12 美夏の恋人
あくまで私の存在を無視する上池の発言をわきに置いて、タッタが私に話を振った。
「笹川、敦史に確認したいことがあったんだよな」
「えっ。あ、うん、そうなんだけど」
口ごもる私に上池が呆れたようにため息をつく。
「なんだよ。さっさと言えよ」
ただでも焦ってるのに、急かされると頭が真っ白になる。
なにかとせっかちな上池とは生きているスピードが違いすぎて、まったく相性が合わない。
「か、上池は美夏の首に何か違和感を持ったことはない?」
上池のあからさまな悪感情に気押されて、思わず頭に浮かんだ言葉をポンと投げ出してしまう。
「は? 首? 違和感ってどういうこと? 意味わからんのだけど」
やりとりを聞いていたタッタが隣で吹き出した。
「ぶは。なんだその質問。さすがに答えようがないと思うぞ、それ」
「だって、上池が急かすから」
「は? 俺のせいかよ。……ちゃんと分かるように言ってくんない? お前のペースに合わせてやるから!」
最初にタッタにも説明したジッパーを巡る一連の流れと、美夏からの電話のことを上池に話した。
話し始めは何から言えばいいかわからなくて話があちこちしたが、次第に慣れて説明もスムーズになる。
上池から話を遮られることも、質問されることもなかったからかもしれない。
それにしても一度人に話したことなのに緊張すると言葉にならなくなるの、なんとかならないものだろうか。
「そういうわけで、どんなことでもいいんだ。美夏について上池が知っていることを教えて欲しい。最後に会ったのはいつとか、どんな様子だったとか、気づいたことがあったらどんなことでも」
沈黙が流れ、スマホの向こうで車の行き交う音が聞こえる。
上池も出先なのか。
交差点を渡っているのだろう。メロディ信号の音がうっすら入って遠ざかる。
「五月半ばくらいまで普通にLINEはあったけど、リアルで最後に会ったのは春休みだな。帰省した時、俺の誕生日を祝ってくれた」
「上池から見て、美夏の身体に変わったところはなかった?」
一瞬、上池が口ごもった。
「別に。なんもなかったはずだけど」
「首とか背中も、よく見た?」
「……だから、なんもないって」
「お前、それ以上はセクハラだろ」
タッタの指摘に、自分の質問は執拗に美夏を脱がせたかどうか確認しているようなもんだと気づく。
まだ肌寒さの残る季節だ。
首の後ろや背中は、普通の状態ではわざわざ見ることはない。
「あ……そっか。ごめん。あと、もう一つ聞いていい? 答えづらいことかもしれないんだけど」
「これ以上気まずいことなんかないだろ。別に嫌なら答えないし」
上池が嫌味ったらしくため息をつく。
「上池、美夏とはほんとに仲良かった?」
「……どういう意味だよ」
「や、別れた経緯はタッタに聞いたけど、ほんとに前触れなくフラれたのかなって思って」
さすがに失礼だっただろうか。
「前触れなんかなかったよ、全然。LINEのやり取りスクショして貼ろっか?」
「そこまではいいよ」
尖った声色に、慌てて断りを入れる。
いきなり切り捨てるなんて、美夏らしくないな、と思う。
上池が鈍くて、幾度となく出されていた美夏のサインに気がつかなかっただけなのかもしれないけど。
タッタが眉をしかめる。
「にしても妙だよな。山﨑の誕生日プレゼントについて話した後すぐって言ってたろ。別れ話が来たの」
「二日後。いきなりだぜ。こっちの質問には一切答えず、一方的にね」
上池の声に苦い感情が滲む。
翌々日か。
直後とは言ってもその間連絡がなかったというだけで、時間は空いてる。
「その二日の間にどういう心境の変化があったんだろう。私も美夏が克己と付き合うなんて、想像したこともなかったよ」
