3、料理人
夜の町は、昼からは考えられないほど静かだ。
月明かりと星だけが道を照らす明かりで、大通りには人っ子一人いない。
けれど、少し外れた路地の方に目をやると、ホームレスと思しき痩せた人々が大量に寝ころんでいた。遠目では、ピクリとも動いていないように見える。あの中に死体が混ざっていても、誰も気付かないんだろうな、と思った。
「ここら辺は治安が悪いから、気を付けな」
ルカムが静かに警告する。全くその通りだ、としみじみ感じた。
歩いていると、突然、ピカッ、と、何かが橙色に光った。
「えっ」
三人の歩みは、ピタッと止まった。
そこまで強い光ではないが、夜道には十分すぎるほどの明かりだった。
光源はどうやらレインのポケットの中のようで、彼はポケットをまさぐる。
出てきたのは、丸められた概要書だった。
まるで蛍光塗料のような、橙色の光を放っている。エレナは「え? なんですか、これ……」と小首をかしげて見ている。レインもまた同様だった。
「こんにちは」
突然、その概要書から、女の声が聞こえた。
エミリーかと思ったが、この声はエミリーほどゆったりしていなかった。
「ギルドの通信局です。エミリー様から、『任務完了報告は、全ての拠点を壊滅させてから行うように』とのことです。では、失礼いたします」
呆気に取られている間に、概要書を包み込んでいた橙色の光は消えた。
レインとエレナは、顔を見合わせる。そんな二人を、ルカムが「通行人の邪魔だ」と言って、道の端に押しやった。通行人はいない。
「……え、この世界って電話あるの?」
軒下の影で、ようやくレインが言葉を発した。
ルカムは「なんだ、電話って」と言いながら、頭を掻く。
「今のは概要書に仕込まれてる【通信】だ。ギルドの任務について追加説明があるときにかかってくる。……お前、腕っぷしはいいのに、ギルドについてはまるで無知なんだな」
「ルカムさん、レインさんを悪く言っちゃダメですよ!」
「悪かったね、一般人で」
レインは「はー」とため息をついた。
レンの記憶をあさっても、やはりこのような記憶は一切なかった。殺人鬼の彼は、世の中のことに対して完全に無知だったと見える。
「こう見えて獄中だったんだよ、俺」
「箱入りにしてもだな」
「お? やるか?」
レインが冗談のつもりで言ったのに対し、ルカムは沈黙した。
彼はレインの顔を見ている。右肩の包帯はさすっていない。
恐怖ではなく、その表情は『忌々しげ』と表現されるものだった。
レインはなぜか怖くなり、眼を逸らした。
そんな彼を見て、エレナが明るい声で言った。
「次の目的地に行きましょう、ルカムさん!」
「……そうだな」
彼はレインに顔を向けるのをやめた。
「通信で言われた通り、今から別の盗賊拠点に行く。多分、そこにいくつか拠点の位置が書いてあるから、それ全部潰すぞ」
レインは概要書を見る。一見そこに拠点の位置は一つしか書いていないようだが、ひっくり返してみると殴り書きのように、いくつかの住所らしきものが書かれていた。レインにはさっぱりだったが、さっきもエレナに案内してもらったので、問題はないだろう。
「長い夜になりそうだな」
レインが呟く。
空を見上げると、三日月が傾いていた。
***
三人はそのあと、順調に拠点を潰していった。
場数慣れしているだけあってか、ルカムはほとんど苦戦することも息を切らすこともなく、効率的に敵を倒した。必要以上の殺傷はせず、時には捕虜にしたり、他の盗賊たちの見せしめにしたりもした。
「捕虜、見せしめ……まるで悪人みたいな戦い方だな」
「どちらも死者をより少なくするための工夫だ。あんまり血を流しすぎると、『盗賊拠点の掃除』として別の任務登録されちまうから。……まぁ、お前にだけは言われたくないが」
こんな会話がレインとルカムの間に飛び交い、ほんのり空気が冷たくなった。
一方そのレインはというと、相変わらず力の加減ができず、近付く者を問答無用で殺害した。彼一人で何人、何十人と殺したのである。その様子は、やはり、例の極悪殺人鬼を彷彿とさせるものが多くなった。
ただ、レイとレインの決定的な違いは、『正義のために』殺しているか否かだろう。
そして、エレナ。
女だということもあるので、当然ルカムやレインに肩を並べるには至らない。だが、その見てくれに反して、彼女は戦力外ではなかった。器用にナイフを使い、的確に相手を気絶、場合によっては殺害する。その様子を見るに、彼女は人体の急所を知り得ているようだった。
