第17話 運命との邂逅
「セリーヌさんが昨日から行方不明だそうです」
リリアンが悲痛な表情で言った。
「そうなんですか。それは心配ですね」
彼女の言葉に同情をこめつつ、僕は全ての状況を知っているので反応に困った。セリーヌの居場所を伝えようかと思ったが、それを口にするのは得策じゃない気がした。実際にはその通りなんだが、彼女が行方不明だという話に疑問を感じた。
「どうしてセリーヌさんが行方不明だって話になっているんですか? 彼女はひょっとしたら外泊しているのかもしれませんよ?」
なにせセリーヌは魅力的な女性だ。
ロマンスのひとつやふたつあっても不思議じゃない。
「それはないらしいわ」
とリリアンが答えた。
「どうしてですか?」
僕が尋ねると、リリアンは悲しげな表情を浮かべた。
「彼女はギルド長の別宅に住んでいるの。だから彼女は騎士団の仕事で夜勤をするときでさえ、家に帰らないときは必ず事前にギルド長に話しをしていたそうよ」
「そうなんですか」
と、心の中で相槌をうちながら「ああ、なるほど」と心の中で思った。
それで毎日、バルドリックはセリーヌが帰宅しているのを知っているわけだ。
たしかセリーヌの父とギルド長は、冒険者仲間だったな。彼女の父との友情のため、彼女をしっかりと見守っているのだろう。
ギルドホールの雰囲気はいつの間にか静かになり、曇った窓からは朝の光がかすかに差し込んでいた。バルドリックの姿がそこに佇んでいる。彼の表情は暗く、重苦しい空気が彼を覆っているようだった。
セリーヌは追手から逃れてこの要塞都市ストーンヴェールを訪れた。昨夜、帰らなかった彼女は、追手の手にかかったのではないか、とバルドリックは思っているのかもしれない。
実際のところは迷宮での遭難だけれど、彼は昨日、あの迷宮でセリーヌの姿を見かけていないので、そのことを知らないのだろう。
「それで、これから捜索が行われるんですか?」
「ええ、そうよ。アルデンさんが主だって、『魔の森』と街道沿いの森の中や、迷宮の中も探す予定よ」
まあ、そうなるよね。
話によると、彼女が門を出たところまでは目撃情報があるらしいのだが、それ以降、彼女を目撃した者は誰もいないらしい。
さて、どうしたものか。
僕は考えた。
こうなることは、知っていた。
《全知の書》に記された内容を再確認すると、明日には迷宮内に魔物が再出現し、捜索が間に合わず、彼女は迷宮内で多くの魔物に襲われて死亡する。これが彼女の顛末だ。
見捨てる、という選択肢はない。
セリーヌが孤独な状況におかれ、魔物との戦いで命を落とすことを想像するだけで心が痛むし、なんとか助けてあげたいと思う。
しかし問題は彼女を救った後のことだ。
試しに、《全知の書》を開いて、セリーヌの歴史を表示させて、アナスタシアのときのようにその結末を変えられないか隠蔽を施す。しかし、技能はうまく発動しない。すでに《全知の書》に隠蔽が施されているため、効果がないようだ。
これでは、セリーヌを救ったところで、またあのときのアナスタシアのように、結末はそのままに、なんらかの出来事が挿入されるだけだろう。つまり、今回救い出したところで、彼女はまた遭難をするし、魔物に襲われて死ぬ結末は避けられない。
――とはいえ、それが事実だったとしても、ここで見捨てるわけにはいかないよな。
セリーヌには何かと助けてもらった。彼女の命を救うために、いろいろと模索してみるか。
「僕も手伝わせてもらえますか? いちおう偵察人ですし。セリーヌさんを見つけ出す手助けができるかもしれません」
と、僕は考えた末、リリアンに申し出た。
「そうですか、ありがとうございます!」
リリアンは驚きの表情を浮かべたが、やがて嬉しそうな微笑みが彼女の顔を満たした。
「セリーヌさんは大丈夫だと思いますよ。僕たちが彼女を見つけ出して助けてあげればきっと喜ぶと思います」
と、僕は続けた。その言葉に、ホール内の空気が温かくなった気がした。
「はい、一緒に捜索しましょう。きっとセリーヌさんも私たちのことを待っているはずです」
とリリアンは強く頷いた。
「とりあえず迷宮の中を見て回ってきますね」
僕が言うと、リリアンが慌てた。
「え!? ちょっと待って! ひとりで?」
「はい、そうです」
「迷宮は危険な場所だし、ひとりは危ないわ」
「大丈夫ですよ。セリーヌさんを早く見つけ出すために、ひとりで動くのが効果的だと思うんです」
バルドリックにセリーヌの動向を伝えると大事になりかねない。きっと大規模な捜索隊を結成し、救命に乗り出すだろう。しかし、そうなってしまうと、とても時間がかかりそうだ。それなら僕が単身で乗り込んで、迷宮全域を『探知』で探った方が速い。
「なにせアルデンさんと『探知』が被ってしまいますからね」
