第16話 Fランク冒険者はよく遭難する
――ストーンヴェール滞在八日目。月の六日目。
夜から朝にかけての静寂が、まだ街を包みこむ中、冒険者ギルドを訪れると、エデンたちがすでにギルドの前で待っていた。朝日が徐々に明るさを増し、街並みに淡い光を投げかける中、彼らはギルドの前に立ち、会話を楽しんでいるようだった。
「おう! おはよう!」と、エデンたちに迎え入れられながら、僕が到着すると、ギルドの扉がゆっくりと開き、ギルド長――バルドリックと見知らぬ男が一人、姿を現した。
「遅れずによく来たな!」
バルドリックは大声で言いながら笑った。彼の豪快な笑顔は、朝の陽ざしの中にあってことさら眩しく見える。
「その方はどなたですか?」
レナがバルドリックの傍らにいる男に視線を向けながら話しかける。
「こいつはアルデンだ」
バルドリックが大らかに手を振りながら、傍らの男――アルデンを紹介してくれた。
彼の身長は今の一二歳の僕より少し高いくらいだった。決して体格が恵まれているというわけではなさそうだ。しかし、身に着けている装備は革製の軽鎧で、ところどころ傷や汚れが目立ち、その使用感から冒険者としての経験の豊富さが伝わってくる。彼の髪は灰色の色合いを帯び、目は鋭く、知的な輝きを放っていた。顎には短い髭が生え、顔の輪郭に深みを感じられる。年齢は四〇くらいと言ったところか。
「今日は、こいつに迷宮を案内してもらう予定だ。ギルド所属の、いわゆる迷宮案内人ってやつだな」
そういう職もあるのか。
たしか偵察人の職業技能が判明した時にリリアンがその名を口にしていた気がするが、あまり興味がなかったので聞き流していた。
エデンたちのパーティで周囲を警戒する役割は、射手のミアなんだと思うけど、彼女は、『探知』はあっても『罠解除』と『鑑定』の技能は持っていない。これでは迷宮の宝箱を開けることは、箱に隠された爆弾を開けるようなもので、毎回、命がけになってしまう。
ゲームと違って復活ができないこの世界でだからこそ、アルデンのような迷宮案内業、いわゆる隙間産業が成り立つのだろう。
「おはようございます。将来、有望な新人の皆さん。私はアルデンです。本日は迷宮案内を担当させていただきます。どうぞよろしくお願いします」
冒険者がいるようなこの世界に似つかわしくないほどに、アルデンの言葉遣いはいささか控えめであり、しかし礼儀正しかった。慎重であり、丁寧さが見て取れるその物腰は、『探知』で魔物を警戒し、慎重に『罠解除』を行う迷宮案内人の職業柄が滲み出ているようだった。
「おねがいします!」
と、エデンたちのパーティは息ぴったりに返事をした。乗り遅れる形になったが、僕も慌てて返す。そして心の中でため息をつく。十代のテンションについていけない……。と。
それからはバルドリックとアルデンを先頭に、僕たちは街道を進んだ。朝の陽光が眩しく輝き、木々の葉がそよ風にゆれていた。街道沿いの建物や民家は、まだ眠りから覚めたばかりのように、静寂が漂っていた。
門を出て、少し進むと、街道から分かれて森へと進む小径があった。小鳥のさえずりが聞こえ、森の中は穏やかな雰囲気に包まれていた。『魔の森』とは違う、普通の森だ。僕は初めてこの世界で本当の森に足を踏み入れた。この森には陰気さをどこにも感じられず、木々の間から差し込む光が、森の緑を輝かせていた。
森の中の小径を進んでいくと、迷宮の入り口が現れた。草木が生い茂る地面に囲まれた大きな岩が門のように入り口を形作っていた。岩の表面には苔が生え、迷宮への入り口が暗い洞窟のような開口部としてそびえ立っていた。
入り口に到着すると、バルドリックとアルデンが前に立ち、厳かな声で言った。
「今日は記念すべき、おまえたちの迷宮への初挑戦だ! これから先、様々な困難が待ち受けるだろう。しかし、恐れず、勇敢に立ち向かえ。パーティとの連携を忘れず、乗り越えていくんだ。俺たちはおまえたちならそれができると期待しているぞ!」
まるで壮行会みたいなノリだ。
僕は軽く頷いただけだったが、エデンたちはとても感銘を受けたかのように瞳を潤ませていた。
次にアルデンが一歩前に出て迷宮の探索において重要な点を説明する。
「迷宮の内部には様々な危険が潜んでいます。罠や魔物には十分注意してください。また、チームワークが成功の鍵です。助け合い、信頼し合いましょう。そのために今日は、探索の基本を教えて差し上げます。私たちの指示に従ってくださいね」
アルデンの声は冷静で、しかし自信に満ちていた。
ずいぶんと慣れている印象だ。
エデンたちは彼の言葉をしっかりと受け止めるように、しきりに頷いていたが、僕には彼の言葉は耳に入ってこなかった。なぜなら、二人の奥に人影が見えたからだ。その人影はひっそりと迷宮の中に入って行く。一瞬、見間違いかと思って、とっさに『探知』技能を発動させてしまったが勘違いではなかった。
その人影――セリーヌは、たしかに迷宮の中に独りで入って行った。
「どうしたんだ? 坊や」
僕が訝しがっていると、バルドリックが声をかけてきた。
「――いえ、さっき知り合いが迷宮に独りで入って行ったんです」
「ああ、なるほどな。そういうこともあるだろう」
バルドリックはよくあること、のような表情をして言った。
よくあるのか?
