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暴食のレイン  作者: はむはむ
怠惰のフレイ
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1、冒険者

「か、かしこまりました。レイン、ですね。少々お待ちを」

「……」


 レインは黙って、エレナと眼を合わせた。

 地下牢にまで助けを求めてきた彼女は、まだ頭の整理が追い付いていないのか、虚ろな目で見つめ返すばかりである。小首をかしげるその姿は、まるで人形の様だった。


 彼女を救ってから、まだ一日も経っていない。

 困惑は当然の反応だろう。


 ギルドに来たのは、ごく単純な理由だった。

 『冒険者ギルド』とは、この世界に存在する便利屋のような集団。対価さえもらえればなんだってするという、ハイリスクハイリターンな業種だが、入会手続きが簡単で、なおかつ身柄を詮索されないという意味では、今の彼にとっては最適であった。


 ギルドの建物に明かりはなく、真昼間だというのに薄暗かった。

 その代わり活気が満ちているので、暗い印象はない。


「……おい」


 脅すような低い声と共に、レインの肩が掴まれた。

 レインは特に何の感情もなく、振り返った。


「今、『レイ』って言ったか?」


 首筋にひんやりとする感覚。

 そこにいたのは、赤髪で筋肉質な男だった。額に大きな傷があり、威圧感がある。が、特筆すべきはそこではなく、彼の手が斧の柄を握っているということだった。


 今にも斧を抜き、斬りかかってきそうな気迫を感じる。

 ギルド内の空気が、凍り付く。


 レインは咄嗟に一歩下がり、首を横に振った。


「いや、そんなこと言ってないです。何かの聞き間違……」

「ハァッ!」


 突然、彼の動きが霞んだ。

 かと思えば、レインも抜刀し、手に衝撃が走っている。ほとんど無意識のまま、二人は切り結んでいた。


「俺、なんでこんな……」

「……その反応速度、やはり……!」


 火花が散り、木製の床に炭の跡を残す。


 レンは困惑しているが、体が勝手に動き、自分の1.5倍はありそうな大男の斬撃を押し返している。激しく輝く火花に、目を細めもしない。

 大男は勝てないと見るや否や斧をひっこめ、レインに向けて投げ捨てた。彼はそれを容易く躱し、空を切った斧はギルドの柱に突き刺さる。


 一瞬生じた隙に乗じて、大男が一気にレインとの距離を詰め、襟首をつかんだ。彼は乱暴に、レインを床に叩きつける。


「くたばれ!」

「レ……レインさん!」


 大男が吠え、エレナは悲鳴を上げる。

 それと対照的に、ギルドのその他大勢は、水を打ったように静まり返っている。

 

 大男は倒れ込んだレインに、拳で追撃を加えた。

 雷に打たれたような衝撃に、彼の意識は遠のきかける。拷問されていたころに似た感覚に、悪寒がした。


「本当に、レイなら、ここまで、弱いはずが、ねぇ。多少強いだけで、所詮は、偽物、か」


 大男は言葉に間が開くたび、レインを殴る。

 拳の威力が強すぎるせいで、そのほとんどはレインの耳に届かなかった。


「くたば」

「そろそろやめなさい」


 澄んだ女の声。

 言下に、大男の拳が止まった。


「マスター……」


 彼はレインに背を向け、女を見た。

 それは短い髪の上に麦わら帽子をのせた、白い肌の女だった。身長はそこまで高くなく、筋肉があるとも言えない。しかし、不思議と跪きたくなるような、威圧感がそこにあった。


