断片②
死んじゃった……という感覚は生きものであれば絶対に体験できないもののはずだが。
吸血鬼は、それをなん回も体験できる。
「本当に死ねないのね。吸血鬼って」
シューティングゲームの残機が一つ、なくなるみたいに殺してくれているけど。エクソシスト、同族を含めてもおれを殺せたやつはいなかったのに。
「どうやら……そうみたいだね。おれもはじめて知ったよ」
目の前にいる可愛らしい甘い匂いのエクソシストちゃんから、血をもらおうと追いかけ回していると。
人気のない廃工場に連れこまれてしまったようだな。可愛らしい顔をしているので異性と会う約束でもしていたのかと。
「死ななかったのなら、運が良かったわね。これに懲りたら……わたしを追いかけるのはもうやめてね」
「じゃあ、一回だけ血を」
「やだ」
甘い匂いのエクソシストちゃんに、否定をされてしまった。まだ言い切ってないのに。
「痛くしないようにするからさ」
「あなたほどの吸血鬼だったらそれくらいの事は、簡単にできるんでしょうけど」
そうだ。ルナには手をだしてないでしょうね? と、甘い匂いのエクソシストちゃんがにらみつけてきている。
「ルナ?」
「この前。わたしと一緒にいた茶髪の可愛い女の子の名前」
「誰それ?」
人間同士の会話的にどこか奇妙だったようで、甘い匂いのエクソシストちゃんが大きく息をはきだしていた。
「そう。それなら良いわ」
「きみの名前なら、覚えているんだけどね。ヨミカちゃん……だったよね?」
「不本意ね」
「ヨミカちゃんって、可愛らしい名前だね」
「あっそ。ありがとう」
なにか致命的な失敗をしてしまったのか。この前、会った時よりも違う気がするな。
「もしかして、怒っているってやつ?」
近くのドラム缶の上においておいた、スクールバッグを手に取っている甘い匂いのエクソシストちゃんがこちらを見ている。
「別に、怒ってないから」
「それじゃ、お腹が空いているんだね。人間はその状態だといやな事しか考えないみたいだし」
「そうね。わたしは、とってもお腹が空いているから。どこかの吸血鬼さんにストーカーされたぐらいでいらついちゃったんでしょうね」
「ストーカー?」
「恋人でもない、異性を追いかけ回すやつの名前みたいなものですよ。吸血鬼さん」
んー、甘い匂いのエクソシストちゃん本人は怒ってないと言っているが。人間の触れてはいけないところに触れてしまったのか。
「なんかごめんね、甘い匂いのエクソシストちゃん」
「もう良いから……わたしの血をもらう事を諦めてくれるだけで」
「いや。それはできないかな」
甘い匂いのエクソシストちゃんに殺されても。おれを殺せるほどの存在だからこそか、その血を飲みたいと願ってしまっている。
「また、わたしに殺されたいの?」
再び……スクールバッグをドラム缶の上においてから、こちらに近づいてきていた。
「残念ながら完璧に殺されないみたいだからね。それに……なんとかは一回死んだぐらいじゃ、なおらないようだ」
どちらかと言うと話はこれくらいシンプルなほうが個人的には好みだしな。
「それと、甘い匂いのエクソシストちゃんも血を飲まれる事を覚悟してくれているなら。こっちも全力をだせるからね」
先ほどは、これほど強いエクソシストだと思っていなかった。はじめてかもしれない、誰かとの闘争で全力をだすのは。
「優しく血を飲まれたいなら、今が最後かもしれないよ。別に可愛らしい存在をいじめる趣味はないタイプだし」
「さっさとしてくれる。はやくしないと……スーパーマーケットのタイムセールが」
少しだけ、ひきょうだったかな? なにかをしゃべっている途中だったけど、基本的に闘争はなんでもありだ。
常人はもちろん、熟練のエクソシストでも見えないであろうスピードでほとんど棒立ちの甘い匂いのエクソシストちゃんの背後を。
「おわっ」
甘い匂いのエクソシストちゃんの、背後を取ったつもりだったのに。
「ちゃうからね」
こちらを向いた。鋭くもなく、かと言って慌てた感じもない大きな黒い瞳と目が合っている。
一瞬で視界が赤く……真っ黒に染まった。
頭部がなくなっている感覚。それ以前に、殴られたのか蹴られたかすら分からない。
目の前にいる女の子は、ランドセルをかついでいる子どもよりも少し熟しているていどの存在のはずなのに。
「はやいわね」
瞬時に、頭がもとに戻るのと同時にとっさにガードを……千切れた両腕が空中を舞っている。
千切れてしまった上半身と下半身も、もとに戻ったけど。すぐに左足をへしおられた。
「ぷっ。あはははははは」
いきなり笑いだしたからかほんの一瞬だけ甘い匂いのエクソシストちゃんは戸惑った顔をしたが、左目が床に転がっていやがる。
なん十回も殺されたおかげか、段々と目が慣れてきたな。なんとか……避けられるようになってきている。
「このままで良いの? さすがのきみでも、殺す事ができない吸血鬼と永遠に闘争をするほどの体力はないでしょう」
パンチやキックの軌道を先読みして、受けとめられれば一番簡単なんだろうが。触れた瞬間に爆散するみたいだな。