元々貴族の使用人だったことから、彼女は常に笑顔を絶やさない。殺戮しながら笑っているその姿は、レインやルカムよりよっぽど盗賊たちに恐れられるようだった。
やがて、気が付くと月は西方に沈み、東の空が明るみはじめていた。
その光を見てはじめて、三人は自分たちがほとんど徹夜して仕事をしていたことに気が付く。
「なんだか私、眠たくなってきたなー……」
「……俺も」
「まだ一件残ってるぞ」
「えー……」
レインは目を細めてぼやく。
段々と通りに人が見えはじめ、路地付近にいたはずのホームレスは、どこかに消えている。まるで夜中にだけ姿を表す蛾のようだった。
行く手を照らしていた星座も段々と消え、朝日が飲み込んでいく。
レインは目を擦った。
「……疲れたな……」
「まぁ、ギルド初日はこんなもんだ。我慢しろ」
そう諭すルカムに、エレナが不服そうなまなざしを向ける。
大男は彼女を手で制し、こほんと咳払いした。
「……と、言いたいところだが……。今回の任務は普通の任務より難易度が高く、死のリスクもともなう。そんなわけだから、今日はこれで終わりにしてもいいな」
「えっ、マジ?」
「やったぁー!」
エレナは破顔し、レインに抱き着いた。
抱き着かれたレインは、そのまま微動だにせず、数秒後こう聞く。
「ありなの、そういうの?」
「ありだ。期限以内なら、いつ仕事をこなしてもいい。それがギルドだ」
「ホワイトだな……」
別にブラック企業に勤めていたわけでもないが、レインはそう思わずにはいられなかった。漫画家に近い仕事形態なのかな、と当たらずとも遠からずな想像をする。
「まあ、それならそうするか」
「決定だな。じゃぁ、行くぞ」
ルカムが歩き出したのに、レインとエレナが続く。
「……ちなみに、金は持ってるか?」
「ゼロ」
レインが即答する。
エレナは「ちょっとだけならますけどー……」とすごく使いたくなさそうなニュアンスをはらませつつ、ゴニョゴニョ答えた。
「だと思った。近くのギルドの寮によって、そこで寝よう」
「だと思ったってなんですかー?!」
エレナがぼやくと、ルカムはさみしそうな笑みを浮かべた。
「金銭的余裕があるやつは、ギルドになんか入らないからな」
『なんか』という言い方に、レインは違和感を覚えた。
彼が何か口にするより先に、ルカムが呟く。
「とにかく、そういうことなら、必要な金は俺が出してやるよ」
***
ギルドはおもに、『任務を受注するための建物』と、『寮として機能する建物』の二つで成り立っている。前者は酒場としても機能し、夜は特に人が集まり蒸し暑い。後者はギルド会員限定の無料の宿、といった体裁で、利用者が常に一定数おり、静かだ。
今回レイン達が行くのは、後者である。
先日レインがギルドのうち一つを破壊したためか、最寄りのギルドには昨日よりたくさんの人が集まっていた。破壊されたギルドの分の役割が、こちらに密集したように見えた。
「どうした? 酒でも飲みたいのか?」
「あんまりいい思い出ないから、いいや」
ギルド前で、ルカムからそう尋ねられたレインは、下を向いて答えた。
ギルドの前はやけに騒がしかったが、寮に入ると不思議と静かになった。
ギルド会員はみんな、酒場に集まっているらしい。
完全無料の寮には受付すらなく、こじんまりとした個室だけがたくさん整備されていた。『どの部屋がいい?』なんて話し合いさえせず、エレナが一番手前の個室を選んだ。
個室を開けた瞬間、エレナはまるで何かにとりつかれたかのように駆け出した。何が起きたのか、とルカムが反射的に斧をつかむ。
そんな彼の警戒もむなしいほど、エレナの動きは速かった。
レインの伸ばした手も届かず、彼女は部屋を走り──
──ベッドに突っ伏した。
「ん~……気持ちい……」
「びっくりさせないでくれよ……」
真っ白なベッドと、それに包まれる黒肌の小柄な彼女は、綺麗なコントラストになっていた。どこか安堵したレインの口から、あくびがこぼれる。
「ともかく、初仕事おつかれさん」
ルカムもまた、あくびをしながら二人に言った。
「次の日没から仕事を再開するから、それまでは自由にしてくれ」
「自由ね……」
オウム返しするレインに、「ま、食事と睡眠が妥当だろうけどな」とルカムは付け加える。
「俺はお前らの分の食事を作ってくるから、ここで待っててくれ」
