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v0.3.0 登校

 高校生活3日目の朝は、生憎の雨模様だった。


 昨日、帰りがけに隣町の書店に寄って入手した「誰でもできる! ARグラス入門」というムック本を遅くまで読んでいたせいで、今朝は少し寝不足気味だ。


 ふぁぁぁと大きなあくびをしつつ、いつものように顔を洗い、雑な朝ごはんを食べ、歯を磨き、まだ少し体に馴染んでない制服に袖を通す。そしてまた、気が進まないながらもARグラスを身につけ、靴を履く。


 今日は、どうやら例の黒いウィンドウは立ち上がらないらしい。

 よかった……と、ちょっとほっとしつつ玄関の扉を開ける。

 ――と。


『ダーリン、おっはよー!』


 扉を開けたその向こうに、顔いっぱいの笑顔を浮かべた3Dキャラの女の子がいた。

 ――ので、無言で玄関の扉を閉めて、とりあえず見なかったことにした。


『ええー』


 扉の向こうから、非難がましい声が聞こえる。

 黒い画面の挨拶ないなと思ってたら、これか……。

 ほんといちいち心臓に悪い。相手はかわいいかわいい3Dキャラのはずなのに、なんだろうこのホラー感。


 にしても、ARグラス内に登場してる仮想的な存在のはずなのに、ちゃんと扉の向こうにいたり、声が扉の向こうから聞こえてるみたいに聞こえたり、ほんと芸が細かいな……。

 今時のARグラスって、これくらいが当たり前なんだろうか。

 だとしたらこの仕組みを使ったゲームとかちょっとやってみたい気もするんだけど。


 ふぅ、と大きく深呼吸して、心臓を落ち着けて、もう一度扉を開ける。


『ひどいなぁ…』


 あー扉の前の廊下に、何やらぶーぶー言い出しそうな、不満げな表情の3Dキャラがいますね。どこの誰ですかねこんなところに3Dキャラ置いたのは。


 ……っていうか、このハッカーさん、これからはあの黒いウィンドウではなく、ずっとこのスタイルで行く気なんだろうか。

 3Dキャラとして視界の中でうろちょろされると、どうしても意識せざるを得ないし、まだ黒いウィンドウに文字だけのほうがよかったような気もするんだけど……。


 追い返したりできるものならそうしたいけど、ハッカーさんの手によってARグラス上に強制的に表示されてしまっている以上、どうすることもできない。

 とりあえず学校に着くまではARグラスを外すっていう手もあるんだけど、それはそれでなんだか負けた気がするし、……あと、キャラとしては可愛いから見てる分には悪くないし……。

 ……ん? もしかしてこれ、すでにハッカーさんの術中にハマってる?


 とりあえず"ミント"のことは全力で無視してエレベーターに乗り、マンションを出る。

 「ひどーい」などと言いながらもしっかり着いてきた"ミント"は、ピンクの傘をさして、『ダーリンと登校♪ ダーリンと登校♪』なんて言いながらご機嫌そうに隣を歩いている。


 いや、バーチャルなキャラなんだから傘なんて差さなくても濡れないだろお前……と思うのだけど、よく見ると靴とかスカートの裾なんかがちゃんと雨に濡れたりしていて、やっぱり芸が細かい。

 さらによく見れば傘にもちゃんと水滴はついてるし、傘の動きに合わせてその水滴が飛び散ったりもしている。道が狭くなればその道幅合わせて俺のほうに近づいきたりするし、自転車が向かってきたらちゃんと避けて道を譲ったりもする。目の前の信号が赤ならちゃんと自分で立ち止まるし、急に飛び出してきた自動車に驚いたりもしている。


 ……えっとこれ、ほんとにバーチャルな存在なの……?

