第7話 ゆうしゃアナスタシアとの出会い
あの家には悪魔が棲んでいるらしい――。
そんな噂が村の中で囁かれるようになって早一年が経過した。
モンドやセレナの様子を見て何度か隠蔽のスキル上げを試みたが、やはり二人が隠蔽されたものを発見することはできなかった。どれも失敗に終わり、その都度、二人が教会の神父様に悪魔祓いをお願いするものだから、悪魔が棲む家として周囲の人々から認知されてしまった。
悪魔が棲んでいるということで、二人は夜を恐れるようになっていたが、最近は何も隠蔽していないので平静に振舞えているようだった。
本当に申し訳ないと思うけど、前世の記憶があるからか、どうしても本当の両親のように思えず、二人のことはどこか他人事であり、あまり心が痛まなかった。薄情と言えば薄情なんだろう。
なにせ、最近の僕の悩みといえばもっぱら隠蔽のスキル上げが進まない。
これにつきるからだ。
(……どうしようもないな)
どれだけ考えても良い方法を思いつかない。
(仕方ない……。今日も潜伏のスキル上げに集中するか)
ため息をつきながら家を出ようとした矢先、女の子の声が外から聞こえてきた。とても元気な大きな声だ。
「たのもー!」
「ちょっとアナ……。やめたほうがよいよ」
「だいじょうぶだよ! なんたって、わたしはゆうしゃなんだから!」
「でも……」
「ゆうしゃはアクマなんかにぜったいにまけないの! みてて、リア!」
二人の女の子の軽快な会話がかすかに家の中にまで入ってきた。居留守を使おうかと思ったけれど、なんだかおもしろそうだと思い、僕は家の外に足を踏み出した。
外に出ると二人の女の子がいた。服装は僕と同じくボロをまとっている。この村の一般的な服装だ。
一人は木剣を握り絞めて切っ先を僕に向けていた。もう一人はその彼女の背に隠れるようにしてこちらを覗いているようだった。二人とも背格好や年齢は僕と同じくらいのようだった。
「……なにか用?」
「でたわね! あなたがアクマね! このゆうしゃアナスタシアがたおしてくれる!」
「どういうこと? 僕は悪魔って名前じゃないけど」
「うそはつうじないよ! このゆうしゃアナスタシアはすべてをしっているんだから!」
どこか劇中のセリフを思わせることを言いながら、彼女――アナスタシアは木剣を振りかぶり襲いかかってきた。
「アクマめ、かくごしろ!」
(まさかの、異世界にきての初戦闘がこれとは――)
正直、意味は分からないが襲ってくるからには対処しないといけない。折角、短剣術の技能があるのでいつも使っていた薪割り用の短刀で応戦したかったが、あいにく手元にない。
――が。
問題はない。
僕は即座に右手で本を棚から引き抜くような仕草をした。
今ではたったこれだけの動きで《全知の書》が顕現する。《全知の書》を右手に持ち、自身のステータスを表示させる。そして目を見開いてアナスタシアを凝視する。
(――鑑定技能、発動!)
