第5話 技能習得に向けて
「アンリ! どうしてこんなことをするの!」
目を覚ますなり、今日も怒られた。
セレナは鍋を片手に握り絞めながら眉間にしわを寄せて仁王立ち。モンドは僕を庇いたそうに部屋の隅からチラ見してくる。どうやらセレナが怖くて口を挟めないらしい。
「ごめんなさい」
と、僕はいかにも反省していますという風に装って謝る。当然、内心では反省していない。
(……だって、隠蔽の技能を習得するためには仕方がないよね)
昨夜は眠る前に、食器6こ、スプーンとフォークをそれぞれ3こ、着替えや下着など、家の中の隠せるものを全部隠した結果合計で74こも隠すことができた。これを隠蔽技能のスキル経験値に換算すると1480の経験値になる。
――順調、順調。
そんなことを思いながらセレナの叱責を聞き流す。
隠蔽技能の習得やレベル上げで難儀なところは、隠すときは見つかってはならないくせに、隠したものを見つけられないと経験値が手に入らないのだ。
隠した事実1つにつき経験値が20もらえる。
その性質上、こうして怒られるのは致し方ないとはいえ毎日こうだといい加減うんざりする。セレナも聞き分けのない子をもってお気の毒に、という周りの同情の目に心が病んでしまわないか心配になる。
――でもこればっかりは止められないんだよなあ。
せいぜい、いたずらっ子で通る年齢のうちに隠蔽の技能はある程度上げておきたい。
「もうそのくらいにしておいたらどうだ」
「――でも、あなた!」
しゅん、と項垂れる僕を見かねたのかモンドがセレナをなだめる。
「アンリも悪いことをしていると思うが、せいぜい物の配置を変えたとか、その程度のことじゃないか。何も盗んでいないし、せいぜい子供の遊びだよ」
「それは――そうかもしれないけれど……」
セレナは何か言いたげな顔をしていたが、モンドが肩に手をおくとため息をついた。
「……アンリ、もういいわ。お母さん、言い過ぎたわね」
「うん、ごめんね」
ほんとうにごめん。
それしか言葉がでてこない。
これから先もどれだけ怒られようがこればかりは止められない。
夜、就寝する前に家の中にあるものを隠せるだけ隠す。昼過ぎにももう一度、全部隠した。悪いと思いつつも、僕は繰り返す。どれだけ怒られてもせっせと隠した。
ストレスからか日に日にセレナの頬がこけ、目がやつれていっている気がする。――けれど、止められない。
隠蔽の技能は文字通り隠蔽をする技能のことだ。物を隠して見つからないようにしたり、ステータスの改ざんもできるようになる。
『魔の森』を抜けるときに必要になってくる技能だ。
まず『魔の森』はその全長から一日で横断することは不可能である。
何日にもわたって横断する場合、当然、森の中で夜を過ごす必要がある。森を進んでいる間は魔物を視認しながら見つからないように進んでいくことは可能だが、夜眠っているときに魔物から発見されたらどうしようもない。
それを回避するためにはどうしても隠蔽の技能が必要となる。
すでに僕が習得している野営技能Lv5と隠蔽技能の両方を併せることで、野営に隠蔽を施せるようになるらしい。つまり野宿していても魔物から見つからないようにできる。
見つからないようにするための条件としては、相手の探知レベルより隠蔽レベルが上回っている必要がある。
《全知の書》によると『魔の森』を徘徊する魔物の中で最も高い探知レベルは6であるので、隠蔽のレベルは7以上必要になってくる。
このレベルに達するために必要な経験値は、《全知の書》によると1267200であり、隠蔽技能の経験値は、1つの物を隠して発見されると20増える。つまり63360回も物を隠して発見されなければならない。かなり途方もない数字である。しかも、隠蔽を行うには自身のMPを1消費する。
僕の今のMPが326なので一日に得られる経験値は最大でも6520だ。
MPは自然回復せず、一晩眠ることでしか回復しない。他にも上げたい技能はあるので、全てのMPを隠蔽技能のために使うわけにもいかない。
仮に毎日、最大MPの半分だけを使って隠蔽技能を上げた場合、レベル7までは388日くらいかかる。最終目標のレベル10にいたっては必要経験値が1000万を超えているので、到達までに7-8年はかかりそうだ。
