第18話 ある貴族の思惑と挑戦へのはじまり
迷宮からの帰り道、森の中の小径を歩いていた。
青々とした木々が風に揺れ、小鳥がさえずっている。太陽が木々の間から差し込み、光の筋が地面に揺らめいていた。セリーヌは隣を歩きながら、少しずつ力を取り戻し、状況を理解してきている様子だった。
「ありがとう、本当に助かったわ」
と彼女は言った。
「どういたしまして。無事でよかったです」
と僕は答えた。
彼女はいつもの堂々とした騎士の様子とは異なり、今日は少し落ち着いた、普通の女性らしい振る舞いや口調だった。死に直面し、つきものが落ちたかのように、今の彼女からは騎士や冒険者といったイメージはどこか遠くに感じられた。今の彼女はただの女性のように見えた。
ギルドに戻ると、一様に慌ただしい様子が広がっていた。掲示板にはセリーヌの似顔絵らしきものが掲示され、冒険者たちが情報を集めては出発する準備をしているようだった。
(さすがにこの中に、彼女を連れて入りにくいな……)
ギルド内の冒険者たちは、セリーヌを見つけようと、すごく意気込んでいた。いたるところで一致団結し、気合の声が響き渡っていた。抜け駆けしたみたいでひどく居心地が悪い。
そこで、僕はセリーヌを連れてギルドの裏口に回って、扉を叩いた。すると、受付で何度か見かけた女性が中から出てきた。
「あら、君は……」
彼女は言いながら僕を見るなり、すぐに状況を把握しようとした。そして、僕の後ろからついてきていたセリーヌの顔が視界に入ったのか驚いたように声をあげた。
「セリーヌさん!」
「……無事に迷宮の中で見つけたんですけど、ちょっと入り難くて」
僕がそう言うと、彼女はすぐにリリアンを呼びに行った。リリアンが戻ってくると、彼女は深い安堵の息をもらした。彼女は落ち着いた様子でセリーヌに声をかけた。
「セリーヌ、無事でいてくれて本当によかったわ。でも、ギルド長と領主様があなたのことでとても心配しているの。無事な顔を見せて、彼らを安心させてあげて」
「ありがとう、リリアン」
セリーヌは微笑みながら頷いた。二人は言葉を交わし、まるで昔からの親友のように抱き合った。一瞬、二人の関係に興味が湧き、《全知》が発動しそうになったので、僕は慌ててその考えを打ち消した。
その後、リリアンにギルド長室を案内された。ホール内を誰にも見つからないように静かに通って、重厚な扉を開けると、バルドリックと身なりの整った男性が、ゆったりと座っていた。部屋の一角には、ガイウスが立っていた。
部屋全体が重厚な雰囲気に包まれ、壁には武具や何かの動物の剥製が飾られていた。窓からはやわらかな光がさしこみ、書物や地図が丁寧に整理された机の上に光を落としていた。その光の中で、バルドリックの硬い顔が瞬く間に安堵の表情に変わった。
「セリーヌ! 無事だったか!」
バルドリックが笑みを浮かべながら言った。
「本当に心配したんだぞ!」
「ご心配をおかけして申し訳ございませんでした。こちらのアンリが、助けてくれたのです。皆さんも、私なんかのために、ありがとうございます」
「何を言う。君のためなら当たり前だ。まずは無事を祝おうじゃないか。坊や……いや、アンリと言ったか。まだ小さいながらさすがだ。よくやってくれた!」
「たまたま、潜った迷宮で見つけたんです」
深堀されると面倒なので偶然を装いながら、僕は言った。
「たとえそうだとしても、運も実力のうちだ」
「……おい、バルドリック。この子どもはなんだ? どうしてこんなところに子どもがいる?」
身なりの整った男性が、バルドリックに発言した。
――だれだ? この人は。
眉をしかめると、途端に《全知》の技能が発動した。男の素性が頭の中に勝手に侵入してくる。何度か経験しているが、この感覚は未だに不快感がある。勝手に身辺調査を行っているという倫理観や物理的に脳をかき回されているような感触が気持ち悪い。
男の名前はウィリアム・モンフォールというらしい。
この要塞都市ストーンヴェールの領主だった。
――へえ。この人が、この街の領主様か。
領主ウィリアムは、五十歳になったばかりの中年の男性で、髪は灰色がかった茶髪。軍人のように均整のとれた顔立ちをしていた。彼の目は深く、知恵と厳しさを共有しているようであり、重厚な黒の外套や装飾の施された鎧を身につけたその姿からは、威厳と権威を感じさせられた。
とうとう、この世界で貴族と出会ってしまった。しかも領主様ときた。厳密にいえば、セリーヌも貴族なのだが、彼女は身分を隠しているので数には入らないだろう。
人生初の上流階級との対面。
