口にしてはいけない
「今日は、ここで寝ようかな?」
にひひ。と笑いながら向かいに座っているオシドリが、窓の外に浮かんでいる月を横目で見つめていたが。
「オオカミに襲われても知らないぞ」
声をかけると、こちらにうれしそうに視線を向けてきた。
「平気平気。そのオオカミくんには女の子を襲う勇気はないだろうからね」
色々とこわさを知らないであろうオシドリがにやついている。
「勇気はなくても本能があるからな。子どもができちゃうかもしれないぞ」
「わたしは別に良いけど」
「おれにはそんな本能もないんだよ」
オシドリの額に軽くでこぴんをして、家に帰る準備をするように、おれは口を動かしていた。浮かんでいる月のせいなんだろう自分の身体が上手くコントロールできなくなってきている、感覚がある。
「ちぇっ。じゃあ、今日は家に帰るよ」
なんて文句を言いつつも、おれの言う事を聞いてくれていた。スクールバッグをもち、オシドリが立ち上がったのを確認してから。
「あ」
家まで送ろうと……ぼくも立ち上がろうとすると。オシドリが短く声を上げていた。
なにかを思いだしたのか、オシドリがスクールバッグの中をのぞきこんでいる。
「ん? どうかしたのか?」
「いや、いやいや。なんでもないよ」
オシドリが両手を左右に大きく振りながら否定をしていた。
明らかに、なにかしらの問題が発生したんだろう。分かりやすいんだから、うそなんかつかなきゃ良いのに。
「うそは良いから。おれもこのままじゃ眠れそうにないし、話してくれよ」
うなり声を上げていたがおれの性格を把握しているからか、すぐにオシドリは発生してしまった問題の話をしてくれた。
「家の鍵を失くした、って事だな?」
「うん。スクールバッグの中に入れてあったから、教科書と一緒に机の中に押しこんだんだと思う」
「それじゃあ、学校にいくか」
家の鍵がないと、オシドリが帰れないし。おれもこのままじゃ眠れそうにないからな。
「いやいや。平気平気……わたしだけで」
「このまま眠れるほどに、おれの神経は太くないし。それに」
このタイミングで、こわい話をする必要はないか。一緒にいくとは言え、必ずしもそうならないって事でもないけど。
「ん? それに?」
「それに、オシドリと夜のデートもなかなか楽しそうだと思ってね」
てっきり……ダウトだねとか、フウちゃんのうそは分かりやすいんだから、的な返答をしてくると思っていたが。
「そっか。うそでも、うれしいよん」
と女の子みたいな事をオシドリに言われてしまった。と言うか本当に女の子だったな。
月が浮かんでいるせいもあるんだろうが、今の状態でその笑顔を見せるのはやめてほしかった。
「んー? フウちゃん、ほれちゃった?」
「その台詞はやめてくれ。チート吸血鬼の事を思いだすからさ」
そう言うと、オシドリが口を開けたままでかたまっている。
「吸血鬼? 女の子の?」
しばらくオシドリはかたまっていたがなにもなかったかのように再び動きだした。
「いや。男だけど……どうかしたのか?」
「んーん、それなら良いの。女の子の吸血鬼って可愛らしい子が多いから。ねえ」
オシドリの言葉の意味は分からなかったが言及するほどでもなさそうだ。そう言えば、吸血鬼は人間の血を吸いやすくするために、見てくれがととのっているやつが多いとか。
言っていたよな、ヨミカさんが。
「あ。吸血鬼だったら、イケメンだよね? わたしに紹介をしてほしいな」
「残念だったな。そのチート吸血鬼にはほれちまった女性がいるんだよ。しかも、相手も満ざらでもないって感じだし」
本人同士は気づいているか知らないけど、赤の他人からすれば丸分かりだからな。
「ふーん。でも、まだつき合ってないんだったら可能性はあるんじゃ」
「オシドリはそんなに吸血鬼とつき合いたいのか」
オシドリの言葉を遮るようにおれはそんな言葉をはきだしていた。怒っているかもしれないと思われたのか、彼女が身体をびくつかせている。
「悪かった。そんな話よりも、さっさと鍵を取りにいこうぜ」
女の子の考えかたは分からないがオシドリは手を握られるのが好きらしいので。
「ほら……デートなんだから、手をつないでくれないと」
少し手慣れた感じでオシドリの小さな左手をゆっくり握りしめていく。それなりに意識してくれているようで顔を赤くしていた。
「うー、このままだと成年になっちゃう」
「そうかもしれないな」
やっぱり、オシドリの言葉の意味は分からないけど、なんとなく肯定しておく事に。
「で、デートだったらさ。フウちゃんに甘えちゃっても良い感じ?」
「おれができる事なら、なんなりと」
罪悪感と言うほどでもないが、オシドリに八つ当たりをしてしまったからな。もう……その事については諦めたはずなのに。
「じゃ、じゃあさ。明日もデートして、学校がおわってから」
「別に良いけど」
そんな事で良いんだろうか? もう少し、甘えてくると思っていたんだが。
「デートしている時は、かなり甘えちゃっても良いんだよね?」
「ああ。そうだな」
なんだろう……おれの言質を取ろうとでもしているのか?
