本質②
なんの本で読んだか忘れてしまったが匂いには人の精神を操る力があるとか。
フェロモン。と言い換えても良いかもしれない。もう少しだけ違う言いかたをするなら自分の好みの生きものを呼び寄せる能力。
「ぼくの場合は逆みたいだけどな」
「なにか言いました?」
隣に座っている女が可愛らしく首を傾げている。相変わらず、艶やかな黒髪からは甘い匂いがしていて頭が少しくらくらするな。
分かりづらい匂いをしているが。多分……こちらがわか。
「いえ。複雑な事は苦手なので話をシンプルにしておこうと思いましてね」
「だから……なん、の」
口を開閉させながら女がぼくにもたれかかって目を見開いている。自分の身体になにが起きているのか分からないんだろう。
「な、にを」
「質問をするのは、こちらのほうです。ぼくをただの人間だと思っていたなんて、下手な言い訳はやめておいたほうが良いですよ」
身体を動かす事ができない女の肩を力強くつかみ、抱き寄せ。カップルがいちゃついているかのようにしておくか。
「一応……教えておきますが。店にいる人間も全てあなたと同じような状態なので。協力してもらおうとかも」
「さっさと、質問をしてもらえませんか? わたしもシンプルなほうが好きなので」
「そうですか。ふふっ。やっと、あなたの事が好きになれそうですよ」
さてと、どんな質問をしようか。この女もシンプルなほうが好みのようだし。
「目的は?」
「人殺し。まあ、今日はもうやめておこうかとも思ったんだけど。少し珍しい生きものがいたから殺してみようと思って」
「吸血鬼を? なかなか面白いジョークで」
うそは、ついてないようだな。人を殺していた。それでか、この女から血の匂いを強く嗅ぎ取れたのは。
「一応、確認なんですが。人間ですよね?」
「それは、わたしのほうが聞きたいぐらい。人間だとは思うけど、人間を殺したくなる時が……たまにある」
人間とは違う生きものとのハーフって感じか。この女ぐらいの年齢なら、そんなケースもないとは言えないし。
それこそブタかウシの血でもまじっているのかもしれないな。そんな話はどうでも良いとして。
「ぼくは少し人間さまの常識がないようなので、教えてほしいんですが。あなたのようなタイプは生きづらいんじゃないんですか?」
「そうね。同情をしてくれるの?」
「いえ。吸血鬼にそんなものはありません」
だから、あの吸血鬼がヨミカさんに対し、あの言葉をくり返しているのは面白すぎた。
「好き」
「は?」
「あなたの事が好き、そう言ったんですよ。人間の愛情を示すための言葉ではありませんでしたか? この台詞は」
空っぽの言葉を本当にするかのように……ぼくは身体を動かす事ができない女にキスをした。
やっぱり、気のせいではなかったか。人を殺す経験は豊富らしいけど、こちらのほうはそれほどなようで女が頬を赤くしている。
「いかれているわね」
「吸血鬼なので、当たり前かと。質問のほうはもうないんですが遊ばせてもらいますね」
ぼくは純情な吸血鬼なのに、全く理解できないけど、女がうれしそうに身体を震わせていた。顔がこわばっているから……もしかしたら、そんな事はどうでも良いか。
「い、うっ」
まずは、右手の小指の爪をゆっくりと剥がしてみた。不思議な感覚なのだろう、かなり痛いはずなのに快感を覚えているんだから。
「なにを、したの?」
「簡単な事です。あなたの身体を動かせないように支配をしている。だったら痛みを快感に変える事もできると思いませんか?」
残念ながら、今のぼくには女性を喜ばせるテクニックがありません。これからもそんなものを覚えるつもりはありませんけどね……そう、女の耳もとでささやいた。
「ご、拷問?」
「いえいえ。むしろ逆、お礼ですよ。ぼくはあなたの事が好きなので、その愛情を身体で感じてもらおうと思っているだけですよ」
女の耳にキスをして、耳たぶを軽くなめていく。可愛らしいかどうか分からないが……そんな感じの声を小さくだしている。
右手の薬指の爪も剥がし中指、人差し指、親指。左手の小指に手をかける頃には、女はぼくに身を任せていた。
「少し移動しましょうか。目立つのはあなたにとっても都合が悪いかと」