「あ、ここってキッチンあるんですかー?」
ベッドに寝ころんでいたエレナが、メリハリのある動きで立ち上がった。
「……まあ、あるが」
「なら、私が用意してきます!」
「あ、待て!」
ルカムが彼女を止めようとするが、エレナは制止を振り切って外へと出て行った。
なんだかデジャヴだなぁ、とレインは達観した思いで一連のやり取りを見つめる。ルカムは振り返り、レインを見た。
「……いつもあんな感じなのか?」
「まあ、多分?」
「多分ってなんだ、多分って」
エレナがいなくなり、二人の間に沈黙が満ちた。
レインは『自由にしててくれ』と言われた通りにしようと、ベッドに近づく。この部屋にはベッドが四つあったので、エレナの使っていないベッドを選び、座った。
床には傷が入っており、ボロボロ。壁や柱はすべて木造で、窓は一つだけ、東の方向にある。唯一の家具らしい家具といえば、それこそベッド程度のものだった。
まさに『質素』、そのものである。
レインは座り込み、天井を見た。
長い、長い一日と半日だった。
拷問人の元からエレナと一緒に逃げ出して、昼間にギルドに加入。
それから夕暮れまで死んだように眠り、ルカムと合流して任務をこなした。血だらけの両手を、はやくも重く感じなくなった。
エレナは、自分のことをどう思っているのだろう。
エレナは拘束されていたときとかわらず、明るく接してくれている。
でも、本心は?
見境なく殺して回る殺人鬼が隣にいて、怖がらない人間なんているのか?
そんな考えが頭によぎった。
とても眠いが、今は眠れないだろう。
立ったままのルカムが話しかけた。
「……レイン、って言ったか」
「ああ」
彼は、大男の眉間の傷跡あたりを見た。
「今日は一日、お疲れさん」
「お疲れ」
会話が途切れた。
レインは、何か話題をつなごうと話す。
「今日はありがとう、いろいろ教えてくれて」
「先輩として当然だ」
また、会話が途切れた。
元気はつらつなエレナがいないから、レインの調子がふるわない。そんな彼の視界に、自然とルカムの右肩の傷が入った。
──ルカムは、自分のことを恨んでいるだろうか?
「……ごめ」
「昨日は、突然斬りかかって悪かった」
レインの言葉を遮り、大男は言った。
レインは予想外の発言に面食らう。さっき言おうとしていた言葉を、彼は言った。
「俺も、ごめん」
「いや、いい。正当防衛だ。悪いのは俺の方だからな」
ルカムは目を細め、窓の外を見た。
外ではきっと太陽が上がっているのだろう。窓が東側についているので、朝日は見えない。
「俺、何もしてない人が通り魔に殺されるの、間近で見たことがあるんだ。それ以来、殺人犯にいい印象抱いてない。つい、カッとなっちまった」
「……」
レインは声が出せなかった。
何もしていない人が、通り魔に殺される。
レインの記憶の中には、自分が、何もしていない人を殺す映像がたくさんあった。もしかしたら彼が見たのも、そのうちの一つかもしれない。
レインはどうしようもない罪悪感に、胸が締め上げられるのを感じた。
息が苦しい。
「──レイン」
ルカムが突然しゃがみ込み、座っているレインと同じ高さで目を合わせた。
一言、彼は言い放った。
「ごめんな」
「……こっちこそ」
二人の間に、また気まずい沈黙が流れる。
それを打破したのは、ルカムだった。
「じゃぁ、お互い様ってことで。任務中、わかんないことあったら、なんでも聞いてくれよ」
明るい声だった。
その声で、レインの胸の苦しみが、少しだけ和らいだ気がした。
「……ま、戦闘なら負けないけどな」
「青二才が何言ってるんだ」
「お? やるか?」
「喧嘩なら買うぞ」
「じゃ、やめとくわ」
そこまで言い合って、彼らは顔を見合わせて笑った。
『レイン』になってから、はじめて、心の底から笑えたような気がした。
「よろしくな」
ルカムが差し出した右手を、レインは右手で握り返した。
そのままルカムとレインは、ギルドのことについて話した。
ルカムは、ギルド特有のシステムや、『概要書』にかかれている内容など、この先ここで仕事をするのに必要な知識をたくさん共有した。
もっとも、そんなにたくさん頭に入ったとは思わないが。
レインはお世辞にも、記憶力がいいとは言えないのだ。
部屋の扉が開くのと、エレナの元気いっぱいな声が聞こえるのは、ほとんど同時だった。
「たっだいま帰りましたー!」
「おー、おつか……」
レインは手を振ろうと肩を上げかけた。
