v1.0.2 タグ
それから七橋さんとの会話をひたすら反芻しては、喜びにひたったり反省したりしていると、あっという間に昼休みになっていた。
今朝は寝坊により弁当を用意する時間もなかったので、購買でパンを買い、たまたま空いていた中庭のベンチにどっかりと腰を下ろす。
春の穏やかな日差しがなんとも心地よい。できればここでこのまま、午後の授業の事は忘れて昼寝でもしたいものだけど、そういう事ができないのが俺のようなモブ系小市民キャラの小市民たる由縁である。
……にしても。
七橋さんはなんでまた俺なんかに話しかけてきたんだろうな。
特に用事があった、という感じではなかったけど。
単に紙の本とかが珍しかっただけだろうか。
いや、やっぱりクラス委員長として、俺みたいなぼっち化してるクラスメイトを気にかけて、純度100%の義務感で話しかけてくれたんだろう。そうに違いない。
「どうかしたの? 難しい顔して」
いつの間にかミントが隣に座って、鼻歌を歌いながらパンを食べていた。
いつもだとバーチャルなくせに無駄にちゃんとしたお弁当を食べている事が多いのに、今日は俺と同じく購買のっぽいパンなのは、やっぱり家に泊まって一緒に寝坊した設定ってことなんだろうか。相変わらず設定が細かい。
しかしこうして現れてくれたなら、七橋さんとの会話の中で気になったあの事を、せっかくなので聞いておこう。
「一つ聞いていいか」
「なになに? ダーリンから質問なんて珍しいね。スリーサイズなら秘密だよ?」
「そんな事聞く気はないし興味もない」
「むー」
ぷぅっと頬を膨らまして、抗議するような目線を向けているミントを見ていると、毎回こういう事やってて疲れないのかね……といらん心配をしたくなる。
「タグって何だ?」
「あーそっか。設定そのままなんだっけ」
「……?」
「そろそろ見えてもいいかなぁ……」
ミントは一人で勝手に思案顔になっている。
いや、「タグ」っていうのが何なのか教えてもらえればそれでいいんだけど。
……っていうかこの反応ってことは……。
「あー、えっと、設定画面ってわかる?」
「歯車マークのやつだよな」
「あ、ごめん。そっちじゃなくて、IT先進校アプリのほう」
「先進校アプリ? ああ、あれか」
ARグラスに最初から入っていて、一度も立ち上げたことのない、「eSchool」とかいうアプリのことを思い出す。
「そのアプリの設定画面に『パーソナルタグの表示』っていうのがあると思うんだけど」
言われるままに学校アプリを立ち上げて、設定画面を開く。
たしかにそういう項目があって、「OFF」の状態になってるようだ。
「ONにしてみて」
「……何かの罠とかじゃないよな……」
「大丈夫大丈夫」
……そう言う時が一番怪しいんだよな……と思いつつ、言われたとおり、設定をONにしてみる。
「特に変わった様子ないけど……?」
「そのへんにいる子を見てみるといいよ」
「……? なんだこれ」
周囲を見回してみて驚いた。
それぞれの人の顔の下や左右に、小さなパネルのようなものが浮いていて、それぞれ
『2-C 水口真哉』
『1-A 椎名みひろ』
『2-C担任・数学 杉崎一』
といった文字が表示されている。
「なんか名前っぽいものが出てるんだけど?」
「うん、まあ、ARグラスでしか見えない名札みたいなものだよ」
「は?」
「校内にいて、お互いARグラスをかけている時は、タグとして名前とかが見えるようになってるの」
……そんなものがあったとは。
クラスで名簿みたいなものも配布されなかったので、自己紹介のときに、頑張ってクラスメイトの名前を覚えようとした、あの苦労は一体何だったんだろう。
「名前の横に色のついた顔のマークみたいなのあるけどあれは?」
「ステータス」
「ステータス?」
「えっと、ARグラスを使って何か作業したりしてると赤くなったり、何もしてなければ緑になったりするの」
「……まじか」
それ、めっちゃ知りたかった情報やん……。
これまで、ARグラスかけてる人が何かしているのかよくわからず、それゆえ話しかけたりが一切できなかったわけで。その情報が一つあるだけで話がだいぶ変わってくる。
なるほど、確かにその辺を歩いていたり、友人と会話したり、窓際でぼーっとしている生徒の顔マークは緑色になっているし、ベンチで空中を見ながら何やら手を動かしていて、明らかにARグラスで何かをしてそうな生徒の顔マークは赤になっている。