これは《全知》技能の存在を知ってからしばらくして気づいたのだが、僕には無条件で習得している技能がいくつかあった。
僕が《全知》を習得する際に、世界のルールから逸脱しないように、僕の種族が人間から半神へと調整された。
同様に、《全知》を習得しているものが無知であってはおかしくなってしまう。それゆえに、《全知》の整合性を保つために、僕にはあらかじめいくつもの技能が生まれつき備わっていたようだった。
鑑定技能もその中のひとつだ。
鑑定を発動すると、アナスタシアのステータスがまるでゲームのウィンドウみたいに目の前に現れた。
アナスタシア(種族:人間)
LV 2
HP 5
MP 2
VIT 1
STR 1
DEX 1
AGI 0
INT 0
MND 0
【技能】
共通語(人族)Lv1
剣術Lv1
(あー……。弱いなあ。モンドとセレナのときも思ったけど、一般人はこんなもんか)
今回は、あえてアナスタシアのステータスを《全知の書》に表示させず、鑑定にてウィンドウ表示させた。
そのウィンドウを指で押さえてドラッグし、《全知の書》に表示された自分のステータスに重ね合わせた――。
《全知の書》は文字通り《全知》である。
それは、この村の歴史を知っている。
この世界の歴史を知っている。
技能の習得方法やスキルの上げ方を知っている。
そして――戦闘の情報も知っているのである。
――たちまちにして、アナスタシアのステータスウィンドウは《全知の書》に吸い込まれ、この戦闘における彼女と僕の様々な戦闘情報が新たに表示される。仮にこの戦闘情報を――戦闘ログとしよう。
(なるほどなあ。こうやって表示されるんだな)
僕は心の中で感嘆した。
隠蔽と探知の関係性のときもそうだったが、知識で知っているのと実際に行うのでは、やはり実感する度合いが違う。
まず、彼女の攻撃速度は1であり、継戦能力はたったの3。
継戦能力とは連続して攻撃を繰り出せる時間--いわゆるスタミナだ。この場合、彼女が休憩を挟まずに動ける時間は3秒しかないことになる。
僕は、アナスタシアの最初の木剣の一振りを大きく後退して躱し、距離をとった。意外だったのかよほど悔しかったのか、彼女は鼻息を荒くしながら今度は下段か切り上げてきた。
(――あたらないよ)
今度は一歩も動かず、棒立ち。
しかしそれでもアナスタシアの攻撃は空を切った。彼女はとても不思議そうにして、何度も切りかかってきたが、一度たりとも僕の身体に、彼女の木剣が触れることはなかった。
戦闘ログに表示される彼女の攻撃の命中率はたったの3%だった。つまり回避率97%。100%じゃないところに少し現実味を感じられる。まあ、あたったところでダメージは雀の涙程度だ。
とりあえず今は棒立ちで回避行動をとらなくても、この回避率が維持されるか、これからの実戦に備えて確認だ。
「どうしてアナのこうげきがあたらないの!」
「それがこの世界のルールだよ」
「いみわかんないこというな!」
アナスタシアはむきになりながらも、相変わらず力まかせに木剣を振り下ろしてきた。何度かそうしている内に、やがて彼女は息切れを起こした。
「こんなのおかしいよ! あくはせいぎにはまけるものなのに! アナはしっているんだから! このいえにはアクマがすんでいるって! あなたがそうなんでしょ!」
「僕は悪魔じゃないよ」
「うそばっかり! なんどもなんどもアクマばらいしているじゃない! そんなのみんなしっているよ!」
「だから違うって」
いくら否定してもアナスタシアは訊く耳をもってくれない。彼女はそれからも攻撃を繰り返してきたが、やがて木剣を満足に持ち上げられないほど疲弊し、その場で膝から崩れ落ちた。肩で息をしながら僕を睨みつけてくる。
「――ところで勇者ってなに? 君は勇者なの?」
「そうよ! わたしはゆうしゃなの! それでこっちにいるのはリリア! せいじょなの! だからわたしたちはまけられないの!」
「……アナ、なんどもいっているけどぜったいにこの子じゃないよ。アクマは、めには見えないものなのよ」
リリアと呼ばれた女の子は困った顔をしていた。
「それにちょっと――……。しらない男の子のまえで、せいじょって言われるのははずかしいかな」