「しかしながら、この男は……」


 次の瞬間、驚くべきことが起きた。


 大男の右肩から、真っ赤な鮮血が鯨の潮吹きのように噴き出た。混乱した男が振り返ると、レインが立ち上がって彼を見つめていた。


 元々は灰色だった彼の瞳が、赤く染まっていた。

 屈強な大男は、思わず鳥肌が立った。

 右腕の痛みさえ、束の間忘れた。


 逃げ出したい。

 なのに、大男の足は動かない。


「【剣】」


 レインは、剣を振った。

 すると、空間が『壊れた』。



 文字通り、全てが『斬れた』。

 ギルドの建物が一刀両断され、窓一つなかった空間が日光の元に晒される。

 何人かの傍観者が一瞬で潰れ、そこに赤い痕を残した。地面も深く抉られ、小石やら土やらが露出する。


 一刀両断された天井が、降り注ぐ。

 再びレインが剣を振ると、その瓦礫はまるで砂のように粉々になり、人々に降り注いだ。未だ何が起きたか理解できていない人々は、声を上げる事さえせずにいる。


 瓦礫がひとしきり降り注ぎ、舞うのが砂埃だけになったころ。

 ようやく、第一声が響いた。


「……は?」


 腑抜けたその声は、他でもないレインのものだった。

 目の前に広がる地獄のような光景を、自分が作り出したということは頭で理解できている。


 なのに、心の理解が追い付いていなかった。

 放心状態、というか。

 汗が垂れている。


 大男に反撃しようとしたら、体が勝手に動いていた。

 あまりにも、出鱈目すぎた。


 彼に、女の声がかけられる。


「だからやめておきなさいと言ったでしょう、ルカム」


 大男の肩がぴくりと動いたかと思えば、しょぼくれたように下がった。

 それで、レインは大男が今の大量破壊に巻き込まれていなかったことを知った。


 彼女は、剣を握ったまま呆然と立ち尽くすレインの前に歩み寄り、ニッコリと笑った。

 丁寧に頭を下げ、彼女は言った。


「私は、ギルドマスターのエミリー。ようこそ、私達のギルドへ──()()()()、気性が荒いわね」


 どういう意味だ、とレインが問う前に、彼女はよく通る声を張り上げた。


「ルカム以外の冒険者は全員、この場を後にしなさい!」


 まるで、電線にとまっているカラスの群れに向けて手を叩いたみたいに一斉に、人々は動き出した。ところどころにできた血の痕などには目もくれず、我先にと出口へ殺到した。


 それでも、レインたちのまわりには奇妙な空白ができている。全員、彼らの周りを通ろうとはしなかった。


 レインは、ちらりとエレナを見る。

 彼女は青い顔で震えていた。


 レインへの敵愾心が剥き出しだった男は、黙って肩に手を当て、出血を抑えている。

 顔に生気はなく、今に死ぬのではないかとさえ思った。


 なんなんだ、一体。


 台風の目であるはずのレインは、ため息をついて、人々が出て行くのを見るのだった。



***



 自らを『エミリー』と名乗ったその女は、涼しい顔でエレナとレインを受付カウンターの奥へと案内した。大男で怪我人のルカムは案内されず、ただロビーで立ち尽くしている。


 受付の奥には、大量の棚の置かれた部屋があった。棚には溢れかえらんばかりの資料がしまわれており、どうやらそれはギルドの登録情報らしかった。


 現代を生きていたレンは心中で、「個人情報だぞ、もっと大切に扱えよ」と指摘する。


 レインたちが来るより前から部屋にいた受付の女が、棚のうち一つを引っ張り、雑巾を取り出した。

 エミリーが彼女に向けて言った。


「それでロビーの掃除をしてください。それから、ルカムの治療も」

「はい」


 受付が出て行き、部屋にはエレナ、レイン、エミリーの三人が残った。

 口を開いたのは、やはりエミリーだった。


「久しぶりですね、レイ」

「……?」


 レインは、「久しぶり」という言葉に、きょとんと首をかしげる。

 エミリーは笑いながら続けた。


「覚えていませんか? 昔あなたを匿った、あのエミリーですよ。まさか、また会えるとは思いませんでした」

「……」


 それでもなお、レインは何も言わない。

 段々と、エミリーの笑顔が高圧的になってゆく。


 何か言えたらいいのだが、レインがどれだけ自分(レイ)の記憶を探っても、エミリーという人物についての記憶はなかった。というか、人物に関する記憶はほとんど見当たらなかった。


「……まさか、忘れたのですか?」

「いっ、いえいえまさか、とんでもないです!」


 レインは焦りのあまり、即答した。手に汗が滲んでいる。

 するとエミリーが、疑いを呈した。


「その喋り方……貴方、本当にレイですか?」


 レインは非常に焦った。

 なんと答えたらいいのか、わからなかった。ここでレイじゃないと答えたら、首をはねられそうな気がしていた。それだけ、エミリーの笑顔は恐ろしかったのである。


「口調だけではありません。昔の貴方なら、容赦なくギルドの皆を皆殺しにしていたのに、今はたったの数人……」


 何やってんのレイ!?