つまり、この顔が緑になっていれば、別に何かの作業などはしてないので、話しかけてもOK、という事になるのだろう。
「で、なんでこれはオフになってたんですかね……」
「なんでだろーね」
ミントは明後日の方向に視線を泳がせる。
……なるほどやはり。
「お前がそういう設定にしていた、と……?」
「あー、うん、あはは」
「笑い事じゃないっつの……」
これが見えていれば、少なくとも名前はお互い把握した状態で話ができるわけだし、名前を話のきっかけにだってできるし。ステータスというのを見て、いいタイミングを見計らって声をかけたりもできたはずだ。
……いや、まあ、見えていたからって実際に話しかけられるかどうかはまた別問題なんだけど。
「……他にこういう変な設定とかしてないだろうな……?」
「あー、どうだろ。あはは」
目を逸らしながら笑うミント。
……これはなにか他にもあるっていう反応だ。
何かヤバい設定がされていませんように……。
「それはそうと、今日のダーリンは嬉しそうだよね」
「そうか?」
あ、こいつ、あからさまに話を逸らせようしてるな、となんとなく察しつつも、しかしそれをツッコむと後が怖そうなので黙っておく。
「うん。なんか顔が緩んでるよ。委員長の女の子と話せたのがそんなに嬉しかったのかな」
「えっ……」
……さすが、と言うべきか。
ミントさん、すべてお見通しである。
七橋さんと話をしていた時、視界にミントの気配はなかったけど、やっぱりどこかしらで「見て」いたのだろう。
しかも今の発言からして、ミントは俺が話していた相手が誰だったのかは当然の事として、うちのクラスの委員長が七橋さんだってことも把握してるって事になる。
やっぱりミントの中の人はこの学校にいるんだろうか。
それともこの学校の深いところにまでハッキングして侵入してるんだろうか。
つくづく謎が多い。
そしてやっぱりすんごい怖い。
そこはかとない恐怖に打ち震える俺の横で、ミントは
「鼻の下伸ばしちゃって」
と面白くなさそうな顔でぷいっと横を向いて「ダーリンのばーか」とかぶつくさ言っている。
いやいやだって。あんなクラスのマドンナ的ポジションの女の子とお話できたんだし、今日くらいは鼻の下の一つや二つ、伸ばさせてほしい。
「悪いかよ」
「うん。だからタグは戻してあげない」
ミントはそう言うと立ち上がり、ぷいっと顔を背け、ふわっと消えた。
「タグを戻す……?」
どういう意味だろうか。
戻すも何も、とりあえず周りのみんなのタグは見えるようになったし、設定の方法もわかったし。他に何かあるのだろうか。
……ああ、でもそういえば七橋さんに「どうやって変えてるの?」って聞かれたんだっけ。
つまり、自分のタグが、本来のタグとは何か違うものになってる、ってことだろうか。
その答えは、教室に戻る途中で寄ったトイレで明らかになった。
「タグ」は、鏡を見ると自分自身のものを見ることができるようで、鏡に映った自分の顔の下に浮かんでいるタグを見て、俺は愕然とした。
いや、もう「愕然」なんていう言葉では済まされない、鳩尾に強烈なボディブローが5発くらいぶち込まれたような衝撃を食らった。
自分のタグとして表示されている文字列は――
「漆黒の騎士 フォビア・ソーレンセン」
そして名前の横のステータス表示は、他の人のものでは全く見たことのない紫色で、人でも呪いそうな悪い感じの表情になっている。
は……?
は……?
は……?
なにこれ。
ええっと……?
とりあえずフォビア・ソーレンセンって誰だ……。
そして「漆黒の騎士」にご丁寧に「ダークナイト」って振り仮名まで振ってあったりするとか……。
どんな中二病よ……。
ええっと、つまり、これがずっと俺のタグとして表示されてるってこと?
他の生徒はみんな俺のこの中二病全開なタグを見てるってこと?
は……?
マジでありえないんですけど。
っていうか、めっちゃ恥ずかしいんですけど!
これまでの状況証拠からして、これもミントの仕業なんだろうけど。
ほんと何てことしてくれやがる……。
……俺が漆黒の騎士だというのなら、そのスキルか何かで、ハッカーの正体を暴く魔法でも発現してくれませんか。いやほんと切実に。