「それじゃあ、わがままを言うよ」
「ん、おう」
手をつないでいる左手を動かしながら……オシドリが口を開閉させている。言いづらいのか、さらに顔が赤くなっているような。
「あの、あのね」
おれの顔を横目で見つつ、途切れ途切れに言葉をくり返していたが。虫でも顔の辺りに飛んできたのか首を横に振っている。
「あのね。スニーカーが履きづらいから手をはなしてほしいな、って」
「ああ、悪い悪い。それもそうだな」
これからここでオシドリとカップルっぽい事をするなら、あれだけどな。今から、鍵を取りにいくんだし。
それに、《《オシドリがうそをついている》》のならともかく。と言うか、そんな事をしてもメリットがなさそうだよな。
オシドリがもう少し、おれと一緒にいたいとか思っていてくれているのなら別だが。
「バイトのせいかな」
「ん?」
「いや。なんでもないよ」
オシドリにそう言って……すぐに手をはなした。なのに、なぜか彼女は少し怒っているような表情になっている。
「なんか怒っているのか?」
「別に怒ってないし」
怒ってないって本人が言っているんだからそうなんだろうな……足を軽く蹴られているけど。
スニーカーを履き、自宅をでると。後ろを歩いていたオシドリがおれの右手を握った。
「デートだから、フウちゃんに甘えちゃっても良いんだよね?」
いきなり、おれの手を握ったことに対する言い訳のようにオシドリが口にしている。
「ああ」
基本的に女の子に甘えられる事に悪い気はしないしな。それにオシドリには八つ当たりをしてしまったし。
今みたいに、楽しそうに勘違いしてくれているほうが良い。
問題があるとすれば浮かんでいる丸い月のせいで。普段よりもオシドリが可愛く見えている事ぐらいだが、なんとかなると思う。
「そうだ。最近、学校の辺りで奇妙な事件があったとか、フウちゃんは知っている?」
「いや。知らないな」
それなりに明るいとは言え、こんな夜道で話すようなうわさではなさそうな感じだが。
「教えてあげよっか?」
「帰りにしないか。今から、誰もいない学校にいくんだし」
「ガードマンさんはいるんじゃない」
と、特にぼけたつもりもないのにオシドリにつっこまれてしまった。話題を逸らせたのなら良いんだけど。
「もしかして、こわいの?」
今日のおれは運が悪いらしい。にやついているオシドリがからかうように笑っている。
「ああ。こわいこわい、こんな夜道で奇妙な話を聞いたら学校にいきたくなくなるしな」
「ふーん」
「なんだよ」
「んー、いやー、可愛いと思って」
「はいはい。ありがとさん」
多分だが、おれをさらにからかいたいからか。オシドリがその奇妙な事件について話しはじめてしまった。
しかも、丸い月が浮かんでいる時にな。
丸い月が浮かんでいる時に奇妙な話をすると本当に起こってしまうんだとか言っていたよな、ヨミカさんが。
とか考えていたせいか、つい浮かんでいる月のほうに視線を向け……ヨミカさんが屋根の上をはしっているのが見えてしまった。
おそらく追いかけてきているチート吸血鬼から逃げているっぽいな。
「ん? なんか見えるの?」
オシドリがおれの見ていたところに視線を向けているけど。すでにヨミカさんとチート吸血鬼はいなくなっていた。
あの二人……いや。一人と一匹にとっては普段のじゃれ合いみたいなものでデートでもしているつもりなのかもしれない。
それはどうでも良いとしても、気になる事が一つ。
「ながれ星だな。もう消えちゃったけど」
「ふーん、なにか願い事でもした?」
ながれ星は見ていないけど。なんとなく、こう願っておくべきなんだと思う。
「変な事が起こりませんように」
「その願い自体が変じゃない?」
オシドリがからかうように笑っている。
おれも同じように笑いたかったが……あの一人と一匹。ヨミカさんとチート吸血鬼が、向かっているであろうところ。
オシドリが忘れてしまった、家の鍵があるはずの学校のほうへと……あの一人と一匹も向かっていやがった。
せめてオシドリの家の鍵ぐらいは壊れないでいてほしいものだよな。