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v1.0.7 屋上

 屋上は、床が緑に塗られてはいるものの、ほぼコンクリート、という感じだった。


 上履きのまま出てもいいのかな、と一瞬ためらったけど、扉も開いたわけだし、扉のところに足を綺麗にするマットみたいなものもあったので、このまま出ても大丈夫なんだろう。


 ざっと見回してみると、生徒は数えるほどしかいない。

 ベンチなど何も置いてないのもあって、屋上は昼休みを過ごす場所としてはあまり使われてないらしい。


 なるほど、これはいい場所を見つけたかもしれない。

 漆黒のタグをぶら下げたまま人目につく場所にいるくらいなら、タグ改善の目処がつくまで、昼休みは屋上などに身を隠しておくのも一つの方法だろう。

 ……ってそんな事を考えなくてはいけない学生生活って一体なんなんだろうねほんと。


 さて、七橋さんは……、と。

 キョロキョロしていると、少し離れたところで小さく手を振っている七橋さんが見えた。

 ああ……何ということだ。

 七橋さんとお待たせしてしまっていたとは。

 下民が天上人を待たせるなどまさに死罪級の失態。これは打ち首獄門だ……と慌てて近寄ると、七橋さんはとても素敵な笑顔で「来てくれてありがとう」と言った。

 ああ……この笑顔だけでご飯3食くらい抜いても生きていけますありがとうございます。


「返事なかったから、来てくれないのかなって心配してたんだ」

「……あ」


 脂汗が一気に噴き出す。

 そういえば、七橋さんからのメールにあまりに浮かれて、何も返事をしていなかった。

 ……そ、そうか。

 ああいうときはちゃんと「行きます」とか返事を出す、それが常識であり礼節というもの。

 天上人に対してかような礼儀知らず恥知らずの行いをしてしまうとは何てことだかくなる上は腹を切りたい。


 って、ここで暗澹とした気持ちに浸って黙り込んでいるのもまた無礼千万。

 と、とりあえず……何か言わないと。


「……お、屋上って、初めて来た」

「そうなんだ。いいよね、この屋上。結構景色もいいんだよ?」


 苦し紛れに出た俺の一言に、七橋さんは嫌な顔ひとつせずに応じてくれる。


 言われて見回してみると、確かにいい景色だ。この学校はやや高いところにあるので、屋上からは街が一望できる。その先には海が見え、水平線が見えている。あの海に夕日が沈んだりしたら、さぞや青春っぽい1シーンが撮れるだろう。


 でも今は、風景よりこの屋上に立つ七橋さんをしっかり眺めたいし目に焼き付けたい。


「あれ、グラスつけてないんだね」

「ああ……今はちょっと」

「ふーん」


 七橋さんの目がすっと細くなる。

 ……何かやっぱり色々と誤解されているような気がする。変な誤解が上乗せされたりしてないといいんだけど。


「御久仁君ってほんと怪しいなぁ……」

「……そ、相談って……?」


 会話がまた妙な方向に進みかねないし、どうせ七橋さんクラスの人を楽しませる会話術など持ち合わせていない。ここはさっさと本題に入るに限る。


「ああごめん、えっと……」


 七橋さんは、少し考えるような様子を見せると、


「御久仁君、今のクラス、どう思う?」


 そう言った。


「どうと言われても……」

「何か、変じゃない?」

「ええと、なんか空気が悪いというか……」

「だよね」


 学校が始まってから、クラスにずっとなんだか変な空気があるのはずっと感じていた。

 どこかピリピリしているような、警戒しているような、そういう嫌な空気だ。


 最初は、学校が始まってすぐだし、お互いを知らないがゆえの緊張とかそういうのかと思っていた。

 でも一週間経っても変わらずピリピリしている様子だし、単なる緊張とかそういうものじゃないらしい。

 探り合ってる、というか、牽制しあってる、というか。そういう感じの空気。


 自分に向けられる視線にもどこか厳しいというか、鋭いというか、刺すようなものを感じる事も多々あったし、妙なプレッシャーのようなものを感じる事も多くあった。


 ……ただ、そう感じていた視線のうち何割かは、自分のタグが妙な事になっていたせいだった、という事が昨日判明したので、クラス全体がどうなのか、っていうのはいまいち分からなくなってるんだけど……。


