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首のアレ  作者: 遠宮 にけ ❤️ nilce
 〜もしも彼の首に〇〇がついていたら?〜 笹川有希編
16/24

16 真人の首

 自宅の玄関扉の前にしゃがみ込んでタイルの上にトートバッグの中身を出し、ひっくり返してもそれは出てこなかった。


「ちょっと、もう……嘘だぁ」


 朝、家を出た時にはあった。

 最後に出たのが私だったんだから、確実だ。

 回した時に感じた手応えまで、はっきりと思い出すことができる。

 私は自分の雑さを自覚していてやや強迫的に確認する方だから、これまで鍵や財布のような大事なものを置いて出たことなんか一度もない。

 なのに、どうして見つからない?

 

「ねーちゃん?」


 頭の上から声が降ってくる。

 まだ声変わりはすんでいない、だけどもうはっきりと誰が聞いても男の子だとわかる声が。

 真人だ。

 部屋の窓から身を乗り出した真人は、庇を避けて見上げた私と目が合うと困りごとを一目で察したようだ。

 待っててとハンドサインをして、ドタドタと音を立てて階段を駆け降りてくる。

 私は玄関前に広げてしまった中身を急いでバッグに突っ込んだ。

 頭を上げた途端、勢いよく扉が開く。


「おかえりっ」


 ぎりぎりぶつけられるのを回避できた。

 ホッと胸を撫で下ろす。

 大事なものをタイルの上にぶちまけた私も考えなしだが、真人も大概予測する能力に欠けている。

 中学生らしいっちゃあらしいのだが、親切な割に感謝されないことが多いのはそのせいだろう。

 よく知ってるからこれから起きそうなことがおおよそわかったが、他人じゃそうはいかない。

 褒めてもらうのを待っている子犬のような目をして真人は拳を差し出した。


「ふふーん。鍵が見つからんのだろー。ほれ、これ。忘れ物だって」

 

 目の前に見慣れた宝貝のキーホルダーが揺れている。

 その先についているのは探していた家の鍵だ。

 真人はお世辞にも要領の良いタイプじゃない。

 気が優しくて親切なのだけれど、相手が何をしているかまで気が回らなくて怒られてしまうことが多い不器用な子だ。

 その真人が私の困っていることを察し、頼む前から玄関を開けに来てくれるなんて、妙だと思った。

 鍵を持っていないのを知っていたんだ。


「ありがと。でも、なんで真人が持ってんの?」


 真人は得意げに胸を張る。


「男の人が届けに来たんだよ。同じ大学の人だって。ねーちゃんに渡そうとしたんだけど、全然追いつけなかったって言ってた。すげー走るの速いって驚いてたぜ」


 教室から逃げ出した私を美夏も、克己も教室のジッパー達も追わなかった、追いかけてきたのは、一人しかいない。

 三原達弘(みはらたつひろ)

 あの時、赤レンガ広場の方から私の名を呼んだ、間延びした声がこだまする。

 わざわざ私の家まで訪ねて来たの? 

 うちは実家で、大学でできた友人など一度も誰も呼んだことがないのに。

 住所を頼りに訪ねてきたってこと? 

 本人にライン一つもよこさずに?

 家は割れていると思っていたほうがいいというタッタの声が蘇る。

 教えたのは美夏なのだろうか。

 それに、この鍵は、いつ?

 思わず手を滑らせて、落ちた鍵がタイルで嫌な音を立てる。


「もー。これ、俺が修学旅行で買ってきたキーホルダーだろ? 割れちゃってもいいのかよ」


 拗ねたように口を尖らせ、真人は私の代わりにタイルに落ちた鍵に手を伸ばした。

 大事な宝物でしょ、と言わんばかりだ。

 自己肯定感の塊のような姿が眩しい。


「ごめん、悪かった……」


 目を落とすと、屈んでキーホルダーについた砂を払う真人の髪を短く刈り込んだ、まだ子供らしさの残る細い首筋に釘付けになった。

 きらりと夏の日差しを跳ね返している銀色のこれは、何だ。

 ジッパーの引手?

 ウソ、ウソ、ウソ、ウソだ。

 違う。

 そんなわけがない!


 思わず真人に覆い被さり、見たくないものを隠すように両手で首の後ろに触れた。

 不思議がる声が、真人の頭蓋骨から直接私の頬に響く。


「ちょ、危ないよねーちゃん。何すんの」


 指には予想していた感触がなかった。首の後ろに触れるものがない。 

 顔を上げて間近で首を観察する。あるのは見慣れた白くて細い、まだこどもの首だ。

 本当に見間違い? 

 心配しすぎて幻を見たのか。

 適当な言い訳をして、体を離す。


「ごめん、急に立ちくらみがした。熱中症かな」


 あからさまなごまかしに、思いもよらない反応が返ってくる。


「えっ、ねーちゃんも? 俺も今日なんか変だったんだー。鍵を受け取った後、気づいたら玄関で寝ちゃってて、自分でビビった。そこまで疲れていたとはな。やっぱ、勉強のしすぎだよなあ」

「何を言うか。十時にはあんたのイビキが聞こえてたけど?」


 鼻炎持ちの真人はよくイビキをかいている。

 こっちは子守唄程度にしか思っていないのだけれど、思春期男子には屈辱だったのだろう。

 真人は口を尖らせて怒った。


「はっ? オレ自分がいびきかいてんのなんか聞いたことねーからっ! にーちゃんだろ、それ」


 そうだな。

 自分では自分のいびきは聞けないもんな。

 私は目を見開いて寝ているらしいし、唯人などたまに大声で夢を実況中継してる。

 それに比べたら寝息がちょっとざらついたみたいな真人の小さないびきなんて、ぜんぜん可愛いものなのに。 

 真人は絶対に認めない。


「はい、鍵! もう無くすなよっ」


 私の手のひらに鍵を押し付けると、真人はぷいっと背を向けた。

 怒りに任せてどかどか足音を立てて廊下を歩く背中を見つめ、肩が広くなったなと思う。

 ほんの少し前まで薄っぺらくて、私ともそう変わらなかった背中が、どんどん男になっていく。

 この時期の男子は成長著しい。

 子供だと思っていた真人も、背はもうとうに私を超えている。


 改めて覗き見た首の後ろにはおかしなところなど何もなかった。

 幻を見るなんて、よっぽどだな。

 ふうっと大きく息をつき、受け取った鍵を鞄にしまおうとキーホルダーを握ると、少しざらっとした感触があった。

 見ると、宝貝は艶のある表面が少し欠けていた。

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