感慨深い瞬間かと思いきや、それよりも、緊張の方が勝った。態度に気をつけないと平民である僕は簡単に不敬罪で裁かれてしまうかもしれない。自然と背筋が伸びた。
「こいつはアンリだ。こいつが、今回セリーヌを見つけてくれたらしい」
「こんな子どもがか?」
「子どもと言えど、侮れないぞ。つい最近この街に訪れて冒険者登録をしたところだが、そこのガイウスの魔物の日間討伐記録とFランク昇級の最短日数を更新した期待の若手だ」
「ほう? 子どもながら、なかなかの実力者ということか」
ウィリアムは深くため息をつきながら、興味深そうな視線を向けてきた。冷静さと好奇心が入り混じったような表情だ。彼の顔にかすかな笑みが浮かんでいた。
利用できるものは利用する。
そんな顔に見えた。
ウィリアムは貴族なので、習慣的に損得勘定を頭の中で計算しているのかもしれない。
敵か味方か。
利になるか害となるか。
ちょっと居心地が悪い。
「おまえはいつぞや、冒険者ギルドで出会った子どもだな。――そうか、おまえが噂の『ボロの服を着た子ども』か。アンリというのか。ユリオンが黒と白の防具を期待の若手に販売したと興奮気味に話していたが、おまえのことだったか」
ガイウスは僕を見るなり、思い出したように言った。観察するような鋭い目つきが、彼の言葉とともに、僕への興味を現しているようだ。
「――ひとまず俺は、彼女の無事を他の連中に伝えてこよう。それではな、アンリとやら。これからの活躍も期待しているぞ」
ガイウスが踵を返しながら言った。そして扉を開けて出ていく。出ていく際にちらりと睨まれた気がした。嫉妬や焦燥のようなものが、そこには交錯しているようだった。
セリーヌと過去に因縁でもあったのか?
とても気になったが、《全知》でそれを暴くのはよくない。頭を悩ませていると、ウィリアムが口を開いた。とても威厳のある声だった。
「しかし、今回は無事に生還を果たしたとはいえ、この事態には深刻な背景がある。君は侯爵令嬢だろう」
セリーヌの表情が固まる。一瞬、僕を見てから彼女は短い沈黙の後、頷いた。その頷きには、警戒心と同時に、僕には素性を隠しておきたかったという諦めの表情が見て取れた。
あの商会での出来事といい、セリーヌは周囲をとても警戒しているようだった。彼女の生い立ちからすると、素性を知られた場合、命の危機に直結するので分からなくもない。
だから僕にも素性を知られたくなかったのだろう。
しかし、このウィリアムはきっとそれを知っているはずなのに、僕の前であえて発言したように思える。
子どもだから警戒されていないのか。
それとも、先ほどのバルドリックからの僕の紹介を聞いて、僕を巻き込むつもりか。どちらにせよ、僕にとってあまりよくない方向に進みそうだ。
「君の身分を考慮すると、私たちはこの事態を慎重に受け止める必要がある」
「それはどういう意味でしょうか?」
セリーヌが答えると、ウィリアムは言った。
「やはりあなたは冒険者を辞めたほうがよいということだ。バルドリックもそう思うだろう?」
「それは、そうだと思うが――……」
バルドリックが言葉を詰まらせると、ウィリアムは賛同者を得たとばかりに言葉を続けた。
「セリーヌさん、あなたは、もう危険な場所に身を置くべきではありません。貴族の身分を持つあなたが冒険者として活動することは、危険すぎるし、この街の名誉にも関わります」
彼の発言に、セリーヌは唇を嚙みしめながら固い表情で頭を振った。
「今の私は、ただのセリーヌです。自分の人生は自分で決めます。騎士であり、そして冒険者であり続けることが私の選択です。家族の名誉のために戦うのも、私自身のために戦うのも、私の決断です」
セリーヌの声は自信よりも、不安が多く混じっているようだった。彼女は震える指先を握りこぶしで押さえつけていた。ひょっとしたら今回の件で、彼女も自身の限界に気づかされたのかもしれない。
「あなたが強くなりたいという気持ちは理解できます。叔父への憎悪も真っ当なものでしょう。でも、あたなが果たそうとしているものは、他の方法でも達成できるはずです。家族の名誉のために戦うことは立派なことですが、無謀な冒険は許されません」
「たとえ無謀に終わるのだとしても、私は父の仇を討つために強くなる決意をしました。そして、そのためには冒険者としての活動が必要なのです。たとえウィリアム様でも、私の決断を変えることはできません」
ウィリアムはセリーヌの言葉に耳を傾けながらも、かすかな微笑みを浮かべた。彼の表情は常に厳かだった。しかし、その微笑みは彼の心の奥底にある理解と共感を示しているようだった。その証に、次に出てきた彼の言葉には、優しさと懸念がこめられていた。
