1 見てはならないものを見る
達弘の首にジッパーがついているのを見たのは、大学のサークルメンバー四人で鏡川中流にある石舟寺近くの河原に集まって、花火をしていた時だ。
天の川の細かな粒までくっきりとした、月のない夜だった。
*
美夏はジャーンと軽々しい効果音を付けて、背中に隠していた線香花火を出した。
手作り感たっぷりの古めかしい藁製のものだ。
「最後はやっぱり線香花火だよね」
「待ってましたっ! 最後まで生き残ったやつが王様ってやつだな? お前らなんでも言うこと聞けよ」
克己は袖をまくって太い腕を見せつけ、いきなりガッツポーズを決めた。
白い頬を膨らませ、美夏は暴走する克己を諌める。
「違うわよ。……ったく、風情がないわね。誰もそんな賭けになんか乗らないから。だいたい、なんで克己が勝ったことになってんの。達弘も有希もひいてるよ?」
「なんだよ、もっと盛り上げようぜ」
隣の達弘が勝負を受けて立った。
「俺は乗ってもいいよ。やろう、克己。勝負だな」
相変わらず、感情の読めない能面のような顔だ。
見た目からして活発な美夏や克己と違って、教室の隅でしらけているようなタイプかと思っていたのに、案外お祭りごとが好きなんだな。
「ウッソ、乗るの? もー男子だけでやってよね。万が一克己が王様になったらどんなことになるか。考えただけでもぞっとする」
「はぁっ? お前、何変な妄想してんだよ。ばかじゃん」
「いいから。はやく、渡せよ」
達弘に急かされ、美夏は視界に落ちてきた色素の薄いウエーブした髪を後ろへ流し、線香花火を選り分ける。
一本ずつ花火を配ると、拗ねて唇を尖らせている克己に、勝負は一回だけだよと念押しする。
藁でできた線香花火は驚くほど頼りない。
こんなのわざわざ揺れるように作ってあるとしか思えないな。
気休めにしかならないだろうけどと思いながら、手にかいた汗をジーンズになすりつけて持ち直す。
「では、いざ勝負!」
達弘の声を合図にろうそくを囲んだ私たちは、同時に線香花火の先を炎の中に差し入れた。
藁が揺れて私の花火が克己のものとくっつく。
「あっ」
「やべっ」
一つになった大きな珠は一本細い線を吐いたきり、ぽたりと落ちた。
「なんだ克己。口ほどにもないね」
達弘が目を細めてニヤリとする。
勝ちを確信し安堵して見えた瞬間、美夏が挑みかかった。
「達弘、代わりに私と勝負よ」
「あれ? 賭けなんて風情がないんじゃなかったっけ?」
「うっさいわね。気が変わったの!」
美夏は煽る達弘を一蹴し、線香花火の先端を真剣な顔で見つめた。赤茶色の大きな瞳に火花が映る。
盛り上げようとしたのに早々に負けてしまった克己が、可哀想になったんだろうか。
なんだかんだ昔から美夏はやさしいから。
「なんか、ごめん」
分厚い肩をすくめて小さくなった克己に声をかける。克己は気まずそうに頬を掻いた。
「別に、有希のせいじゃねーよ」
「そうよ。自分で挑んだくせにミスする克己がどんくさいの」
「悪かったな」
「見てなさい、あたしが勝つから」
美夏の白いハイネックのカットソーがオレンジに染まって、夕焼けみたいに綺麗だ。
私も今日みたいな時は露出を控えた服を着てくるべきだったな。
虫にやられて、むき出しの手足のあちこちが痒い。
男子二人もジャージや長袖シャツを羽織って自衛している。
刺されまくっているのはキャミワンピにサンダルなんて露出の多い格好をしている私だけだろう。
彼らの所属する生物研究サークルでは夜釣りをしたり、ホタルやムササビの観察に行ったりするらしい。
そのため、みんな夜のアウトドア活動にも慣れてるのだ。
こんな無防備な格好をしているのは、この夏入部したばかりの私だけだ。
達弘の花火が藁の上で静かに光を失う。
珠を落とすことなく耐え切ったのに、残念ながら火薬切れだ。
「うそだろっ」
叫び声の少し後で、美夏の花火がぽたりと落ちた。美夏はふふんと顎を上げて宣言する。
「これであんたたちは、私のしもべね」
「どうやったって、俺に勝ち目なかったんじゃんか」
「諦めなさい。往生際が悪いわよ」
「くっそ」
達弘はうずくまったままグシャグシャッと頭を掻く。
「さ、撤収撤収。有希、懐中電灯お願い。ほら、敗者はバ・ケ・ツ!」
テキパキと片付けを指示する美夏の声に、慌てて肩掛け鞄から懐中電灯を取り出し、スイッチを押す。
その時だ。
私は見た。
達弘の首、襟足の長い髪の間でキラリと銀色のジッパーが光を跳ね返したのを。
蛭の口が吸いつくみたいに肉にぴたりと張り付いて、ヒラヒラしているのを。
どうしてそんなところにジッパーが……?
「おい、いつまでも凹んでねーで手伝えよ」
克己に腕を引かれて達弘が重い腰を上げた。ふらついて肩をぶつける。
「ほら。暗いからって、バケツ蹴倒すんじゃねーぞ」
「心配ご無用。俺は有希に線香花火ぶつけちゃう誰かさんみたいにガサツじゃないんで」
「んだと、てめー。心配してやったのによ」
やいやい言いながら、克己と達弘は使用済みの打ち上げ花火をバケツに拾い入れる。
あのジッパーはなんだったんだろうか……。
懐中電灯で彼らの足元を照らすふりをして、そっと達弘の首の後ろに明かりを向ける。
「ばかっ。眩しいだろ」
「あっごめん」
達弘の正面で屈んでいた克己が目に光を浴びて、顔をしかめた。
パッと懐中電灯の向きをバケツへと下ろす。
灯りを移した瞬間、達弘の首の後ろがキラめいた。
竿を振って投げ入れたルアーが水中で揺れて、日の光を返すように。