13 父の足跡
「秋幸さん、だって。タッタと美夏のお兄さん、いったいどういうつながり? 私たちが美夏と知り合った頃にはその人上京してたよね」
親友のあたしですら会ったこともないのに、名前で呼んだりしてずいぶん親しそうな口ぶりだった。
しかも上池までタッタと秋幸さんの仲を承知のようだ。
年上だし、通常交流のない人にあんな呼び方はしない。
タッタは、あぁーとまのびした声を出し、爪の伸びた指でこめかみのあたりを引っ掻いた。
「ちと込み入ってんだ。話せば長くなる。歩きながら話すわ。ゴミ捨てに如月まで戻ろう。いいかげん暑い」
「んだね。飲み物も切れたし」
眼前で空のペットボトルを振る。
私たちは二つの袋にゴミを仕分けし直し、月の瀬橋の影から出た。
風がなく影でも蒸される暑さだったが、陽の下に出ると今まさに焼かれていると実感する。
トースターに置かれた食パンになったみたいだ。
タッタはうっすら底の方に残っていたお茶を飲み干し、話しはじめた。
「高三の春休み、敦史が入学するのに合わせて、夜行バスで伏木野まで行ったんだ。進路が白紙になって暇だったし、引っ越しの手伝いって名目でな。気晴らしになるからって親を説得した」
「一人で上京したの? よく許してもらえたね。だってお父さんがいなくなったのも確か……」
東京でしょと続けようとすると、タッタが答えを先取りする。
「伏木野。最後に確認されたのは伏木野の貝島ってとこだ。葬式で再会した学生時代の知人とジェット船に乗って向かったらしい」
「貝……島」
伏木野は、東京湾埋立計画によって川崎と木更津の間を繋いだ湾奥につくられた新しい都市だ。
遠浅の海を埋めて空港、国際貿易港を建設し運河と高速道路を張り巡らせ、都市機能を東京から移設しようと鳴り物入りで開発がはじまった。
しかし、地震による液状化で地盤改良に大幅な遅れが生じ、また地盤の不安に生物環境への甚大な被害が見つかったことも重なって、計画は何度も中断された。
うちの親が子供の頃から計画されていたというのに、未だ人工島拡張工事、交通網整備の真っ最中だ。
当初は新たな工業敷地としても期待されていたが、安全面の懸念から企業の誘致が進まず、東京にほど近い伏木野大学周辺はともかく、道路ばかりが伸びた人気のない臨海部は、治安がいいとはお世辞にも言えなかった。
「お父さん、島に行くことを、最初から予定してたの?」
タッタは空のペットボトルを握りつぶし、プラごみをまとめた袋に突っ込んだ。
「わからない。親父は葬儀のあった茗荷谷の寺を出たあと新橋で飲んで、竹芝埠頭から伏木野の貝島へ向かってる。後輩の荒木六郎って男に誘われてな」
「そんなことまでわかってたんだ」
葬儀にはタッタの父親の友人が多く参列していただろう。
当日なにがあったのか、事情を知っている人などすぐに見つかりそうなものだ。
「敦史の引っ越しの手伝いなんてのは口実。俺が上京したのは直接、親父の足跡を辿ってみたかったからだ。すでに荒木とも約束を取り付けていた」
「うわ、あっぶな。どうやって連絡取ったの。警察だってそこまでは教えなくない?」
「母親が興信所に頼んで調べさせてた。隠してたつもりみたいけど、あの人片付け下手だからな。報告資料に見つけて直接連絡した」
「そしたら返事が来たってわけ? 危険すぎるよ」
美夏の心配するより自分の身を守れなんて言っといて、自分はこれだよ。
高校出たばかりのガキが一人ですることじゃないだろうに。
呆れたのと行動力に圧倒されたのとで力が抜けて、ため息が出た。
「んで、会えたの?」
「いや。竹芝客船ターミナルの待合所にあるカフェで会う約束だったんだが、音沙汰なし。顔を知らないから確認しようもねーしな。失策だった。で、仕方なく住所を頼りに島に押しかけた」
それで、と尋ねたタイミングで、如月の駐輪スペースから自転車が飛び出してきた。
警告のベルが鳴り、タッタが庇うように一歩私の前に出る。
自転車をやり過ごすと、再び彼の横について顔を覗き込んだ。
見たことないような暗い顔。
「タッタ?」
「……なんもなかった」
「なんもって?」
タッタが深い息を吐く。
「なにもかもだ。建物がなかった。信じられるか? 保存した資料やストリートビューで確認した時には写ってたのに、更地だったんだ。築浅の綺麗な家がだぞ」
「場所が違ったってことはないの?」
「んなヘマすっかよ」
親を出し抜いてこんなことをしでかすほど用心深いタッタが、何度も確かめなかったはずがない。
「親バレ承知で興信所に直に連絡とって現地確認までさせた。なのに家どころか荒木のことを、知っている人も誰一人見つかんねーんだ」
「デタラメな調査だったってこと?」
「わからん。探偵は、冷や汗かいて調査の時と全く違う、まるでそっくりそのままの別の星に来たみたいだなんて言ってたよ。嘘ついているようには見えなかった。……はは。ジッパーに負けず劣らず荒唐無稽な話だよな」
そのちょっと信じがたい話を一緒に抱えてくれたのが上池。
だからタッタは彼なら免疫があるなんて言ったのか。
如月の店内に入り、ゴミ箱に燃やすゴミ、プラごみとそれぞれ袋を突っ込む。
「すずしっ。ね、アイスとか食べたくない?」
冷房の効いた清涼な空気に心まで洗われるようだ。
「それが喋るのに向いてる選択だと思うか?」
焦げた額から汗をこぼしながら白い歯を見せるタッタに、一瞬見惚れる。
色の黒いのは昔と変わらないが、小さい頃はヒョロヒョロで目ばかりが大きな痩せこけたネコみたいだったのに、首も肩もがっしりしていて逞しい。
今ではネコなんて言えない。トラやヒョウの類だ。
私はこどもの頃と変わらない編み棒のような腕を伸ばして、無邪気を装いタッタの手を引っ張った。
「ちょっとぐらい涼んだってバチ当たんないよ。人に聞かれたくない話はもう終わったし、イートインしよ」
「わかった。わかったから」
タッタは慌てた様子で腕を振り払った。
びっくりして見上げると、振り払われたのは私なのに、なぜかタッタのほうが傷ついたような顔をしていた。
「気軽に触るもんじゃねーんだよ。人の身体は」
「……うん、ごめん。でも家に着くまでに話終わんないよね。まだ秋幸さん一ミリも出てきてない」
言いながらなんだか叱られたいいわけをしているみたいだなと思う。
「まったく。いつまでもガキじゃねーんだぜ」
お前以外は。
私はタッタの言葉に言外の意味を当てはめ、自分で自分を傷つけた。