泣いているのか、笑っているのか……全く分からない。そんな奇妙な表情をしている女がゆっくりと首を縦に振っていた。
代金を払い、ファミレスをでて……ぼくと女は近くのホテルに向かっていた。正確には身体を密着させて、引きずるように。
かなり頭がくらくらしているので、意識が途切れ途切れになっている。
ん……ああ。今夜は満月だったな、それで五感が鋭くなっているんだな。この女の甘い匂いを強く感じるのも、そのせい。
ホテルのフロントで鍵を受け取り、ぼくと女は指定された部屋に。扉を閉め、逃げられないように。
匂いに慣れてきたようで、頭がくらつくのはなくなってきていた。ただ……身体が少し熱い。多分だが、血が。
女をベッドに押し倒し……ぼくはその唇にキスをしていた。頭では邪悪な想像をしつつも指先や手はとても冷静にシステマティックに動いている。
ぼくの指先や手が動くたびに女の身体は。
奇妙な気分だ。これだけ……この女と愛し合っているのに。ぼくの頭の中では次から次へと邪悪な想像しか浮かんでこない。
が、身体のほうは律儀に反応をしている。女の声や動き……その甘い匂いを感じ取っては。
「好き」
女は確かにそう言った。目を細めて、ぼくに身体を密着させながら耳もとで可愛らしい声をだしている存在が。
「そうですか。ぼくもですよ」
女と同じように耳もとでそんな言葉をささやいておいた。唇にキスをすると……さらに激しく。
知らない間に、女の可愛らしい声は聞こえなくなり……ベッドのきしむ音だけが部屋に響いていた。
「好きですよ」
確か、こんな風に。
「可愛いですよ。きれいですよ」
ほめながらやるほうが、とても良いらしいとか。理由は、はっきりと分からないが良い事はするべきなんだと思う。
女の黒髪をなでつけ、ねじこんでいるものをゆっくりと動かし。
朝になっていた。色々と相性が良かったのだろう、そんなに長い時間を愛し合っていたとは全く思えないな。
満月が見えなくなり五感が少し鈍くなってきているので、なんとなく時間帯は分かっていたが。
「知ってましたか? 吸血鬼には異性を引き寄せる匂いを発する時があるんですよ」
服を着てない女を後ろから抱きしめ。爪を一本ずつ、ていねいに剥がしながら耳もとでぼくはそんな事を言っていた。
相変わらず痛みと快感の狭間を歩き回っているようで。女は身体を揺らし、小さく声を上げている。
「また、なくなってしまいましたね。爪が」
女の指先をなめ、爪をもとに戻すと。また一本ずつ、ていねいに剥がしていく。
「なんの話でしたかね? ああ……そうだ。吸血鬼の匂いの話でした。人間のほうも匂いによって、気分が変化する時があるとか本に書いてありましたね」
女の頭を軽くなで、唇にキスをした。
「も、もう良いですから」
女がなにかを言っているが、ぼくがほしい言葉ではなかったのでそのまま爪を剥がしていった。
「なるほど。あの吸血鬼がヨミカさんにほれている理由がなんとなく分かったような気がしますね」
いちいちブタの特徴を覚えられないぼくがヨミカさんを把握しているのは。
「ほれているからか、ぼくも」
と……断定するのは少しはやいか。確かに珍しい人間だけど、それだけでほれたはれたと言うのも違うよな。
ま、この女のようにしてから判断をしても遅くない。むしろ、そのほうが面白そうではある。
けど。
「あの吸血鬼に勝てるんだろうか? ヨミカさんのほうはなんとかなりそうだが」
ぼくも吸血鬼で、死なないからな。やれるだけの事はやってみよう。
駄目だったとしても、可愛い彼女が目の前にいるんだからな。
「う」
左耳にキスをすると……彼女は可愛い声をだしてくれた。
「お待たせしました。それでは、昨夜の続きをはじめましょうか」
そうだそうだ。自分の彼女には愛の言葉をささやくんでしたね。
「ぼくはあなたが好きですよ」
「本当?」
「ええ。本当です」
頬を赤くしている彼女の唇にキスをしつつベッドに押し倒していく。
そうそう……ぼくの彼女になってくれるんだから目の前の女の名前を覚えないと。
本に書いてあった通り異性とつき合うのは面倒な事だらけのようだな。