 レインは自分で自分にツッコミを入れた。

 ツッコミとは言うが、漫才のような笑い事ではない。


 何もしていない人々を、無差別に殺す。

 この手で何人か殺した今、『凶悪殺人』の言葉が明確に定義された気がした。


「……まぁ、ともあれ、何かしらの変化があったのですかね」


 エミリーはふっと表情を崩し、レインに背を向け、「お茶を入れてきます」。

 彼女は部屋から出て行った。


「……怖……」


 彼女が部屋を出たのを見計らって、レインは言葉を漏らした。

 一体全体、自分はどうしてしまったというんだ。こんな恐ろしい場所、いっそのことあのままあそこにとどまって、拷問に耐えていたほうがマシだったかもしれない。


 実際、ついさっき人を殺したし。

 命の重さを人数で数えるなら、エレナをあそこで見殺しにしていた方が、犠牲になる命は少なくて済んだだろう。


 中世で命の価値、なんて考えない方がいいか? 薄情すぎて、そんなこと、レインには不可能だった。


「……レイ……いや、レインさん」


 彼の思考を中断する形で、エレナが話しかけてきた。

 レインは、ぼんやりと彼女を見やる。

 顔は痩せこけて白く、眼の下には深い隈ができていた。さっきの返り血が降りかかったか、服には黒い液体がついている。移動する途中で新調していた服が、既に汚れていた。


「どうした?」


 レインは、きっと自分は糾弾されるだろうな、と思っていた。

 目の前で殺人を二度も行った男が、怖くないはずがない。


「……助けてくれて、ありがとうございます」


 エレナは、レインを見つめたまま言った。

 レインは目を見開いた。鳥肌が立つのを感じていた。


「無理はしなくていいよ」

「してないです。命を助けてもらった、恩人ですから」


 その言葉の真偽はわからない。少なくとも、怯えているようには見える。

 ただ、レインは『驚き』と喜びのまじりあった、不思議な感情に浸っていた。


 恩人、か。



 エレナを救って、よかった。


「……どうしたんですか?」

「なんでもないよ」


 レインは資料のおかれた棚の方を見た。

 そのまま少しの間硬直し、「これから先は」と切り出す。


「俺とエレナはこれから先、このギルドで生計を立てることになると思う。でも、ここはならず者たちの巣窟。女には、危ない場所かもしれない。今更の確認だけど、それでも、ここで働く?」

「……」


 彼女は即答せず、下を向いた。

 しかし、沈黙はほんの数秒だった。


「レインさんは、ここで働くんですよね」

「うん」


 エレナは彼の、灰色の眼を見た。

 そして、震える顔で、笑顔をつくった。


「な、なら、私はレインさんと働くよー。恩があるしね」

「……そっか」


 彼女の声も顔も、自然体のものとは思えず、やはり緊張しているようだ。

 でも、少なくとも、大きな茶色の目は、震えていなかった。


 二人の会話が収束時、エミリーが手ぶらで部屋に入ってきた。


「それでは、方針が固まったようですね」

「あ、エミリーさん。お茶は……?」

「……なんのことですか?」


 彼女は碧眼を細め、穏やかな笑みを顔に刻んでいる。やはりその表情は威圧感を孕んでおり、レインは思わず「なんでもありません」と返す。エミリーはさらに目を細めた。


「とにかくようこそ、私の冒険者ギルドへ。早速、あなたたちにお似合いな依頼を見つけてきました。やりますよね?」


 答えは明白だ、とレインは頷く。

 エレナがそれを見て頷くと、エミリーも満足げに頷いた。

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