断片①
まだ夏だったはずなのに妙に肌寒い。日が暮れているとは言え、いや。だからこそ……おれにとっては都合が良いはずなのに。
「ヨミカちゃんがいないからか」
いない……と言うよりは。そんな事はさておき、おれにはないはずの感情のようなものをこれだけ揺さぶられているって事は。
「やあ。お待たせしてしまいましたね」
声のしたほうに視線を向けていく。ヨミカちゃんの事は完璧に好きだけど、こう言う時は野郎よりも女性のほうがうれしいのが人情なんだろう。
それに、今回の相手は。
「また会えましたね。のほうが良かったですかね? トコヨさん」
勾玉のような赤い目を細めながら、色男が笑っている。足場の悪い、廃ビルの上におかれている丸いものにのっかっているからか、どことなく不安になっていた。
「確認なんですが。トコヨさんですよね? 可愛らしい姿になっているので人……吸血鬼違いかと」
「せっかく、ヨミカちゃんにつけてもらった名前をペテン師にはあんまり呼ばれたくないが合っているよ」
変身してしまっていたのか、やっぱり身体に異常があるのかもしれない。ヨミカちゃんを食べさせてもらって……かなり回復したと思っていたのだがな。
「おや……戻ってしまうんですか? どうせなら、今の可愛らしい姿のほうがいじめがいがありそうだったのに」
丸いものの上から飛び下り、色男がこちらに近づいてきている。さすがに間合いまでは入ってこないか。
「目の前の色男に敬意を払ったつもりなんだけどな。なにがあったかは知らないが、おれの事を知っていてケンカしようなんて考えるやつは数えられるほどしか覚えがない」
なにかしらの策はあるみたいだけど。
「そのケンカしようと、いや。聞くだけ野暮ですね。それより以前の約束を覚えてくれていますか?」
約束もなにも、一瞬で食われてしまうやつと話をしたところで意味がなさそうに思う。
のに誰でも良いから、その時の事を話してスッキリとしたい気分だったのか。
「ヨミカちゃんが、黒ヘビを食べても平気な体質なのに。どうしておれの記憶をいじくる能力が効くんだ? って話か」
おれの唇が勝手に動いていた。
あの可愛いヨミカちゃんを諦めるつもりはさらさらないけど、吸血鬼にも罪悪感はあるらしい。
別に……おれがヨミカちゃんからはなれたところでなにかが変わる訳でもない。お互いに以前と同じ状態になる、それだけの話。
「そうです。覚えていてくれたんですね……ぼくの予想では黒ヘビと言うよりも。こちらがわの能力が基本的に効かない体質なんだと思っているんですが?」
「それで合っているよ」
だから、目の前の色男にその時の話をしたところで意味はない……ヨミカちゃんの後ろからもはなれるつもりは全くない。
「それじゃあ」
「その説明をするには、おれとヨミカちゃんのピロートークを聞かなきゃならない。知ってたか? ピロートークって仲の良い男女にしかできないものなんだと」
「ええ。まあ、人並みには」
ふっ、知ったか振りなのが丸分かりだな。
多分、どこかで聞きかじったていどで正式な意味は知らなかったんだろう。色男が首を傾げていやがる。
「その……意外ですね。あのエクソシストのヨミカさんとそんな関係だったとは」
「意外? 見ていれば分かるだろう?」
「はあ。ぼくはそのような能力をもってないので当たり前と言われても」
と……色男が視線を空のほうへとゆっくり移動させていた。
「確認なんですが。トコヨさんは女性の身体に可愛らしい花がある事を知ってますか?」
「華はあるだろう、女の子なんだから」
「そうでしたね。全く意味のない質問をしてしまいました。それよりも、ヨミカさんとのピロートーク、できる事なら聞かせてほしいんですが?」
「おれを完璧に殺すための準備に、まだ時間がかかるからか」
少なくとも、一人。いや二人だな……この廃ビルに人間みたいなやつらがいるっぽい。
「ええ。ま、そんなにこわいのなら、ヨミカさんとのピロートークはかまいません。ぼくをさっさと食べてもらっても」
「運が良かったな。今日は色々とあって……その時の事を。誰でも良いから聞いてほしい気分だったんだよ」
自分の選択が間違っていたのかどうかを、その時の事を全く知らないやつに。
「ぼくは、吸血鬼ですよ?」
「だからだよ。そんな色男が同じ立場になったら、どんな選択をするのか知りたい」
吸血鬼として、合理的な判断ができていたのか。それとも……おれもヨミカちゃん達と同じような存在になれていたのかをな。
今、改めて思いだしてみてもヨミカちゃんのストーカーになれたのは、ぐうぜんだったのだろう。
ヨミカちゃんからすれば迷惑な話かもしれないが、永くてヒマな吸血鬼の人生の青春とでも。
なにか言いたそうな顔だな……色男。その辺りの話は、なんとなく分かるのでさっさと話してくれませんか? ねえ。
この世でできる最後の会話なのに味気ない事を言うんだな。ま、その思いみたいなものは分からなくもない。
お互いに永いだけで、ほとんどヒマだし。
そんなヒマな人生を……数えるのが面倒なほどにすごしていた頃に。なんとも言えない血の匂いがした。
そ。ヨミカちゃんの身体にながれている、あのなんとも言えない甘ったるい血の匂い。