「なんでよう! リアはせいじょでしょ!」
「それは――そうだけど……」
リリアはとても恥ずかしそうに、手をもじもじとしていた。ちらりとこちらを見ては目を伏せていた。
(あー。なんか分かったかもしれない)
身内同士でなら良いけれど、人前では恥ずかしくなるアレだろう。
「ひょっとして、ごっこ遊び?」
「……はい」
僕が訊ねるとリリアは俯きながら呟いた。
ごっこ遊びの延長線上で、かくも勇敢な勇者アナスタシアが悪魔の棲む家と噂されている、僕の家に悪魔討伐に来たわけだ。
――なるほどなあ。
何度も何度も悪魔祓いが行われているから、事情を知らない人からしたら、僕が悪魔に憑かれているって勘違いしてくる人がいても不思議じゃないのかなあ。
(――って、こんなこと呑気に考えている場合じゃないな)
もう少し目立たないようにしないといけない。
さすがに本気で悪魔の棲む家と思われてしまっていたら、セレナとモンドの肩身が狭すぎだろう。……もう手遅れかもしれないが、汚名を払拭できるよう頑張ろう。
(……そういえば最後にひとつだけ確認しておきたいことがあったな)
こうして目の前に向き合っている状態なら回避率が維持されることは分かった。ならば、目を背けるとはたして――。
(さあ、打ち込んで来いよ)
僕はアナスタシアに背を向けた。
これだけの大きな隙をつくったのだ。
勇猛果敢なアナスタシアはきっとすぐさま反応してくれるだろう。
直後、後頭部を木剣で殴打された。硬い木で打ち付けられた感触はするが、不思議なことに痛みはまるで感じなかった。
「やった!」
という、アナスタシアの喜びの声が耳朶を打つ。しかし僕は冷静に今起こったことの確認をしていた。
――さすがに相手から視線を逸らしていると攻撃は当たるらしい。
(あたりまえか……)
相手を認識していなければ回避率は0%になる、という世界のルール。
どれほど強靭に鍛えたところで、死角にいる相手を認知する探知技能がなければ、攻撃は必ずあたってしまうようだ。
アナスタシアの攻撃を《全知の書》の戦闘ログで確認するとダメージはたったの4だった。
僕の現在の最大HPが244なので、割合からすると所詮はかすり傷程度だ。たとえ、後頭部を殴打されたところでその事実は変わらず、かすり傷では誰しも痛みを感じないように、なにも感じないのだろう。
「あ、……あくま!」
後頭部を殴打されても痛がる素振りもなく、アナスタシアの方に向き直る僕を見て、彼女は一瞬だけ怯えた目を向けてきた。しかしすぐに唇を噛みしめると、彼女は僕を指さして叫んだ。
「――きょ、きょうはここまでにしておいてやる! つぎこそはたおしてやるから!」
勇ましく敗け台詞を口にすると、アナスタシアはリリアの手を引っ張り、脱兎のごとく逃げ出した。遠く見えなくなるまでの間に、何度かリリアはこちらを振り返り、礼儀正しくぺこぺこと頭を下げていた。
彼女に手を振りながら、僕はさっきの戦闘を振り返った。
(思わぬ初戦闘だったけど、これはこれで良かったな)
《全知の書》の戦闘ログの機能をどこかで実験したいと思っていただけに、今回の件は本当に助かった。
そろそろ『魔の森』を横断した後のことを考えて、魔物を倒して短剣術の技能のレベルを上げようと思っていたところだった。
けれど、さすがに魔物との初戦闘にはしり込みしていた。
ゲームと違って死んだら終わりの世界。
中々、最初の一歩を踏み出せずにいた。だが、今回の一件で臆することなく魔物を倒すことができそうだ。
(……勇気をくれたってことについては、今回の彼女はまさしく勇者そのものだな)
ちょっと笑えてくるが。
まあ、なんにせよ今回の一件で《全知の書》で確認したいことはできた。
今度からは『魔の森』で魔物討伐といこう。
ちなみになぜ僕が真っ先に短剣術の技能を習得しようと思ったかと言うと、全ては『魔の森』に集約される。
『魔の森』を横断するために、潜伏や隠密を主な技能として上げている関係上、僕の戦闘スタイルは今のところひとつに絞られるからだ。
それは――背後から忍び寄って攻撃する、暗殺者スタイルだ。
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