契約のあれこれ
白髪の男の隣で……大きくなっていく黒いけむりが人の形に変わっていく。長い黒髪に切れ長の目、辺りを包みこんでいたけむりが見えなくなると、ヨミカとそっくりな女性が立っていた。
顔立ち、服装、体臭……まるで鏡に映っているヨミカ自身が抜けでてきたかのように。
「そっくりね、わたしに」
「ヨミカちゃんのほうが可愛いけどね」
ヨミカにそっくりな女性の頭をなでつつ、白髪の男がほめている。
「やめてくれる。なんか、変な感じだから」
「んー、なんで? ヨミカちゃんにそっくりなこの子の頭をなでているだけなのに」
ヨミカにそっくりな女性は本人と違い……白髪の男の事をきらってないようで、不思議そうな顔をしながら横目で見つめている。
「それで、この子をどうするの?」
「眠っているルナちゃんを見ててもらう」
「平気なの? 色々と」
悪口だとでも思っているようで、ヨミカにそっくりな女性が子どものように頬をふくらませている。
「不安になるのは分かるけど。その辺にいるやつらなら簡単に蹴散らせるくらいには強いよ、この子」
「ふーん、そうなんだ。すごいのね」
「ふふん」
ほめられた事がうれしいようで……ヨミカにそっくりな女性が得意そうに鼻を鳴らしていた。
「名前はあるの?」
ヨミカにそっくりな女性が首を横に大きく振り……名前があるの? とでも聞いているかのように白髪の男を見つめている。
「まあ、おれの一部みたいなものだからね。それに名前を知られるのは色々と面倒だし」
人間にはない牙を見せつけるように、白髪の男が笑みを浮かべている。
「そう言えば、そうだったわね」
「にせものでも良いのなら、ヨミカちゃんがつけてあげたら? この子も……そのほうがうれしいと思うし」
「ふんふん」
ヨミカにそっくりな女性も、彼女に名前をつけてほしいようで首を縦に振っている。
「それじゃあ、ザンカ」
「ザンカ?」
「そう。ザンカ」
「ザンカ。ザンカザンカザンカ」
奇妙なダンスをしながらヨミカにそっくりな女性……ザンカがにやついている。お礼のつもりなのか、ヨミカに思い切り抱きついていた。
ザンカの腕力が強いのか、そもそもヨミカに引きはなすつもりがないのか抱きつかれたままでいる。
「一応、おれの一部だからさ。ザンカちゃんも吸血鬼みたいなものなんだけどね」
「そうね。けど、見た目のおかげかしらね。妹みたいで可愛いじゃない」
前から抱きしめるのに飽きたのかザンカがヨミカの後ろに回りこんでいる。匂いを覚えようとしているようで、彼女の首もとで鼻をひくつかせていた。
「かむのは駄目よ。ザンカ」
ヨミカの右肩に顎をのせ、ザンカは甘えたような声をだしながら。腹に両腕をはわせて彼女を後ろから抱きしめている。
「本当。ストーカーみたいね」
「みたいって言うか、一部だよ。ルナちゃんの面倒を頼むんじゃないの?」
「それなんだけど。わたしが小道にいく必要がないのよね……ザンカも強いみたいだし。ストーカーと二人でいってきてくれれば」
「まあ、こっちは別に良いんだけど。ヨミカちゃん的にはそれで良いのかな? って」
なんの事? とでも言いたそうにヨミカが首を傾げている。彼女の真似をしているのかザンカもにやつきながら首を傾けていた。
「なに? なにか問題でもあるの?」
「問題と言うか。見てもらったほうが分かりやすいかな、ザンカちゃん」
名前を呼ばれると、ザンカはヨミカを抱きしめるのをやめて、白髪の男の目の前に移動した。子どもみたいに楽しそうに笑いつつ、彼の顔を見上げている。
「ザンカちゃんがおれの一部だって事は……言ったよね。だからさ、こんな風に」
白髪の男がザンカの鼻を親指と人差し指で挟んでいる。呼吸がしづらいのか彼女は両腕をばたつかせていた。
「おれに鼻をつままれても殴ったり蹴ったりできない。もっと分かりやすく言えば。おれが本体で、ザンカちゃんは右手ってところ」