「私もあなたのお父様にはお世話になりました。それゆえに、あなたには幸せになってほしいのです。今の道がそこに通じているとは思えません」
「私が欲しているのは幸せではなく名誉です。『賊に殺された無能な侯爵』と吹聴しているあの叔父を許すわけにはいかない」
「だから何も、冒険者だけがその道ではないと私は言っているのだ」
憤るセリーヌに対し、ウィリアムの反応は反対しつつも、彼女の意志を尊重しているかのようだった。しかしこれでは平行線だ。お互いの言い分が着地しない。
部屋の中には、一触即発の空気が漂っていた。領主ウィリアムの厳しい視線が、セリーヌと彼女の言葉に注がれている。
《全知》でセリーヌの顛末を知っている僕からすれば、問題は冒険者としての活動ではない。彼女の死亡フラグはまだ存続しているということだ。彼女はこのままだと遅かれ速かれ、運命に導かれるまま死んでしまうだろう。
「ところで、バルドリックよ。そこの子ども――アンリという者は強いのか?」
「――あ、ああ。強いぞ。驚くことにこの俺よりもな」
それがどうしたんだ、とでも言いたげにバルドリックは不思議そうな顔をした。
「それは驚嘆すべきことだな。にわかには信じられん。しかし、バルドリックが嘘をつく理由もないし、荒唐無稽のように思えても、それは事実なのだろうな」
ウィリアムが僕をちらりと見て言った。その瞳には深い興味と疑問が宿っているかのようだ。彼の表情がわずかに変化し、口元には軽い微笑みが浮かんでいた。何か悪だくみを企んでいるような雰囲気が漂っていた。
「セリーヌよ。そこに冒険者になったばかりだというのにとても強い――子どもがいるようじゃないか。冒険者以外の道が私にはそこにあるように思えるのだがな」
完全に飛び火した。
そうくるか。
「……アンリに師事しろと? それがこの街で私を匿う条件だとウィリアム様はおっしゃるのですか?」
「あなたがそう聞こえたのなら、私の発言はまさしくその通りだということだ。冒険者になる以前から強かったという、この子どもなら強くなるための特別な方法を知っているに違いない。――そうだな?」
ウィリアムの視線を強く感じる。その視線で射抜かれたみたいに、ちょっと胃が痛くなってきた。
彼は貴族だ。
ここで彼の言葉を否定してしまったら、平民の僕はどうなってしまうのか。考えるだけで億劫だ。彼への返事は肯定しかない。
「おっしゃるとおりです。僕は強くなる方法を知っています」
「――本当か!」
頷きながら言った僕の言葉に、セリーヌは驚きの表情とともに喜びの声をあげた。彼女を見ると、自然と頬がひきつった。僕はこう返すしかない。
「ホントウです」
「よし、決まりだな。――やってくれるな? アンリとやら」
ウィリアムの力強い念押しに僕は頷くしかない。
「もちろんです」
と。
セリーヌに満面の笑みを浮かべられ、「ありがとう」と言われるが、僕は頭を抱えた。なぜなら実際、僕が冒険者登録をする前から強かったのは、魔物を定期的に討伐して技能を上げていたからだ。何も特別なことはしていない。二歳児のころからやっていたのだから誰でも強くなる。
(……さあ、どうしたものか)
と、思ったが、ウィリアムにとっては実際、僕が彼女を強くできるかなんてどうでもいいんだろう。どちらにせよ、彼女を命の危険から遠ざけるという目的は達成される。
僕はこう言われたのだ。
冒険者としての活動以外の方法で、彼女を強くしてみせろ、と。
それはつまり、彼女を魔物とそれに関わるもの全てから遠ざけることを意味する。
そして、改めて《全知》でセリーヌの顛末を確認する。
彼女の運命はやはり何度見ても修正されていない。
――迷宮で遭難して死亡する。
正直、セリーヌを強くすることよりも、こちらの方が問題だ。
何度見ても、この一文に気が滅入る。
もともとこの結末を変えるために模索するつもりではあったが、絶対に失敗が許されなくなった。
僕はなんとしても彼女をこの運命からも救い出さなければならない。
そうでなければ、侯爵令嬢を殺害したとして、この貴族様に指名手配されるだろう。
……厄介なことになった。
僕の自由で快適な異世界旅行はたちまち逃亡生活になってしまう。
「くそ! 俺も教わりたいんだが!」
というバルドリックの叫び声を無視して、僕はウィリアムに一礼し、ギルド長室を後にした。
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