地獄の果てまで
「ストーカー!」
飲まされたであろう、睡眠薬の効果がなくなり目を覚ますと。
「おはよう、ヨミカちゃん」
ストーカーが楽しそうに、ソファーにあお向けになっているわたしを見下ろしていた。
「ストーカー?」
まだ寝ぼけているのか。ストーカーに膝枕をされていて、目の前にその顔があるように見える。
確か、マンションの屋上にあるストーカーの家にきていて眠らされて。多分なにかしらの避けられない事をするために……わたしに薬を飲ませたはずなのに。
「ごめんね……ヨミカちゃん。変な勘違いをさせちゃったみたいで。でも夜は眠ったほうが良いと思うよ。うん、絶対に良い」
なにかを口にしかけたが、ストーカーなりに言ってはいけない事だと……判断をしたんだろうな。
せっかくの甘くて美味しいヨミカちゃんの血が悪くなっちゃうからね、とか言いかけたのを。
「ヨミカちゃん。大正解」
かなり複雑な気分なのに……どんなクイズであれ正解した事は、うれしくなってしまうみたいだな。
「勝手に心を読まないでくれる」
「うん。ごめんね」
言葉の軽さはおいといて……こんな表情になっているストーカーを。
「約束通り、殴らなくて良いの?」
「わたしに殺されて記憶をもとに戻すつもりだったんでしょうけど。そんな事は、絶対にしてあげない」
「そんなつもりはなかったのに」
「フウくんに説教できないわね」
「耳が痛いな。まあ、そんなヨミカちゃんも好きなんだと思うよ」
珍しく歯切れが悪そうに唇を動かしてからストーカーは隠していた事を話しはじめた。
相変わらず、どこか軽い感じで話しているが。吸血鬼にはないはずの……感情のようなものは確かにあったように。
「なにか質問はあるかな。ヨミカちゃん」
「その頃は、つき合っていたの?」
「そんな関係じゃなかったね。能力が弱まる新月の時に甘えてくる事が多いから、多少は信用してくれていたとは思うよ」
「ふーん。それじゃあ、今と同じか」
驚いたようで、ストーカーが目を見開いている。が……すぐに普段と同じような表情をしながら、わたしに。
「ヨミカちゃん。おれにほれちゃった?」
「そうね。とっくにほれていたみたい」
「ん? えっと、ジョークだよね」
「本気よ」
そう、はっきりと言い。ゆっくりと身体を起こしていく、ソファーに座りなおして……隣にいるストーカーに。
「口説かれちゃった」
うそぶくように唇を動かしつつ、わたしはキスをした。プロポーズをする時や恋人同士は必ず舌を絡ませるように唇を重ねるのを、ストーカーは知らなかったのか目を丸くしている。
わたしも……ルナに教えてもらうまで知らなかったから、もしかするとマイナーな知識なのかもしれないな。
「まだ」
「いや、もう分かったよ。ジョークでもなんでもなくヨミカちゃんが本気だって事は」
普段のストーカーなら自分のほうからキスをしてくると思うのだが。頭が混乱でもしているのか、表情を変えないまま顔を逸らしていた。
「ちゃんと好きですよ。ストーカーの事が」
「うん。分かっている……けど」
「もしかして、寿命の事を考えているの?」
図星だったようで黙ったままでストーカーはうなずいていた。
「きらわれたり、別れてしまうのは」
「それが、トコヨくんにとっての一番の悩みってやつ?」
人を散々ストーカーしておいて……今さら言い訳のような事を言わせるつもりはない。とまでは思ってないけど、弱腰になっているところは見たくなかったんだろう。
「うん」
「そう」
「それでも……ヨミカちゃんと番いになりたかったのも本当だしさ。どんな願いもかなえるのが」
「考えすぎ。それは、わたしの不注意だし」
それに、わたしもあなたと死に別れたくはないから……勝手に唇が動いている。
「死ぬなら、一緒に死んで」
けど、間違いなく心の底からでてきた……わたしの本音だった。
「心中になっちゃうような?」
笑うように声をだしているが、ストーカーの表情はどこか真剣なまま。
「へへっ、今の言葉をヨミカちゃんの口から聞けただけで充分だよ。おれは一人で」
「だったら、わたしが吸血鬼になるわ。そうすれば、なんの問題も……トコヨくんの悩みもなくなるでしょう」
ストーカーが目を丸くしている。
「ヨミカちゃんがそこまで」
「それだけ好きって事よ。他の全部を捨ててでも、あなたと一緒に」
「愛が重いよ、ヨミカちゃん」
「ストーカーには言われたくないわね」
「それも、そうだよね」
なにかを覚悟したようで……ストーカーの顔つきが普段と同じ。どこか気の抜けたものになっていく。
「ヨミカちゃんもおれの事がそれくらい好きなんだから。そうなっちゃうよね」
「うん」
「色々とごめんね。ヨミカちゃん」
「別に、もう怒ってないから。これからの話をしましょう」
なんの話をするつもりなんだろう、とでも言いたそうにストーカーが首を傾げている。
「これから?」
「そうよ。これから、地獄の果てまで一緒に生きていく話」
「地獄は、きらいじゃなかったっけ?」
「トコヨくんとなら問題なし」
「そっか。ありがとう……ヨミカちゃん」
ストーカーが首にかみつきやすいように、肩の辺りをはだけると。なぜか目の前の吸血鬼くんのほうから唾を飲みこむ音が聞こえてきた。
「わたしを吸血鬼にするためであって、食べさせる訳じゃないからね」
「うん。分かっているよ」
いやいや、目が充血しているんだけど。
「はあ……わたしが吸血鬼になったら好きなだけ食べても良いわ」
「本当?」
こんな子どもっぽい表情をするストーカーは、はじめて見た気がする。
「うん……本当。どうせ死なないだろうし」
それに、そんな表情をされてしまったら。
「ヨミカちゃん……それじゃあ」
「うん」
「いただきます」
「はい。召し上がれ」
ストーカーの鋭い牙が、わたしの首もとにつき刺さっていく。抱きつかれていて、顔は見えないけど。多分……はじめて血をあげた時と同じようにうれしそうにしているんだと思う。
「痛くない? ヨミカちゃん」
「平気よ。ストーカーくん」
その時と同じように、うそをついていた。
ほれた相手になんとやら。痛みはあるが、どこか心地好く感じてしまっている。
「はじめから、負けていたのかもね」
先にほれたほうが負け、だったっけな。
痛みで意識が遠ざかってきているからか、ゆっくりと目を閉じてしまう。血が……入れ替わっていく音だけが聞こえている。
次は、本当に食べられちゃうんだっけ?
ストーカーに食べられてしまっている……おそろしい想像をしているはずなのに。
「わたし以外を食べたら、怒るからね」
そんな事を、口にしている。
そちらのほうが、わたしにとってはこわい気がしていた。吸血鬼に、なりかけちゃっているからかな?
「安心して、ヨミカちゃん一筋だからさ」
「相変わらずね……トコヨくんは」
吸血鬼になってしまったわたしの手を握りしめて、その小指を食べようとストーカーが口を大きく開けている。
肉の千切れていく音だけが……耳に。
赤く、きれいな血液が小指のあったところから……したたっていくのが見えている。
やっぱり、思っていたよりも痛い。
けど。
そしゃくをしているストーカーを見て。
「美味しい?」
大きくうなずいているストーカーを見て、胸を高鳴らせてしまっていた。
多分……他のどんな存在よりも。わたしはこのストーカーにほれてしまっていた、とっても残念な事に。