 そんな事を思いたくなるくらい、動きも存在感も何もかもが妙にリアルだ。


 いや、もちろん相手はあくまで3Dのキャラクターだし、「人間らしさ」っていう意味でのリアルさはまったくない。それに肩がぶつかっても触れた感触はないし、傘がぶつかってもその衝撃が俺の体に届くことはないし、何よりほんのり半透明だし、物理的にそこにいるわけじゃないな、という事は否が応でもわかる。

 それなのに、それでも本当にそこにいるんじゃないかと思えてしまうほど、キャラの動きもディテールも自然だ。


 ……この3Dキャラ、いったいどういう仕組みで動いてるんだろう。

 周囲の状況なんかは俺のARグラス経由で把握できたりするのかもしれないけど、仮にどこかから遠隔操作しているとしたら、いくらなんでも動きから何から何までが自然すぎる。


 こうやって自然に動かすために、何か人工知能のようなものでも組み込まれているのだろうか。

もし遠隔操作じゃなくて、人工知能か何かの自動制御でこういう事できるんだったら、ほんとこの3Dキャラが主役の恋愛ゲームか何か作って売ってくれません? 中のハッカーさん抜いて。


『ダーリンはさ、雨は好き?』


 交差点で少し足を止めたタイミングで、下から覗き込むような格好で、"ミント"が聞いてきた。


『ボクは好き』


 俺が答えないのはわかっているのだろう。ミントは返答は待たずに続ける。


『雨の音とか、雨の時の空気の匂いとか、色んな傘の色とか模様とか』


 そんな"ミント"の声を横に聞きながら、俺はできるだけそれを耳に入れないように、意識しないようにと、頭の中で素数を数えたり、昨日読んだARグラス入門本の復習をしたりしていた。


 でも、時々はどうしても気になって、"ミント"の横顔を見たりしてしまう。

 そんな時に限って、"ミント"の視線がこちらを向いていて、目が合ってはドキッとする。


 3Dキャラと目を合わせてドキドキしてるとかほんと人として何かの末期的な状態な気がする。

 けど、そうならざるを得ないくらいキャラにも存在感にも説得力があるんです本当ですきっと世の中の男子中高生だったらこれを見たらきっと同じ事を思うはず。


『ダーリンと一緒に、相合い傘とかできたらいいのになぁ……』


 "ミント"は少し哀しそうな声で、そんな事を言った。

 相合い傘、か。かわいい彼女と相合い傘で下校とかそんなイベント、これからの俺の人生に一度でも発生する事はあるんだろうか。

 ……うん、多分ないだろうから世界の全ての相合い傘で下校イベントフラグが爆発しますように……って、いかんいかん。素数を数える作業に戻らねば。


『はーあ』


 数えていた素数が3桁に到達したところで、そんな声とともに"ミント"の足音が止まる気配がした。そして、背後から


『やっぱり喋ってくれないのは、寂しいな……』


 そんな小さな声が聞こえた。


 ……それは、そうだろうな。

 ずっと一人ではしゃいだり、喋ったりしている事ほど寂しいものはない。

 そしてそれは、一人きりのときよりも、他に誰かいる時のほうがつらい。


 中学校の頃、林間学校同じ班になった子達にがんばって色々話かけていたら、「ちょっと黙っててくれる?」って冷たい目で言われたあの時の寂しさ。そりゃもうそれ以降、黙りこくって路傍の石に徹するしかないよね……。


 でも、"ミント"がどれだけ寂しい思いをしてたって、俺は喋らない。


 これがARグラスを使った最新の恋愛ゲーム、とかだったら喜んで会話を楽しんだりするんだろうけど、そうじゃないのだから。


 この3Dキャラの中身は、無理矢理端末に侵入してきたハッカーだ。

 ここまでにもうすでにたくさんの情報を奪われているのに、話をしたりしてこれ以上また何か情報を盗まれたりするのは嫌だ。

 相手がどれだけ可愛らしいキャラだって、どれだけ可愛らしい声と表情で迫ってきたって……

 あいつはあくまで俺の端末に侵入してきたハッカーで、きっと中身はおっさんなんだ。

 中身はおっさん、中身はおっさん、中身はおっさん……。

 しっかりと自分に言い聞かせて、一切口を開かないように、厳に心を引き締めつつ、俺はまた素数を数える作業に戻った。


 でも、後になって思えば、あの一言が、フラグだったんだな……。

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