅く帰宅する父は、さすがに閉めてくれているだろうけど。
鍵の件は夕食の時にでも改めて皆に念押ししておこう。
拗ねた真人が自分たちのスペースに戻ると、ベッドの上のスマホが音を立てた。