(……先は長いなあ)
この日も昼前にセレナが洗濯を干しに行っている間に、家の中にあるものを全て隠してから僕は家を出た。向かうは村はずれにある大木。
僕はそこで潜伏と短剣の技能を上げていた。
大木の幹をめがけて、家から持ち出した短刀で斬りつける。この短刀は冬場に太い薪を細く割るときに使われているものだ。今の季節は特に使うこともないので、勝手に持ち出しても、幸いにも今のところばれていない。
何度も何度も幹に短刀を打ち込む。
1回打ち込むたびに1の経験値を獲得する――らしい。《全知の書》によると、短剣など武器を使った技能の習得方法は、ひたすら該当する武器で攻撃をあてることらしい。
途中で休憩を挟みながら、1日100回全力で短刀を振りかぶり、木の幹に打ち込む。回数自体はそれほど多くはないのだが、短刀が木の幹にあたるたびに衝撃が腕から身体に伝わってくる。――かなり痛い。二歳児の身体にはこれでも過酷だった。
まだこの鍛錬をはじめてから数日しか経っていないが、筋肉痛と関節痛を感じない日は一日だってない。
短剣の技能上げの日課を終えると、僕は大木の幹をよじ登って枝に腰かける。高いところにいると風をほどよく感じられた。とても涼しげで、短剣の打ち込みで熱く火照った身体には気持ちが良い。
(……なんか母さんの叫び声が聞こえる気がするなあ)
遠くの方で女性の叫び声がした気がした。
(洗濯を干して、近所の人たちと喋ったりして、家に帰ったところかな)
そんなことを思いながら、僕は潜伏の技能を行使する。
文字通り身を隠す技能だ。この技能のレベルを高めないことには『魔の森』で魔物から見つからずに横断することは不可能だ。
MPを1消費して10秒の間身を隠すことができる。習得方法はこうして隠れること。誰からか。僕の場合はセレナから。
《全知の書》で自分のステータスを確認する。
思惑通り10秒ごとにMPが1消費されている。そしてMPが消費されるたびに潜伏技能の経験値が20ずつ増えていた。物を隠した僕に説教するためにセレナは僕を探しているに違いない。狙い通りだ。
隠蔽の技能レベル上げで最大MPの半分を使い、そしてもう半分はこの潜伏の技能レベルを上げるために使っている。
この経験値が19800まで貯まると、晴れて技能を習得できる。
習得した後は任意で発動できるようになるのだが、それまでは自分の行動によって技能に適した経験値を獲得できる。
僕は《全知の書》で技能の習得方法や今みたいに現在進行形で経験値の獲得を確認できるけど、それ以外の人はどういった行動をすれば技能の経験値を入手できるかも分からないし、確認する術もない。
親の仕事を手伝うようになれば自然と親と同じ技能構成になるだろうし、その結果、十二歳のときに受ける教会の神託においても親と同じ職業が与えられるのだろう。
(ほんとうに《全知の書》には感謝しかないな)
これがなかったら僕は木こりになっていただろうし、ひょっとしたら一か八か『魔の森』を横断しようとしたかもしれない。
ありえたかもしれない未来を考えただけでゾッとする。
しばらく風にあたっていると、身体の熱がとれ、少し肌寒くなってきた。幹に手をあて枝の上に立ち上がる。
遠い眼下には質素な家が建ち並んでいる。見慣れた村の光景だ。地面に直接、柱を打ち込み、壁には何かの植物の小枝を編み込んだものに泥なんかを混ぜて乾燥させた土が塗りたくられている。いわゆる土壁風な家だ。屋根は藁葺きだし、入り口には扉なんてものはなく革やら布をかけているだけ。文明の明かりは何も感じられない。
MPが枯渇するまで潜伏の技能を発動し続けた後、僕は枝から飛び降りた。
この村の人たちも、いつか自分たちの本当の故郷である西方の都市に連れて行ってあげたいな。
そんなことを思いながら僕は家路についた。
技能経験値を日々獲得していった結果、隠蔽技能を無事に習得し、順調にLv2に達した。
しかし喜びも束の間――このときを境にセレナは、発狂することとなってしまった。
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