「笹川は二人のことをいつ知った?」
「美夏の誕生日当日。お祝いした時に直接聞いた」
上池がほっと息をつく。
「ってことは、時期がかぶってたわけじゃないんだな」
「あー、たぶんね。私そういうの鈍いから、定かではないけど」
これは思ったとしても言わなくて良かったことかもしれない。
ひとり反省している私をよそに、上池は大きく安堵の息をついた。
「まあでもちょっとほっとしたかな。無理に嘘つかせてたのかなとか、実は彼氏に覗かれながらLINE打ってたんじゃねーのとか、疑う気持ちがどうしても消えなくてさ」
「げ、きっつ。なかなかに思い詰めてんな。もっとポジティブな感じかと思ってたわ」
ひえっとタッタが顔を歪める。
上池は普段相手の気持ちをあれこれ考えたりしなさそう見えるけど、恋に落ちると人は妄想逞しくなるものなんだな。
そんなふうに疑心暗鬼になっていたらしんどくもなると同情してしまう。
「まぁ、ポジティブっちゃあポジティブかもな。まだ俺のことが好きなはずとも思ってるし。タッタだって似たようなもんだったろ?」
「え、俺ぇ? いや……ところで敦史はまだ山﨑にしつこくLINE送ってんの?」
急に矛先を向けられたタッタは変な声を出し、あからさまに話を逸らした。
タッタも恋したりするんだ。
浮いた話は聞いたことがないと思ってたのに。
意外とテンパる様子に、自分だけ子供のまま取り残されたかのような妙に寂しい気持ちになる。
上池はタッタの質問に強い意志のこもった声で答えた。
「このままじゃ納得かないからな。ちゃんと説明して欲しいとは伝えてる。返事はないけど」
「既読は? まだ付くのか」
「はー。これがまた、すぐ付くんだから割り切れない」
ふーんと上池の返答に視線を右上にあげて、しばらく首を捻ったあと、タッタが口をひらく。
「試しにこの後、いつもの感じで山﨑にLINEを送って既読がつくか見てみてくんねーか。谷田とのケンカを聞いた後、笹川がLINEしてるんだが既読がつかない。何事もないとは思うが、気がかりだ」
「わかった。でもこれから数時間電波が切れるかも。連絡船に乗って秋幸さんと島に入るんだ」
外を歩いているようだと思ってはいたが、上池は乗船場へ向かっていたのか。
何に驚いているのか、タッタが大きな目をさらに見開く。
「山崎の兄貴と? なんで」
「たまたま調査場所が一致してね。秋幸さんは、学部生の頃から定期的に島を訪ねているらしいんだ。便乗させて貰えば、知り合いのいない俺が単身で乗り込むよりスムーズにことが運ぶだろ? 島には電波がきてるはずだから、あとでここに報告するよ。……そうだ。山﨑の話、秋幸さんには伝えてある?」
「そのへんも頼む。俺、繋がってなくてさ。だいぶ荒唐無稽な話だが、秋幸さんなら驚きもしないだろ。グループに誘ってくれると助かる」
私を置いてけぼりにして二人は話をどんどん進めていく。
伏木野大学理学部にいるという美夏の兄は秋幸さんというのか。
美夏の兄は私たちが高校に通っていた頃にはすでに大学生だったから、私は一度もお目にかかったことがない。
年齢的に考えて、いまは大学院に通っているのだろう。
高校で初めて美夏と知り合ったタッタだって私と立場は同じはずだ。
同じ大学とはいえ人文学部の、それもまだ学部生の上池や、どう考えても接点が浮かばないタッタが、なぜこれほどまでに親しげに美夏の兄の名を呼ぶのだろう。
まるで共通の知り合いのように。
「遅いな、秋幸さん。そろそろ出港なんだけど。LINEが来てるかもしれないから、切るわ」
「おー。んじゃ、またついたら連絡くれ」
通話が切れてから、上池が一度も私の話を疑わなかったことに気がついた。