その手が振られることはなく、彼はそのまま硬直する。
「……って、なんだ、このいい匂い……?!」
「お、よく気付いたね! ご飯作ってきたよ! ギルドって設備がよくてねー、思ったよりゆっくりしちゃった」
言いながら入ってきた彼女は、右手に一つ、左手に一つ手の平でトレーを運んでいた。白い湯気が見え、鼻には塩気の強いバターのにおいとまろやかな牛乳のかおりが入ってくる。エレナがしゃがみ「一人一杯ずつとってください」と言ったので見ると、なるほど、それはシチューだった。
「……クオリティー高いな」
「当然ですよ、ルカムさん! なんて言ったって私、貴族の使用人やってましたから!」
「そうだとしても……」
彼はごくり、とつばを飲み込む。
とろみのある白い液体に、オレンジ色の根菜や緑色の葉、キノコらしきものが包まれている。
「冷めないうちにどーぞ!」
エレナが満面の笑みを浮かべ、レインとルカムは器を手に取った。
レインのお腹が、ぐーっと音を立てた。
そこで彼はようやく、自分が腹を空かせているのだと気が付いた。この世界に転生して短くない時間が経過したと思うが、いまだ一度もご飯を食べていない。腹を空かせて、当然だった。
彼はほとんど無意識のまま器を手に取り、口に近づけていた。
シチューはしたらやけどしそうなくらいに熱かった。レインはその熱にさえかまわず、そのとろみのある液体を飲み下す。
ごくり、ごくり、ごくり。
3回喉仏が上下に動いたとき、レインのシチューは残り半分程度まで減っていた。
一息ですべてを飲み込まんとする彼のかたわら、ルカムもゆっくりとシチューを飲み始めた。エレナはニコニコ笑いながら、レインを眺めている。
「なんだ? 一人早飲み競争でもしてるのか?」
「そんなに急がなくてもいいのに~……って」
レインさん!
エレナが突然、大声を上げた。
レインは「どうした?」と静かに問い返すが、声はかすれていて鼻声だった。
それで、レインは気が付いた。
自分が泣いていることに。
「……どうしたんだ?」
「いや……」
大男が心配そうな表情で、まじまじとレインの顔を見つめる。エレナもまた眉を眉間に寄せているが、レイン自身自分が泣いている理由がわからなかった。なので彼は、ただ笑って「なんでもない」と言った。
「……しばらく何も食べてなかったから、つい」
「ならいいんだけど……」
心配そうな表情は見せつつ、エレナも彼女の分のシチューに手を付けた。自分で作ったものに対し、「美味しい! 完っ全にプロの味だね!」と自画自賛している。「確かにうまそうだが……褒めすぎだろ」と言っていたルカムも、一口飲むとため息をついた。
「……完敗、完全にプロの味だ」
「好評ならまた作るねー! リクエストとかも、あれば聞くよ」
「ありがとう」
レインは礼を言い、「また、このシチューが飲みたいな」と答えた。レンが前世でたくさん飲んできた味、あるいはそれより具材が少なく味気ないはずなのに、彼はこれが気に入っていた。
レイの感性が影響しているのだろうが、レインにはなぜ自分がこうも気に入っているのかわからなかった。
「……食事もとったことだし、今日はもう寝な」
三人がシチューを飲み終わった頃を見計らって、ルカムは立ち上がり、空になった食器を集めた。
「片付けは俺がやっておく」
「え、いいですよ、ルカムさん! 私が作ったものなので!」
「いや、まかせっきりにはできないさ。あと、タメ口でいい」
「えー……」
「疲れてるんだろ? 早く寝た方がいいぞ」
そこまで聞いて、エレナは物凄く嬉しそうに「そこまで言うなら仕方ないな~」。どうやら、先輩であるルカムに対し積極的に仕事を任せたくなかったので、あくまで仕事を任せたくない風を取り繕ったらしい。
ルカムが出て行き、レインとエレナだけになった部屋。
おやすみの言葉を告げて、二人は横になった。
ベッドの中、眠りにつくまでの少しの間、一人、レインは寝返りを打つ。
明日も頑張ろう。
前向きな気持ちのまま、彼はまどろんだ。
夢の中で、レインは凶器で殺される夢を見た。
それがどんな凶器だったのか、誰が殺したのかもわからない。あるいは、拷問人から受けた仕打ちをリフレクトしているのかもしれない。ただ、大きな凶器だったような気はしている。
ただ、一つ言えるのは。
拷問人から仕打ちを受けていた時と同じように、抵抗の意思はまるで浮かばなかったということだ。