推理と嘘と匂い
「また戻ってきたようね」
「んー、そうみたいだね。ヨミカちゃん」
小さくなっているヨミカに返事をしつつ。白髪の男は、横にある駄菓子屋のほうを見つめている。古びた冷凍ショーケース……その近くに生えている花が、先ほどと同じように揺れていた。
「迷わせる系、やっぱりストーカーに壊してもらうしかなさ」
「いんや。そうしなくても良いかもしれないよ、ヨミカちゃん」
白髪の男が指差しているほうを、ヨミカが見つめている。駄菓子屋の格子戸……そこにポスターが貼りついていた。
「夏祭りのポスター? こんなのあった?」
格子戸にくっついているポスターのほうに顔を近づけヨミカは不思議そうに首を傾げている。
「なかったと思うよ。そのポスターから変な匂いがしているからね、はじめからあったのなら気づいているぐらいだし」
ポスターの匂いがきついようで自身の鼻をつまんでいる。なにかを思いついたのか白髪の男が目を見開いていた。
「ヨミカちゃん。ヨミカちゃん」
「ん? なに? ストー」
ヨミカが、ポスターから白髪の男のほうに視線を向けようと身体の向きを変えて。
「わ」
ヨミカが後ろを振り向くと、白髪の男の顔が目の前にあり。驚き、のけ反っている。
そんなヨミカの右腕をつかみ、白髪の男が抱き寄せている。彼女の黒髪の匂いを嗅いでいるようで鼻をひくつかせていた。
「な、なに」
小学生の頃の姿になってしまい、普段の力がだせないようでヨミカが表情をゆがませている。そんな彼女が面白いのか……ささやくように白髪の男は笑っていた。
「口なおし。じゃなくて匂いなおしって感じかな。ヨミカちゃんは匂いも甘いよね」
「この、はなさないと」
「今の状態なら、おれのほうが優勢だと思うけどね。ヨミカちゃん」
ヨミカの白くて細い首に、白髪の男が赤い舌をゆっくりとはわせている。くすぐったいのか彼女は身体を震わせて目を細めていく。
「後で、絶対にぶん……わっ」
悪態をついているヨミカを抱き上げながら白髪の男がゆっくりと立ち上がっている。
「やっぱり、その姿だと上手く力がだせないみたいだね。普段よりも身体が軽いし」
「殴られたいの?」
白髪の男に抱き上げられたままで、ヨミカがその顔をにらみつけている。右の拳をかためて、彼を殴れるようにしているようで肩が動いていた。
「がまんは良くないよ、って言いたいだけ。今のヨミカちゃん、エクソシストとしての力が全く使えないんでしょう? 殴ったり蹴ったりするていどの事さえも」
図星だったのか……ヨミカの顔が一瞬だけゆがみ、舌打ちをしたように見えたが。すぐに彼女は笑みを浮かべている。
「そう思うのなら、試して」
「もう少し信用してほしいな。おれはヨミカちゃんにほれているんだよ」
しばらくの間……白髪の男の目を見つめていたが。ヨミカは目を逸らして、大きく息をはきだしていた。
「契約」
「うん?」
ヨミカの声が聞き取りづらかったようで、白髪の男が彼女のほうに耳を傾けている。
「契約よ。ザンカの時みたいに、血をあげるから。この世界からでられるまでの間わたしを守って」
「喜んで。ヨミカ姫さま」
「ジョークは良いから、はやく指から血を」
「いやいや。今回は」
ほんのりと顔全体を赤くしているヨミカの首もとに……白髪の男がゆっくりと牙をつき立てている。
「えっ。い」
痛みがはしったからか、ヨミカは白髪の男の服を握りしめて両目を強くつぶっていた。
「痛かった? ごめんね。ヨミカちゃん」
牙をヨミカの白い肌から引き抜き、白髪の男が彼女の耳もとでささやいている。
「平気よ」
返事をしつつ……ヨミカは自身の首もとを触っている。唾液で少しぬれているが、血はとまっているようだった。
「それで、どうしてわたしがエクソシストとしての力を全く使えない事が分かったの?」
うれしそうに……ヨミカを片手だけで抱き上げている白髪の男の顔をにらみつつ彼女が聞いている。