 でも、七橋さんがそう言うってことは、自分のタグが原因のもの以外にも、やっぱり何かおかしな感じになっているって事なんだろう。


「御久仁君、クラスのSNSとかって見てる?」

「いや、見たことない」

「ふーん……」


 七橋さんの目がまた細くなって、また何か変な誤解をしてそうな表情になった。

 いや、ほんとに見たことないんですけどね……。


「確かに御久仁君は書き込んだりしてないよね。そういうポリシー?」

「いや……」


 ネットとか怖いので見たくないだけなんですが。

 自分の話術ではとてもうまく説明できる気がしないので、なんとなく言葉を濁しておく。


「SNSのほうも時々なんか空気悪くて」

「そうなんだ」


 少し心配するような、辛いような、そんな表情で言う七橋さんを見ていると、おいおいみんなもっと仲良くしろ、と言いたくなる。


 しかし、学校みたいなお互い顔が見えてる相手同士で、しかもこんなにも早い段階で悪い空気になるっていうのはちょっと不思議な気もする。

 互いの事をよく知り、お互いの嫌なところ、相性の悪いところがはっきりしてきて、その結果としていがみ合うならわかる。


 でも、まだ学校が始まって一週間だ。嫌なところが見えるほどお互いの事なんてよく知らない。そんなタイミングで、すでにクラスの空気が悪いってどういう事なんだろう。

 クラスメイトなんて、少なくとも1年は一緒に過ごす相手なわけだし、仲良くなっておいたほうがお互い得に決まってる。

 なのにこんなに早くから変な空気になってどうする?


 っていうかそんな空気になられたら、俺みたいな子が「周りのいい雰囲気に乗っかってなんとなく仲良くなった風になる」みたいな事ができず、ますますぼっちから抜け出せなくなるので是非とも勘弁してください。


 ……にしても。

 いまいち話が見えてこない。

 クラスの空気が悪い。

 だから、なんだ?

 それに対して自分ができることなんてほとんどないんだけど。


 ……あ。

 もしかしてその原因が俺、とか……?

 だから俺に何かしらの行動を改めてほしい、っていう事をお願いしたくて呼び出した、とか。

 七橋さんはクラス委員長なわけだし、みんなに「あいつの事どうにかしてよ」って乞われたら、そうせざるを得ないだろうし。


 だから、こんな俺みたいなのにわざわざ話しかけてきたのか。

 ……なるほど。うん、そうだな。その線で間違いない。

 よし、死のう。(はや)きこと風の如く死のう。


「で、御久仁君にお願いなんだけど……」


 早速来た。死刑宣告の時間だ。

 覚悟を決めよう。どんなひどい事を言われても泣かない、そんな覚悟を。


「もしよかったら、ちょっと力借りられないかなって」

「ハイ?」


 絶対に「お前のせいでクラスの空気が悪いだろ態度を改めろクソ下民め」っていう言葉が来るものだと思っていたので、予想外の言葉に変な声が出た。

 力を借りたい……?

 えっとそれはそれで意味がわからない。

 ITスキルも対人スキルも地を這うような最底辺民であるところのワタクシが、一体何の役に立てるとお思いか。


「力、って……?」

「あ、えっと、別に今のこの悪い空気をどうにかしてほしい、ってことじゃなくて」


 少し慌てた感じで言う七橋さん。そんな仕草が地味にかわいかったりするのはほんとなんなんだ。生き物として保有するポテンシャルが違いすぎる。


「クラスの様子とかSNSとか見てて、何か気になることとか、わかることがあったら教えてほしいな、って。私もよく見るようにはしてるんだけど、一人で見れる範囲も限界あるし、特に男子の事はわからないから」