リリアンはまだ心配そうな表情を浮かべていたが、やがて頷いた。
「くれぐれも気をつけてね。危なくなったらすぐに引き返してちょうだい」
「――ええ、もちろんです。それでは、行ってきます」
僕はリリアンに手を振ってギルドを出て、迷宮へと向かった。
迷宮の入り口に到着すると、僕は松明を灯して暗闇を照らし、そのまま迷宮に足を踏み入れた。
《全知》にて迷宮内の構造を把握し、『探知』技能によってセリーヌの居場所を特定する。彼女は五層から形成される迷宮の奥深くにいることが分かった。松明の明かりだけを頼りに、闇に包まれた通路を進む。
進むにつれて、暗闇はますます深くなり、松明の明かりが不安定に揺れる。迷宮の通路は陰惨な雰囲気に包まれ、壁は湿っていて、時折水滴が滴り落ちる音が響く。通路は曲がりくねり、時には分岐点が現れる。足元には不規則に石や岩が散らばり、歩くたびに足音が響く。迷宮の奥深くからは、遠くから響く不気味な音や、時折聞こえる風の音が迷宮の中に冷たく響いていた。
やがてセリーヌのもとへと辿り着く。彼女は壁に寄りかかって座っていた。頭がやや前に垂れ、髪の毛が顔の前に垂れ下がっていた。目は閉じたままで、静かな呼吸だけが聞こえてきた。
よかった。
まだ生きている。
彼女がまだ死なないことは知っているが、こうして彼女の無事を確認できると、安堵せずにはいられなかった。
彼女のそばに立ち、松明の明かりを顔に近づける。彼女は疲れて眠りに落ちているようだった。彼女は眩しそうに目を細めたが、眠りから覚める気配はなかった。
「セリーヌさん、起きてください」
少し力を込めて頬を叩いても、彼女は眠りから覚めない。
まいったな……。
彼女を抱え上げようとしたが、僕はまだ自分が子どもであることを痛感してしまう。身長の差により、彼女を背負うことができなかった。松明の明かりに目を落としてから逡巡する。
「どうしようか……」
不安が心を掠めるが、思い切って《全知》の力を使って迷宮を理解しようとする。目を閉じて、完全に光のない世界の中、僕は迷宮の構造を把握できるか試した。すると、瞼の裏に迷宮の構造や景色が浮かび上がった。これならば松明の明かりなしでも進むことができる。
松明の明かりを消し、代わりにセリーヌを抱き上げた。いわゆるお姫さまだっこだ。彼女の体は軽く、か細い手足が身体に寄り添っているようだった。頭が僕の肩に沈み込み、彼女のやわらかな髪が僕の顔に触れた。その髪から、迷宮の湿った空気に混じり、優しい花の香りがした。
彼女の体温が僕の胸に伝わり、そのぬくもりに安心する。僕は慎重に、しかし確かに歩みを進め、彼女を抱えたまま迷宮の暗闇を踏みしめた。時折、彼女の眠りからの小さな呟きが耳に届くが、彼女は安らかなまま眠っていた。
彼女を抱え、迷宮の暗い通路を進んでいく。迷宮の構造を把握したおかげで、迷路のような通路でも迷わずに進むことができた。
やがて、通路の先に光が差し込んでくる。迷宮の出口だ。その明るさに目を細めながら、僕は迷宮から外へと歩み出した。
外は太陽が輝き、爽やかな風が心地よく吹いていた。
セリーヌを地面にそっと下ろし、地面に身を横たえさせる。
なんとか無事に脱出できた。
《全知》の万能ぶりには感謝しかない。
太陽の光が緑の葉を透過し、彼女の顔に優しく当たっている。周囲には木々のざわめきと、小鳥のさえずりが心地よく響いていた。
森の中で、彼女の無事を確認しながら、彼女が目覚めるのを待つ。
しばらくすると、彼女がゆっくりと目を開け、周囲の景色に目をやる。そして僕に気づいた。不安そうに僕を見つめ、その後、安堵の表情が浮かんだ。
「あなたが……私を助けてくれたの?」
セリーヌの声は穏やかだったが、少し疲れているように聞こえた。目を細め、周囲を見回す彼女の表情は、まだぼんやりとしているようだった。
「ええ、そうですよ。昨日、セリーヌさんがここに入って行くのが見えたので、助けにきました」
「そう――ありがとう」
セリーヌは少し目を見開いたが、すぐに瞼を閉じ、また開ける。何度か繰り返すうちに、状況を少しずつ理解し始めたのか、不安の気持ちが少しずつ和らいだように、呆けた表情から普段の顔つきに変わっていった。
「さあ――もう大丈夫です。ギルドに戻りましょう。みんながセリーヌさんのことを心配していますよ。そこでゆっくり休んで状況を整理しましょう」
セリーヌは僕の提案に頷き、ゆっくりと立ち上がった。そして、僕とともに森の中を歩き、ギルドに向かった。
さあ、これから彼女の運命はどう動きだすのか。
そのことだけが気がかりだ。
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