v1.0.27 理由
◇ ◇ ◇
「――まさかバレちゃうとはね」
七橋さんは、小さなため息のようなものを一つ吐き出すと、少し悲しそうに笑った。
掲示板に書かれた個人情報に「拉致監禁」という言葉があって少し気になっていたのだけど、なるほどそんな事があったとは。
「こんな事されたら、嫌いになっちゃうよね。私のこと」
「そりゃ、まあ……好きにはなれないわな」
……好き嫌い云々っていうより……怖いです正直。
なるほどつまり、今回の一件は、七橋さんが好かれるための策、だったわけか。
個人情報を晒された被害者である事で周囲の同情心を集め、さらに犯人を「謝罪一つで許す」という優しさや度量を見せることで、みんなからの支持をしっかり集める。
ついでに悪い子たちに見せしめをして、クラス内の不協和音――多分、特に女子の間でよくあるグループ間のいがみあいのようなもの――の発生を未然に防ぐ。
万が一思うような流れにならなかったとしても、あのミントが特定に手こずるくらいだ。恐らく七橋さんが犯人だとバレる事はない。
そこがバレさえしなければ、恐らくそこから立て直す方法はいくらでもある。
そもそもこんな事をしなくたって、七橋さんの人柄と人望があれば、好かれる事は難しくないのだし。
それにしても――
「こんな事までして、それで好かれて嬉しいのか?」
「んー、嬉しいと嬉しくないとか、そういうことじゃないのね」
「……?」
「好かれると嬉しい、じゃないの。好かれてないと不安、なの」
「不安、ね……」
俺だったら、人に好かれたら嬉しい。めちゃくちゃ嬉しい。だって人に好かれた事なんて、少なくともこの4年くらいの間はなかったから。
じゃあ好かれてなかったとしたらどうかと言えば、それは確かに少し寂しいけど、寂しいだけだ。それで不安になるとかそういう事はない。
でも、七橋さんは、それが不安だという。
……なるほど、つまり、そういう事か。
普通なら「人に好かれたい」っていうのは、マズローの欲求ピラミッドで言うところの「尊厳」みたいな、上のほうの欲求としてあるものだ。
でも、七橋さんにとってのそれは、生理的欲求とか、安全欲求みたいなもっとずっと低レベルな欲求だ、と。
実際、俺が今しがた「好きにはなれない」って言ってから、七橋さんは妙に落ち着かない様子になっている。多分、好かれていない相手の前にいる事が不安やストレスになったりするんだろう。
……なかなか難儀な性質を獲得されていらっしゃる。
まあでも、拉致事件の話を聞いたら、それも少しは理解できる。
ほんと、人は見た目だけじゃわからないものだな、と思う。
七橋さんみたいな人は、俺なんかとは全く違う星の下に生れた、何の苦労も知らず、ただ幸せに生きている、世界の全く違う人なんだと思っていた。
でも、俺と同じような――って言うと七橋さんに失礼な気もするけど――抱えている不安やトラウマがあって、あんなことをしてまで好かれようとしている。
それを知れただけでも、こうして胃の痛い思いをした甲斐があった、と思う。
「……なら、よかった」
俺はぼそりとつぶやいた。
「よかった?」
七橋さんはその意味するところをうまく取れない様子で、思案顔になった。
そして、あ、という顔をして、
「……そうだ、御久仁君、何で素直に謝ったの?」
そう言った。
「私が犯人だって言うことだってできたわけでしょ?」
「いや、それは証拠も不十分だったし……」
「さっきみたいに言ったら、多分私は認めてたと思うよ。クラスのみんなも信じたと思うし」
「……まあ、そうかもな」
その可能性はあったし、実際、それをやることも考えた。でも――
「でも、そうしたら七橋さんが悪者になる」
「実際悪者なんだから、それでいいじゃない」
「よくない」
「何がよくないの?」
「七橋さんは、高校3年間を悪い奴だと思われて過ごしたい?」
「それは……」
「だから、よかったな、って」
「……?」
「好かれてないと不安、なんだろ?」
「私を助けるために罪をかぶったの?」
七橋さんは、まるで理解できない、と言いたげだ。
好かれるために人を嵌めるような事をする人だ。人に嫌われるリスクを冒してまで人を助けるなんてまるで意味がわからないかもしれない。
「悪いか?」
「……馬鹿なんじゃないの? って思うよ、正直」
七橋さんの口から飛び出てきたとは思えないまるで容赦のない物言いに、思わず少し笑ってしまう。
「まあ……馬鹿なんだろうな」
うん、自分でも馬鹿だと思う。
でも、後悔はしてない。
「いや、もちろん、単に俺を嵌めて面白がってるような相手だったら、俺だって徹底的に戦っただろうけど」
「……」
「今話してても思うけど、七橋さん、別に悪い奴じゃないしな」
「悪い子だよ」
「そんな事ない。俺のダメージが最小になるようにちゃんとフォローもしてくれたし」
あの時、七橋さんが「謝れば許す」と言ってくれなかったら、俺の今後はもっとひどい事になっていたはずだ。
もちろん、七橋さんが「許す」と言ったのは、彼女自身が周囲の支持を得るための手段だったのかもしれない。でも、他にも色々なやり方がある中で、俺のダメージが小さくなるあの形を選んだ、そこには確かに七橋さんの優しさがある、と思う。
「もちろん完璧な善人ってわけじゃないけど……少なくとも悪人じゃない」
「……悪い子だよ」
七橋さんは、自嘲するように言った。
「……私みたいな悪い子なんて、切り捨てればいいのに」
「やだね」
「なんで?」
「なんで、って……」
なんで、か。
それは、多分、そんなに深い理由はない。
「相手が誰だろうが、助けられる人がいたら、助けるのは当たり前だろ」
そう、助けるのに大した理由なんてない。
それは当たり前のことで、そうしたかったからやった。それだけだ。
……いや、違うか。
それは少しだけ嘘なのかもしれない。
当たり前だから助けたいんじゃない。
きっとあの時、あの事件の時、俺が助けてもらえなかったから。
それで、本当にしんどい思いをしたから。
だから、辛い思いをする人を作りたくない。
そういう事なんだと思う。
「……当たり前、なんだ」
七橋さんは、なんだか少し衝撃を受けたような様子で、声のトーンが下がっている。
「それで自分の評判が悪くなっても?」
「もともと評判悪いからな、俺」
「みんなから嫌われても?」
「いや、助けて好かれるに越したことはないと思うけど。でもまあ助けて嫌われるのと、助けないで好かれるのとどっちを取るかって言われたら助けて嫌われるほうを取るかも」
「変なの……」
七橋さんは、何か思うところがあるのか、消え入りそうな声でそう言うと、黙り込んでしまった。
……えっと、どうしよう。
俺みたいなコミュニケーションスキル底辺民は、相手に黙り込まれてしまうと、身動きが取れなくなるわけでして。
……と、とりあえず伝えたかった事は伝えられたし、聞きたかった事は聞けたよな? 大丈夫だよな?
じゃ、じゃあこの辺でお開き、でいいのかな。
それ、俺が勝手に決めていい事なのかな。
「……と、とにかく話せてよかったよ」
「うん」
「……じゃ、俺行くわ」
「うん」
謎の冷や汗を背中にかきながら、どこか上の空、という様子の七橋さんを屋上に残し、俺は屋上を後にした。




