15 つながりは得たものの
「結局、千冬さんは貝島でいなくなってたの?」
「わからん。アメリカに短期留学していた秋幸さんが、帰国後みやげを渡そうとして連絡が取れないことに気がついたのらしい。前期テストは受けていたが後期の履修登録は卒論以外真っ白だったというから、何かあったのだとしたら夏休みの間だろうって憶測が立つだけだ」
「でもまあ、四回生だし。後期の登録がないことも普通にありうる」
あれから千冬さんの件はどうなったのだろうか。
私が美夏から話を聞いたのは高二のあの一度だけだ。
何も言ってこないのは落ち着いたからなのではないかなんて楽観的な憶測を立てながら、どう触れていいか分からずにいるうちに、月日だけが過ぎてしまった。
あれからもう三年が経とうとしているのだ。
家族もさすがにそのままにしてはないだろう。
何か考えるように左上へ視線を上げていたタッタは、すっと私の正面に視線を下ろした。
「そうか、敦史の研究対象って貝島の神隠しか……」
「へ? そうなんじゃないの? 美夏の代わりにやろうとしてんだって思ったけど」
受験生の頃、美夏の志望校はなかなか決まらなかった。
上二人を追って上京したいというのが本心だったのだと思う。
両親に反対されたという。
美夏を県内から出さなかったのは、千冬さんのことがあったからに違いなかった。
上池は美夏の代わりに千冬さんの足取りを追おうとしている、私はすんなりそう理解していた。
「なんだよあいつ。たまたま秋幸さんと一致したとか微妙にぼかしやがって。……まあいいや。ともかくもそういうわけだから、あの二人なら山﨑のことも、首のジッパーなんておかしな話だって真剣に考えてくれるはずだ」
「まぁ、他でもない美夏のことだしね」
奇怪なことには慣れているとはいってもさすがに荒唐無稽だとは思うが。
ジッパーに危険視されているだろう私に人のことを考える余裕なんてないのは承知だけれど、でもそれでも美夏のことを一番に考えてくれる人に理解してもらえてよかった。
「ところでお前、明日からどうするんだ。まさか大学にはいかねーよな?」
「さすがに、もう怖いかな。でも自転車も置いてきちゃったし、前期試験も近いのにサボり続けるわけにも……」
正直なところどうしたものか、何も思い浮かばない。
スマホを取り出してもう一度LINEを確認する。
美夏に当てたメッセージはやはり既読になっていない。
……ブロックされたか。
意図的に無視されているのかどうかは、島に着いた上池と連絡が取れればはっきりする。
美夏以外の連中はどうだろう。
克己は、それから達弘……もしかしたらすでにジッパーなのかもしれない学科やサークルの友人たちは、このまま私を放っておいてくれるだろうか。
不安になり思わず自分の両腕をさする。
「この後、うちに来ないか」
「は?」
ほんの小一時間前に、男の部屋に一人で入るもんじゃないと諭した口から思いもよらない言葉が飛び出し、思わず声が裏返る。
なんのために暑い中外で時間を潰したんだよと言いたくなる。
「ジッパーの中には山﨑がいるしお前の家は割れてると考えておいた方がいい。俺がイサキの部屋で寝ればお前が過ごす部屋くらい確保できる。メバルだっているから男だけになることもないし、母さんもお前なら……」
「いや、帰るよ」
筋の通った理屈をつけるために双子の弟妹の名を出したのだろうタッタの提案を、私はキッパリと断った。
家を空けて身を潜めろと言っているんだよね。
でも場所が割れてるならなおさら、空けることなんかできない。
もしもジッパーが私のいない家を訪ねてきたら、家族はどうなるんだ。
人を疑うことを知らない人の良い私の両親は、のんきな真人や、なんだかんだ面倒見のいい唯人は、簡単にほだされてしまうんじゃないか?
「何も知らない家族を置いて、自分だけ安全な場所へ避難するなんてことは、できない」
夢みがちな真人はともかく、リアリストな唯人や常識人の両親には、こんな話、厨二病だと笑われるがオチだ。
話しても全然信じてくれなくて腹抱えてバカにされるのまで目に浮かんじゃうけど、家族を守る責任が私にはあるはずだ。
話すことイコール巻き込むことになると考えると簡単には話せない気もするし、悩ましいけど……。
タッタは何かを考え込むようにぎゅっと目を瞑り、右手の親指と人差し指で両の目頭を押さえた。
「……そうか、そうだよな。わかった。俺、夕方から予備校行ってそのあと朝までバイトだけど、何かあったらすぐLINEしろよ。できるだけ早く読むから。グループLINEなら敦史や秋幸さんも力になってくれる」
「うん。明日からのこと、よく考えてみる。悪いけどまた話聞いて」
「おう。んじゃ、帰るぞ。うっさい双子が戻ってくる前に一眠りしとかないと」
浅黒い顔に黄色いくまを拵えたタッタが腕を天井に伸ばし、大きくあくびをする。
昔からタッタは眠気に弱かったな。
毎年空手のおばあちゃん先生が世話してくれてたキャンプでも、怪談話が始まる前に涎垂らして寝ちゃってた。
星がすごく綺麗だったのに、残念だなって思ったのを覚えてる。
せっかくの夜に寝てたらもったいないじゃないかって。
部活が忙しいことを言い訳にして私は空手をやめたけど、タッタは今でも続けている。
唯人が言うには大学受験の年を除いて、キャンプにもずっと来ていたらしい。
タッタは道を選んで、如月と天神大橋近くの自分の家との間にある、私のアパートの前を通ってくれた。
別れ際、念を押される。
「寝てるかもとか遠慮せず、緊急の時は電話くれ」
「いいからさっさと帰って寝なよ。ちゃんと頼りにしてるから」
言いながら、巻き込んで申し訳ないという気持ちになる。
散々混乱した末、やっと自分の人生を考えられるようになったのだろうに、たまたま電車で私なんかと鉢合わせてしまったがために、また大事な時期の大事な時間を奪われようとしているお人好しの幼馴染を不憫に思う。
「眠れねーよ。安心できる要素が一個もない」
「わかったって。些細なことでもいちいち連絡する。しつこく鳴らして叩き起こすから!」
「絶対だぞ」
何度も振り返るタッタの背中を見送り、ひとりごちる。
「さて、これからどうしたもんかね」
このまま私を放っておいてくれないだろうか、なんて都合の良いことを考える。
そんなわけないよな。
誰かれ言い回られるとやっかいなはずだから。
だからといって黙ったら負けだ。
しかし対策しようにも私には情報がない。
あちらは私の何もかもを知っていると言うのに。
ため息をついて玄関扉の前でトートバッグの中を弄り、私はあるはずのものがないことに気がついた。