寝言は本音
「ヨミカちゃん。なんて言ったの?」
「だから、なんでもないって」
「おや。もう良いんですか? せっかく……子ども達に見せないようにしていたのに」
ヨミカと白髪の男、その二人の会話のかけ合いに割りこむように絵本の男が声をかけていた。
絵本の男の近くに、先ほど黒く長いチョコレートみたいなおやつをあげた小さな女の子が立っている。なついているらしくズボンをつかみ、はなれようとしない。
「人間と吸血鬼の恋。なんともロマンチックだと思いますけどね」
絵本の男は笑みを浮かべたままで、欠伸をしている白髪の男に視線を移動させていた。
「それはどうも。それより少し聞きたい事があるんですが、良いですか?」
「ええ。彼が嫉妬しないのならば」
「ストーカーです。えっと、近頃この辺りで子どもを誘拐する事件が多発しているのは、ご存じですか?」
「まあ……ニュースにもなってますからね。それに吸血鬼ですからね、さらに風当たりが強いですよ」
「それは、ごめんなさい」
「あなたが謝る事ではないような? それにぼくも特に気にはしてないですし」
絵本の男に、頭を下げているヨミカの姿を見て嫉妬をしているのか。白髪の男の目つきが悪くなっていく。
日がさらに沈み……赤くなっていた景色が暗くなってきていた。どこかからチャイムの音が響きジャングルジムやシーソーで遊んでいた子ども達が次第に帰っていった。
けれど、絵本の男のズボンをつかんでいる小さな女の子だけは帰ろうとしない。
「その子、帰さなくても良いんですか?」
ヨミカの言葉に反応をしているのか、絵本の男の両目が少しだけ揺れ動いている。
「この子自身が帰りたがってないようなので後できちんと送り届けますよ」
「血を吸って、死体にしてからか? 色男」
白髪の男が絵本の男との会話に割りこんできた事を怒っているらしく、ヨミカが横目でにらみつけていた。
「疑っているようですね。ぼくはあなたほどの吸血鬼ではないので血を吸わなければなりませんが。それでもルールは守って」
「ペテン師だな。その子に黒ヘビを食べさせたんだろう? 吸血鬼ならただの甘いおやつだが、人間が食べれば」
「いや。あの黒くて長いチョコレートみたいなおやつは黒ヘビじゃないわ。味は似ていたけど」
ヨミカの発言を聞き……白髪の男が両目のまぶたをなん回か開閉させている。
「えっ。そうなの? でも、この色男のほうから色んな人間の血の臭いが」
「うん。だから、その」
とつぜん、木の枝がへしおれた時のような音がした。絵本の男のズボンをつかんでいる小さな女の子の首がおれまがり、左右の黒い空洞みたいな目が縦に並んでいる。
吸血鬼が血を吸うように夜の闇を吸収しているのか……小さな女の子の身体がいびつに大きくなっていく。
「ああ。きみはハエだったのか」
絵本の男が、自身の左足に刺さっている赤黒い針の形になっている唇を見ながら、冷静に口を動かしている。
刺さっている赤黒い針がふくらみ、いびつに変形をしている女の子のほうへと移動していき。血を飲んでいるのか、のどを鳴らしていた。
「痛そう」
「いやいや。本当に痛いと思うよ」
「あの……お二人さん。じーっと見てないで助けてもらえませんか?」
そう、つっこみつつも違和感があるらしく絵本の男が、ヨミカを見つめている。先ほどまで白髪の男をきらい……にらみつけていたはずなのに。
暗闇をこわがり、まるで恋人に甘えているかのように。ヨミカが白髪の男の服を親指と人差し指で挟み、引っぱっていた。
「驚いているようだな、色男」
「いや。はやく助けてほしいんですが」
「ヨミカちゃんは辺りが暗くなると」
「トコヨくん。助けてあげて」
ヨミカが名前を呼ぶと……白髪の男は軽く笑い、彼女の頭をゆっくりとなでている。
「おおせのままに」
そう言うと同時に、白髪の男の姿が瞬時に消えた。ヨミカと同じように、目を丸くしている絵本の男がなにかを感じ取ったのか左足のほうに視線を向けた。
つい先ほどまで、左足につき刺さっていた赤黒い針が。いや、いびつに変形をしている女の子の姿さえも消えている。
「色男。お前も一応は吸血鬼なんだから……そのていどならなおるだろう」
背後から白髪の男が聞こえたからか、絵本の男が振り向いている。が、左足にぽっかりと空いている穴が痛むのか顔を引きつらせていた。