「そうね。このままじゃ、殺せなさそう」
「すなおだね。だったら」
「廃工場とは言え、あんまり壊さないようにしていたのに。けど、あなたほどの吸血鬼に手を抜くほうが失礼よね」
「ん? 手を抜いて、って。どう」
おれの顔の上半分を蹴り飛ばすと甘い匂いのエクソシストちゃんが……勢い良く後ろに下がっていく。
「指、借りるわね」
多分だが、甘い匂いのエクソシストちゃんはそう言ったんだろう。耳がなくなっていて自信はないけど、唇の動きに間違いは。
なさそうだな。知らない間に左手の人差し指と中指を切り取られていたようだ。
血があふれている、おれの左手の人差し指と中指を使って。地面に文字のようなものを甘い匂いのエクソシストちゃんが、すばやく書いている。
「すごっ。こんな少しの血だけでほとんどの条件をクリアしちゃうなんて」
吸血鬼の指を握りしめている女の子に……こんな事を思うのも変なのかもしれないが。
血をまき散らしながら、甘い匂いのエクソシストちゃんが年相応な笑みを浮かべている姿に。
「返す」
もう必要がなくなったようで、人差し指と中指をこちらに投げつけてきた。笑っていたところを見られたのが恥ずかしいのか、顔を赤くしているように見える。
「なんで、笑っているの?」
「うーん、きみみたいな強いエクソシストと闘争できたからじゃないかな」
こちらも質問をして良いなら。おれを完璧に殺すための準備は、すでにととのっているはずなのに発動しようとしないのは、なんでなんだい。
「バトルフリークなの?」
「言葉の意味は分からないけど。まあ、そうなんだろうね。基本的に吸血鬼の人生はヒマで、刺激を求めるやつが多いみたいだし」
「ふーん、そうなんだ」
「だから、この数分間のきみとの闘争は面白かった。それで、笑っているように見えるんだと思うよ」
甘い匂いのエクソシストちゃんが……可愛らしく首を傾げている。
「吸血鬼には、きみみたいに可愛らしく笑みを浮かべるようなものはないって事」
「あっそ」
甘い匂いのエクソシストちゃんが、なぜかあきれた表情をしていた。頬がほんのり赤く見えるのは、充血でもしているんだろう。
ぷふっ。小さくて可愛らしくて強い、甘い匂いのエクソシストちゃんに殺されるのなら悪くない。いや……とっても最高だ。
どうせ、このまま生きていてもヒマなだけで意味がないんだから。
「わたし以外に、ストーカーしないよね?」
すでに身体はもとに戻っていて立ち上がれない訳ではないけど。目をつぶったままで、前のめりに倒れているとそんな声が聞こえてきた。
ゆっくり目を開くと、しゃがんでいる甘い匂いのエクソシストちゃんの顔が。
「愛の告白ってやつかな」
「真面目な質問よ。ルナやそれ以外の人間に手をだすつもりなら、このまま」
「ヨミカちゃんが毎日おれに血をくれるなら考えてあげなくもない」
怒ってくれて……さっさと殺してくれると思っていたのに。
「そんな事で良いんだ」
ヨミカちゃんは、どこにでもいる子どものようにあっけらかんとしている。
「そんなに、わたしの血って美味しいの?」
「うん。まあね」
「なに、なんで笑っているの?」
「んー、いや。ヨミカちゃんは面白いな……と思っちゃってね」
けど、同時に危うい感じもしてしまう。
ヨミカちゃんから血をもらえるのは、ぐうぜんだし。吸血鬼のおれがこんな事を考えているのもそうなんだろうが。
「面白い事を言ったつもりはないんだけど」
「じゃあ、ほれちゃったんだろうね」
本当に笑える。感情がないはずの吸血鬼がこの言葉を使うのもだが目の前にいるヨミカちゃんのそばにいたいと。
いや、単なるヒマつぶしか。ヨミカちゃんが死んじゃうその日までの。
「誰が?」
「おれ」
「えっと、誰にですか?」
「目の前にいる可愛いヨミカちゃんに」
「そう。からかっているのね」
うん、おれもそう思うよ……とは言わないほうが良さそうだな。
「本気だよ。ヨミカちゃん」
「はいはい。分かったから」
とりあえず、今日の分の血を飲んで。バーゲンセールがおわっちゃうからさ。
そう言いつつ、人差し指をおれの口もとに近づけてきている。
「痛くないようにできるのよね?」
「少しだけ痛いかもしれない」
吸血鬼を殺したりする事に関しては、平気そうなのに。痛みのほうは駄目なようで……ヨミカちゃんがいやそうな顔をしていた。
「わたしが想像しているよりも痛かった時にその顔をぶん殴っても良いのなら」
「それで良いよ。ヨミカちゃんの血が飲めるのなら、死ぬのも悪くない」
「なん十回も殺されている吸血鬼さんが言うと、なんだか台詞に重みがあるわね」
「うそっぽいよ、その言葉」
「吸血鬼さんには言われたくないかな」
その小さな手を握らせてもらい、人差し指にゆっくりとかみついていく。ヨミカちゃんが思っているよりも痛くないようだな。
「ありがとう、ヨミカちゃん」
「意外と小食なのね」
すでに……傷口が塞がっている人差し指を見つめながらヨミカちゃんが微笑んでいる。
これは単なるヒマつぶしなんだよな。そう頭の中で確認をしていた。