「ヨミカちゃんにほれているから」
駄菓子屋の格子戸に貼られていた、夏祭りポスターの地図通りに白髪の男は歩きながら口を動かしている。
道ばたに生えている草花が気になるのか、白髪の男はたまに……そちらのほうに視線を向けていた。
「真面目に答えてほしいんだけど」
かためている小さな拳を、白髪の男の頬に押しつけてヨミカが唇をとがらせている。
「そうだね。とりあえず……ヨミカちゃんは、うそをつくのがかなり上手いと言うか。上手なうそのつきかたを知っていると思うんだよね」
「昼間の、ルナとの事で?」
「そう。そもそも……ヨミカちゃんはエクソシストである事をルナちゃんに否定してないんだよね。バイトとしてだけど」
もう少しだけ言いかたを換えるなら、ルナちゃんが勘違いしてくれるように話しているって感じかな、と白髪の男は続けている。
「上手にうそをつくには、変な話だけどさ。できるだけ本当の話を相手に伝える事、なんだと思うんだよね」
「まあ、そうね。話がずれてきているような気がするけど」
なにが言いたいの? とでも言いたそうな顔つきでヨミカが白髪の男の顔を見ている。
「もう少しだけ、がまんしてほしいな。ルナちゃんにエクソシストの事でうそをついてるけど、それはバイトのところだけ。それ以外のところは本当と言えば本当だよね?」
「そう、なるわね」
「その話を踏まえた上で……ヨミカちゃんが小さくなった時の話を思いだしてほしいんだけど」
白髪の男に言われた通り、その時の話の事を思いだそうとしているのか。ヨミカは目をつぶり、首を傾げている。
なにか、いやな気配を感じたのか。とっさに目を開き……ヨミカは白髪の男の頬を思い切り殴っていた。
「なんのジョークかしら? ストーカー」
「いや。ヨミカちゃんが可愛いからさ、キスでもしておこうかと……それより思いだしてくれた?」
「多分だけど。わたしがこの姿の頃はエクソシストとしては、殴ったり蹴ったりしかできないだっけ?」
「そうそう、その話」
花の匂いでも嗅ぎ取ったのか鼻をひくつかせている白髪の男が道ばたに生えている草花に目を向けていた。
「その話をうそだと判断したから今のわたしは、エクソシストとしての力が全く使えないと分かったって事?」
「ん、うん。半分ぐらいはそうだね。普通に考えて小学生の女の子にエクソシストの仕事なんかさせないでしょう」
まあ、エクソシストの常識ってやつを知らないけどさ。と白髪の男は話を続けていた。
「まさか吸血鬼の口から、普通なんて言葉がでてくるとは思わなかった」
「ほれちゃった?」
「はいはい。ほれましたほれました……半分ぐらいって事みたいだけど、残りは?」
「ヨミカちゃんの匂い」
ヨミカの質問に短く答えると。白髪の男は鼻をひくつかせて、彼女の匂いを嗅いでいるようだ。
顔を赤くしつつ、ヨミカが白髪の男の顔面を殴ろうとしたが……彼女の小さな拳は彼にかぶりつかれてしまった。
「そんなに血をサービスしてくれなくても、きちんとヨミカちゃんを守るつもりだよ」
ヨミカの左手首をつかみ、やわらかい指先に軽くかみつきながら白髪の男はうれしそうに口を動かしている。
「それで、わたしの匂いがどうかしたの?」
大きく息をはきだし、白髪の男に人差し指をかみつかせたままでヨミカが聞いている。
「その姿になってから、少し匂いが変わってたんだよね。小さくなったからかな? とも思ってたんだけど。色々と考えて、そうじゃなさそうだな……って分かった」
「その、色々って?」
ヨミカの人差し指をかむのをやめて、白髪の男は軽く笑うと。
「ヨミカちゃんの甘い匂いにまじって、花の匂いがしたんだよね。あの夏祭りポスターと同じやつがさ」
女の子には花が似合うって事だろうね? ヨミカちゃん……と白髪の男は彼女の耳もとでささやいていた。