これは今でも分からないんだが、あれほどの匂いであれば……すぐに気づきそうなものなのに。その日まで全く嗅ぎ取れなかったんだよな。
ヨミカちゃん的には小さい頃からそんな風に引きつけてしまう力があったらしく、そのコントロールが乱れていたんじゃないか? って……なぜか顔を赤くしていたっけ。
ん? よく分かったな。別にそこまで言及するつもりもなかったんだが、顔を赤くしているヨミカちゃんが可愛いからさ。しつこく聞いていたら、顔面を吹き飛ばされて殺されちゃった。
記憶をいじくる前の……話だな。
分かったよ、あれは。
小さな人間が黒や赤のランドセルだったかを背負いながら歩いているところを見ると、夏休みとやらがおわったんだろう。
水遊びや花火、掘っ立て小屋みたいなものをつくって、食べるためであろう金魚を売り買いする季節から。
「そう言えば、この百年ほどはなにも食べてないな」
そもそも、なにも食べなくても生きられる体質なんだからな。これ以上のエネルギーをたくわえる必要もないのか。
それにこの空腹を感じさせない身体を夢中にさせるほどの食べものがない、と言うほうが本音なのかもしれない。
「独り言が多くて、いやになるな」
せめて番いだったなら話し相手がいて。
「あの……すみません。聞きたい事があるんですが?」
駅前に立っていて、スーツ姿だからかサラリーマンだとでも思われたのか。ランドセルを背負っている子どもよりは少し熟している女の子が話しかけてきた。
栗っぽい色の髪をしていて赤いスカーフの黒いセーラー服を身につけている。だまされやすそうな顔つきをしているが人間からしても見てくれは良いように思う。
「ああ、別に良いよ。こっちも、それなりにヒマつぶしになるし」
だまされやすそうなセーラー服に。異国の人なんだな、的な視線を向けられた。
多分だが、自分はとても友好的ですよ。と伝えているつもりなんだろう、だまされやすそうなセーラー服が笑みを浮かべている。
「えっと……わたしと同じぐらいの身長で。きれいな黒髪を肩口まで伸ばしている可愛い女の子を探しているんですが」
「悪いな。見てない」
と言うか、特徴がありきたりすぎて目立たなさそうだな。セーラー服で多少の見分けはできそうだけど、そこまで人間を。
「そうで、あ。ヨミカちゃん」
だまされやすそうなセーラー服が見ているほうに視線を向け。いや、なんとも言えない甘い匂いがしたからか……ほとんど同じタイミングでそちらを見ていた。
「おはよう、ルナ。それと」
甘い匂いのセーラー服と目が合う。黒くてきれいな大きな瞳をしているが、おれの正体に気づいてるようで、にらんでいる。
「ルナ。そちらのかたは?」
「この人は色々なヒマつぶしをしているサラリーマンなんだって」
「そうなんだ。大変そうね」
だまされやすそうなセーラー服の、どことなくずれている発言には慣れているらしく、甘い匂いのセーラー服はスルーしていた。
「そんな事よりも、はやく学校にいかないと遅刻しちゃう」
「ん? でも、まだ時間が」
「今日は、普段よりもはやく登校するように先生に言われていた事、忘れちゃったの」
「そんな話、あったっけ?」
「あったよ」
大人びて見える甘い匂いのセーラー服が、年相応な台詞を口にしているからか……だまされやすそうなセーラー服が笑っている。
おそらくは、人間の機微みたいなものなんだと思うが。あんまり分からないな。
「ヨミカちゃんがそう言うのなら、そうなんだね。だったら、はやくいこっか」
「そこのパン屋さんの前で待っといて。コンビニで朝ご飯を買ってくるからさ」
「ん? うん。分かった」
はやく学校にいかなければならない……と言っておいて。甘い匂いのセーラー服がコンビニにいく事を不思議に思っているようで、だまされやすそうなセーラー服が首を傾げていた。
が、甘い匂いのセーラー服の事を信用しているんだろう。すぐに笑みを浮かべると……言われた通りにだまされやすそうなセーラー服はパン屋のほうに向かっていた。
「本当に仲が良いんだね、きみ達は」
そう、本当に思った事を口にしただけなのに甘い匂いのセーラー服が目を丸くしつつ、こちらに振り向いている。
先ほどまでの甘い匂いのセーラー服の鋭い視線が一瞬で和らいでいく。
「その、困っていたルナを助けてくれて……ありがとうございます」
「ああ。どういたしまして」
思っていた展開と違って、甘い匂いのセーラー服が頭を下げているせいなのか、こちらも動揺をしてしまった。
「それと必要ないのかもしれませんが。ご飯は食べたほうが良いですよ……お腹が空いている時は、いやな事しか考えられないので」
もう一回、頭を下げると。甘い匂いのセーラー服はパン屋のほうに向かってしまった。
実力は分からなかったけど、確実にエクソシストだろうに変人なようだな。
「なにか食べたほうが良い、か」
どこの誰かも分からないようなやつに血を飲ませてもらうぐらいなら、あの甘い匂いのエクソシストちゃんのものを。
「甘い匂いのエクソシスト。確か……ヨミカちゃんとか呼ばれていたっけ」
ヨミカちゃん。ヨミカちゃん。甘い匂いのエクソシストの名前を口にしながらその血の匂いをたどっていく。
歩いていたつもりだったが、知らない間に足をはやめてしまっていた。