「あの、ハエの女の子は?」
「食べたよ。まあまあだったな」
「まあまあですか」
絵本の男がなにかを言いたそうな顔をしているが。ヨミカのほうを見て、夕暮れの時の事でも思いだしているのかもしれない。
「悪かったな。疑ったりして」
「いえいえ……慣れてますから。それよりも辺りが暗くなると性格が変わる事を、彼女は自覚しているんですか?」
「いや。おれが記憶をいじっているから知らないはず」
「どうして? そこまで」
「決まっているだろう。ほれているからだ」
当たり前だろう、そう言いたそうな顔つきで白髪の男は言っている。
「意外と一途なんですね」
「男にほめられてもな。うれしく」
「トコヨくん。ありがとね」
男二人が話をしている間に移動をしていたらしく……お礼を言いながら、ヨミカが後ろから白髪の男を抱きしめている。
「どういたしまして」
そう言いつつも、白髪の男の顔は。
「ところで……どうして彼女はハエの女の子だと分かったんでしょうね?」
眠ってしまい、白髪の男に背負われているヨミカの顔を見ながら絵本の男は不思議そうに首を傾げている。
「血の臭いで判断をするのは少しむずかしいですよね。吸血鬼のぼくがいるんですから、そちらを疑うほうが普通かと」
「多分、あの黒くて長いチョコレートみたいなおやつを食べていたからだろうな」
「甘いですよ」
「味じゃなくて、見た目だ。子どもは分かりやすいからな、うそをつけたとしても。顔にでてしまう、変な食べものだな……ってな」
「そう言えば、黒ヘビの見た目を知っていた彼女も複雑な表情をしていましたね……なるほど。知っていても、そんな顔つきになってしまうのに。ハエの女の子は喜んでいたからですか」
新たに疑問が生じたのか、絵本の男がなにかを言いかけたがやめてしまった。
「もう一つ聞きたい事ができたのですが……やめておきましょう。そのほうが、再会できそうですし」
「おれはともかく、ヨミカちゃんはどうなんだろうな? 吸血鬼がきらいらしいし」
「あなただけ、では?」
「きらいな相手に背負われたくはないと思うけどな、おれは吸血鬼なのに」
「考えかたによりけり、ですかね」
赤い勾玉のような目を細めて、絵本の男が笑っている。月が見えないせいだろうか……楽しそうな笑い声がなぜか不気味に聞こえていた。
「それにしても、残念ですね。ぼくも彼女を狙っていたのに。まさか」
「さっさといけよ、色男。今日もどこかの女の血でも飲むつもりなんだろう?」
「ふふ、そうですね。それでは……お言葉に甘えて」
絵本の男は軽く頭を下げて、背中から黒い羽を生やしている。デモンストレーションのつもりなのか、ぽっかりと空いていた左足の穴を瞬時に塞いだ。
「やっぱりペテン師じゃないか。色男」
「きれいな女性を口説くためのテクニック、とでも言ってほしいですね。特にヨミカさんみたいなエクソシストには」
「いけ」
「こわいこわい。それでは……また」
地面を蹴りつけて、絵本の男は空を飛んでいく。黒い羽をばたつかせて、響かせている風切り音にまじって声が聞こえてきた。
「絵本の女神さまと吸血鬼みたいに、幸せになれると良いですね。ヨミカさんと」
「うそつけ。ペテン師が」
もう姿が見えなくなってしまった絵本の男に向かって、白髪の男はつぶやいている。
「にしても、全く。次から次へと厄介そうなやつに好かれてしまうようだね」
「ぬふふ」
楽しい夢でも見ているらしく、白髪の男に背負われているヨミカは笑っていた。
「まあ、ほれちまったんだから……どうにかするけど。さて、どう記憶をいじっておこうかな」
ヨミカを背負っており、黒い羽を生やす事ができないのか……白髪の男が公園からでていこうと歩いていく。
「ストーカー」
一瞬、ヨミカが目を覚ましたのかと思ったようで白髪の男が歩くのをやめた。どうやら寝言だったらしく目をつぶったままで。
「きらいだから」
「そう。けど……おれはヨミカちゃんが好きだよ。だから」
「けどね」
ヨミカの言葉に白髪の男は首を傾げながらも、耳を近づけている。
「ん?」
「ありがとう。ストーカー」
「どういたしまして」
そう言うと……白髪の男はヨミカを起こさないようにゆっくりと、また歩きはじめた。その足取りは少し軽やかでどこかうれしそうだった。