v0.3.1 健康診断
校門に着く頃には、いつの間にか"ミント"の気配は消えていた。
あれだけ一緒に登校だってはしゃいだ様子だったのに、こうしてさらっといなくなるあたり、やっぱり遊ばれてるだけなんだろうな……。
少しホッとしつつ、昨日と同じように校門のゲートを通り抜ける。
他の生徒達も慣れてきてるのだろう。今日は行列もほとんどなく、スムーズに通り抜けられた。
教室に着くと、相変わらずいくつかのグループが会話をしている以外は、みんなARグラスで何かしてる様子。「おはよう」の一言すらかけづらい雰囲気だ。
……いや、かけやすい雰囲気だったとしても、その声をかける度胸なんてないんですけど。
それはそうと、なんだろうこの空気……。妙に空気が重いというか、ピリピリしているような。俺の方をチラリと見る視線もなんだか鋭く感じるし。俺、なんかマズい事しましたかね……。
そんな不思議な緊張感の中、朝のHRが始まり、続いて身体測定&健康診断ということで、男子は隣のクラスに移動して、体操着に着替えた上で教室移動となった。
身体測定やら健康診断だったら、さすがにARグラスは外してやるのかなと思ったら、全然そんな事はなかった。むしろARグラスの持つ心拍データや行動ログを使った診察や、ARグラスを使った視力検査まであって、ARグラスの機能をフル活用の様子。
さすがは先進IT指定校。ほんとに先が思いやられる……。
身長や体重、視力や聴力など、一通りの計測と検査を終えて、最後はお医者さんと対面で診察だ。
「御久仁、健斗君ね」
「はい」
好々爺、というのがぴったり似合う感じのその医師は、ここまでの検査結果をタブレットで見ながら、やたらニコニコとしていた。
ああ、この人はARグラス使ってないんだな……どうでもいいことだけど。
「最近どこか調子の悪いところとかある?」
「いえ、特には」
……入った学校が先進IT指定になったのと、ARグラスがハッキングされた事による心理的なダメージ以外は……
「見た感じ特に悪いところはないね。あー、でもちょっと食べてるものが貧相だから、もう少しちゃんと食べたほうがいいね」
貧相って……まあ無理に一人暮らしをさせてもらってる身でお金もそんなにないせいで、どうしても安くてカロリーの取れるものが食卓に多くなるからな。っていうか、ハッキングとかしなくてもそんな情報までわかるんですね……。
それはそれとして……話を聞きながら、医師の向こうにチラチラ見える何かがすごく気になる。
なんだろう、何かすごく違和感のある存在が、視界に見えているような……。
あれは……女子?
身体測定&健康診断は、男女で別の部屋でやっているので、この教室に女子がいるのはおかしいはずなんだけど。
どうにも気になってそちらに視線を向けると、そこにいたのは――
『来ちゃった』
てへっ、とでも言いたげに舌を出しつつ、笑顔で手を振っているのは、ツインテールの3Dキャラ。
間違いない、"ミント"だ。
来ちゃった、って……何やってんだお前は……。
『ダーリンはこういう格好も好きかなって思って。せっかくだから見せに来たの』
そう言って、初登場のときと同じようにくるりと一回転して見せた。
胸のラインがちょっと強めに出るぴったりした真っ白な体操着に、ハーフパンツからすらりと伸びた健康的な脚。
……好物か好物じゃないかと問われたら、そりゃ好物に決まってますけれども。
決まってますけれども、ちょっと出てくるタイミングと場所を考えてほしい。
今、俺、お医者さんに聴診器当てられてるタイミングなんですね。
なのでそんな格好で、そうやって、ずずいっと近くに寄ってこられるとですね、
「ん、ちょっと心拍数が高いね……」
「あ、あの、ええと……」
これ、なんて説明したらいいんだよ……!
非難するような目線を"ミント"に送ると、"ミント"はイタズラめいた笑顔を浮かべて『じゃあ、また後でね~』と行って手を振りながら教室を出ていった。
お蔭で医者には「聴診器当てられると興奮するの?」とかよくわからない性癖認定されかけるわ、挙動不審だとか問診票に書かれそうになるわ、さらにその様子を見ていた他の男子に不審気な目を向けられて、わりと散々な目に遭った。
……ほんと、ハッカーさんに好きに手玉に取られてる感が半端ない。
一体いつになったら俺はあのハッカーさんの魔の手から逃れられるんだろうか。
っていうか、逃れる手立ては存在するんだろうか……。
◆ ◆ ◆
そんな残念な身体測定&健康診断の次は、これから始まるITを活用した授業の下準備、ということで、ARグラスを使った授業に向けてのレクチャー、という事になった。
昨日のレクチャーは、ほとんどが紹介という感じで、具体的な使い方は一切教えてくれなかったし、今日はきっと初心者向けに一から丁寧な説明があるんだろう……と思っていたら、担任が某ゆるふわ省エネ先生なせいなのか、初歩のところは「これくらいはみんなわかるよねー」の一言の元、わりと雑にすっ飛ばされた。
……あ、そういう感じなんですね……。
昨日ムック本読んでたお蔭でギリギリでついていけてるけど、昨日あの本読んでなかったら、多分僕は今日の時点でドロップアウトして「は?勉強とかくだらねぇし」とか言いながら授業をフケて屋上で寝っ転がって空を見上げる素行不良生徒一直線間違いなしだったよ? 未来ある若者が一人真っ当な人生からドロップアウトしかけたよ? 本当にそれでいいのか、先進IT指定校。
……ほんとこの学校つらい。ITつらい。転校したい。
とりあえず今日のレクチャーでわかったことは、まず、この学校には紙の教科書というものはない、ということ。初日、昨日と教科書が配られたりしなかったのでそんな予感はしてたけど、紙の本愛好家としては結構切ない。
教科書は電子書籍だったりアプリだったりで用意されていて、授業中はARグラスを通じてそれを見ながらの授業になるそうだ。
一応、図書室に行けば製本された教科書も何冊かストックがあるらしいのだけど、紙の教科書には動画などが含まれないし、ARグラスで見るものの完全な代替にはならない。あくまでARグラスが壊れた時など緊急時に使うもの、らしい。
ああ、でも図書室はあるんだな。紙の本も結構あるらしいし、これは朗報。
……と思っていたら、そうは問屋が卸さない。
この学校では図書室の本は全て電子化されていて、いつでもネットワーク経由で読める。その代わりに、紙の本は貴重なので室外への持ち出しは不可、だそうな。
どうしてこうも世間の風は俺に冷たいのだろうね……。
あとはARグラスで試験を行う事もあるので、そのテストの受け方だったり、レポートなどの提出のしかた、SNSやメールでの先生への質問のしかたなどがあれこれと説明された。
最後に今日のレクチャーの締めとして、簡単なテストが出され、それをARグラスを使って提出した後、明日までにネット経由で提出する宿題が出て、今日はお開きとなった。
……うん、だいぶギリギリだったけど、なんとかついていけてる。
最後のテストも、周りのみんなのようにスムーズにはできなかったけど、なんとか時間内には間に合ったし。
これなら、なんとかやっていける……のかな。とにかく生き残ろう。
……駄目だったらほんと転校しよ……。