 ああ、なるほど。

 解決のためのパワーではなくて、その前段階として情報集めの手がほしい、ってことか。


 たとえば誰かが実はいじめられてるとか、誰と誰がケンカしてるとか、そういうクラスの空気に影響を与えそうな情報を得たら、七橋さんに知らせる、と。

 それだったら自分にもできなくはない。というか、ぼっちの特性として周囲の観察だけは得意なので、案外役に立てるかもしれない。


「なるほど……」


 言われた事は確かにできそうだ。

 にしても解せない。


「でもなんでまた俺に?」


 そう、何で俺に依頼するのか。コレガワカラナイ。

 クラスで特に目立つわけでもなく、さらにダークナイトなタグのぶら下がった危険人物に相談するってちょっと普通じゃない気もするんだけど。


「えっと、ITも強そうだし、色々頼れそうだなって」


 ……ああ、やはり。

 SNSも関係してる話だし、ITに強い人を探しててたってことだろうか。

 だとしたら、見当違いもいいところだ。俺のITスキルは、底辺の中の底辺だし。


 いい加減、ちゃんとその変誤解を解いておかないと……。


「いや……ええと、あのタグは……勝手に書き換えられたっていうか……」

「それって、『俺の右手が勝手に……!』みたいな話?」


 七橋さんが右手を必死に押さえるようなポーズを取りつつそんな事を言った。


「えっ……」


 七橋さん、そんな中二病設定にまでついて来れるんですか?

 あまりに予想外なリアクションに、しばらく頭がついてこない。


「だってあのタグ……」


 あー、うん。そうか。そうですよね。

 そういう方向の人間だと思われてますよね。

 だから、そうですね。俺の右腕が勝手に、とか、俺の秘められた第二の人格が、とか、そういうの想像しちゃいますよね。実際そうだったら面白いんですけどね畜生。


「いや……そんなんじゃなくて……」


 そんなんじゃないんだけど……さてどう説明したらいいものか。

 自分のARグラスがハッキングされてて、ハッカーに書き換えられた、なんて言って信じてもらえるか?

 仮に信じてもらえたとして、そんなARグラスを使ってる俺って人としてどうなんだ?

 だったらまだ謎のITパワーを秘めた中二病設定になってるほうがマシ……なのか?

 ……中二病のほうがマシとか、ほんとよくよく考えてみる間でもなくえらい状況だな俺のARグラス。


 一体何をどう話したらタグの事が自分の手によるものじゃなくて、自分がIT得意じゃない、っていうことをうまく伝えられるだろうか。

 「凄腕の友達にイタズラで書き換えられた」みたいな嘘でしのぐ? でもそうしたら「その凄腕の友人紹介して」みたいな事にもなりかねない。ついでに言うとなんとなく七橋さんには嘘をつきたくない気もするし……。


 緊張も相まって、なかなか考えがまとまらない。

 そうやってうんうんと頭を抱えていると、


「でも、別にITに強いとか強くないとかは、実はそんなに関係ないんだよね」


 七橋さんはそんな事を言った。


「……?」

「ITがどうとか関係なく、御久仁君って、なんか信頼できそうだな、って思って」


 七橋さんは顔の前で指を合わせて、少しうつむき加減になった。


「だから、お願いできないかな、って」


 やや上目遣いで言う、七橋さんのその一言に。

 ズキュゥゥゥンと胸のあたりを撃ち抜かれたような気がした。


 七橋さんに、そんな表情でそんな事を言われたら。

 ご期待に沿わなかったらそれこそ男が廃るというもの。

 ここはこの男御久仁健斗、どれほどお役に立てるかはわかりませんが、誠心誠意、ご期待に応えさせていただきます。


「……そ、そういう事なら」

「ありがとう」


 俺の返答に、七橋さんは嬉しそうに一つ頭を下げて、屋上から去っていった。

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