「言いたい事はなんとなく分かったけど……それのなにが問題なの?」
「あー、まあ……問題はその事じゃなくて。見た目がヨミカちゃんに似ているところなんだけどね」
「わたしに見た目が似ている事が?」
ヨミカに言いづらい事なのか、白髪の男が頭をかいている。ザンカの鼻を親指と人差し指で挟むのをやめると、左右の頬をそれぞれに引っぱっていく。
「簡単に言うとね……普段、ヨミカちゃんにできないような事ができちゃう。ほら、姿が似ているし。命令なんかもできる」
「ああ。なるほど」
「おれは、やらないけどね」
「うん。分かってる分かってる」
普段はあんまり見せてくれない笑顔で……ヨミカが応対をしてくれているからか、白髪の男は戸惑っているようだ。
「それじゃあ、ストーカーとルナを二人きりにするのも駄目って事ね。今後も」
「勘違いをされているような気もするけど。まあ、そんな感じの事だね」
ザンカの両耳を触りつつ、白髪の男が口を動かしている。
「ザンカからもはなれてあげて」
「いやいや。おれの一部なんだけど」
「だったら、わたしが上書きをするわ。それなら文句はないでしょう? ストーカー」
「ヨミカちゃんがそう言うなら、おれは断る理由がないからね。ご自由に」
ザンカの両耳を触るのをやめると、白髪の男は彼女からはなれて、窓ぎわのほうに移動している。
「それで、ザンカちゃんをあげる分の対価はどうしてくれるつもりなの?」
隣に立っているヨミカを見下ろしながら、白髪の男は笑みを浮かべていた。
「血。だけだと足りないわよね?」
「そうだね。それだけだと貧血になるぐらいはもらわないとつり合わないだろうからね。上書きするのに、ザンカちゃんにもあげないといけないし……倒れちゃうね」
「小道にいかないといけないから……とりあえずはレンタルって事で。そのていどなら、指の血ぐらいでも足りるでしょう?」
「そうだね……三時間ぐらいって制限をするなら、ザンカちゃんにあげるだけでオッケーだと思うよ」
「そう。それじゃあ、とりあえずはそれで。ザンカ、こっちにおいで」
ヨミカに名前を呼ばれて、ザンカが身体をびくつかせている。眠たくなっているのか、右手で目をこすっている。
目を細めて、欠伸をしてから……ザンカはヨミカのほうに歩いていく。
ヨミカの目の前で立ちどまると、ザンカは横目で白髪の男の顔を見上げてから、彼女のほうを真っすぐに見つめていた。
「ザンカ。血は好き?」
大好きだよ! とでも言っているかのように笑みを浮かべ、ザンカは万歳をしている。
「そっか。それじゃあ……わたしの血をたっぷりあげるね」
「ふんふん。あーん」
「けどね……ちょっとだけザンカに頼まれてほしい事があるんだよね」
「ふん?」
口を大きく開けたまま、ザンカが首を傾けている。疲れてきたのか……ゆっくりと口を閉じていく。
「そこのソファーで眠っている女の子の事を見守っててほしいの……ザンカに」
「ふん。ふーん?」
ザンカが白髪の男のほうを、不思議そうに見つめている。
「ザンカにしか頼めない事なんだ。ほら……ザンカはとっても強いでしょう?」
「ふふーん、ふんふん。ふ……ふん!」
「そう。だから……その頼み事を引き受けてくれるお礼に、わたしの血をあげるって事」
「ふん」
それなりに自信があるようで、自分の胸を思い切り叩いているザンカ。
「ありがとう。ザンカ」
ヨミカが人差し指を差しだすと、ザンカはゆっくりとかみついた。痛くないかどうかを確認しているのか彼女の顔を見つめている。
「ふーん、ふふん?」
「平気よ。ザンカは優しいわね」
人差し指をかみつかれているほうとは反対の手でヨミカはザンカの頭をなでている。
ヨミカの血を気に入ったようで、ザンカは目を細めて……のどを大きく鳴らしていた。