今は迷宮の六日目だぞ。
アルデンがさっき、さもこれから危険が待ち構えているかのように、エデンたちを鼓舞していたが、それはこれからの心意気に言及しただけで、今日に関していえば茶番だ。
迷宮の魔物は一度出現し、倒されたら一週間は再出現しない。
だから今の時期に、魔物はほとんど残っていないだろう。だからこそ、この時期にFランクに昇級する冒険者の迷宮探索の講習が行われているのだ、と僕は思った。
だから、強くなることを求めて、セリーヌがこの迷宮に入ったとしても、魔物と遭遇しないし、得るものは何もないように思える。
それなのに迷宮に入ることは不自然だ。
「さて、とりあえず早速、中に入ってみましょうか」
僕が独り、考え事をしているとアルデンが背嚢から松明を取り出して、火を点けた。その光が、迷宮の入り口を照らし出す。彼の真似をするように、エデンたちも松明を取り出して火を点ける。
「え?」
僕は思わず驚きを声に出してしまった。
松明なんているのか。
「おいおい。持ってきてないのか。常識だろ、常識!」
エデンに呆れられるが、僕は苦笑いするよりほかない。
完全に失念していた。
村の近くにあった迷宮は光茸が生えていて明るかったから、これから潜る迷宮も同じようなものだと思い込んでいた。しかし、この迷宮はそうではなかった。
準備不足だ。恥ずかしい。
「最初のうちはそんなものだ。こんなこともあろうかと、いくつか用意していたもんがある。これを使いな、坊や」
バルドリックから松明を受け取り、火を点けてもらうと、小さな炎がほんのりと明るさを放ち始めた。松明からは暖かな光が広がり、迷宮の闇を照らし出す。松明の先端が、かすかな光を迷宮の闇に投げかけ、光と影を生み出していた。
入口から中に足を踏み入れると、岩や壁の凹凸が、松明の光によって奇妙な形を浮かび上がらせ、床の石がほのかに輝いて見えた。
しかし、迷宮を進むにつれて、松明の暖かな炎は次第に弱くなっていった。迷宮の暗い空間には、陽の光が届かず、そのため、ひんやりとした冷たい空気に満ちていた。
松明の暖かさは徐々に感じられなくなり、僕たちは、各々が手にする松明のわずかな光の中で、冷たい空気に包まれながら進んでいく。
「この迷宮はどんな魔物がでるんだろうな?」
エデンがひそひそと言った。
「さあ、でもアルデンさんが教えてくれたように慎重に行動しないといけないよね」
レナが返事をする。小さな声にもかかわらず、迷宮の中で静かに響いた。
「でも、こんなんじゃ、暗くてなにもわからないよ」
ミアが不安そうに喋ると、カイルが答える。
「迷宮探索をするような冒険者はやっぱりすごいんだな」
エデンたちは静かに興奮しながら会話をしている。このことをバルドリックやアルデンが咎めないのは魔物がいないことを知っているからだろう。もし、周辺に魔物がいたら格好の的だ。
――それにしても何も見えないな。
道しるべもないし、さっきからいくつか通路が分岐していたけれど、無事に帰れるんだろうか。
不安が頭を過る。
幸いにも、僕は《全知》と『探知』技能の組み合わせで、頭の中で地図化できているが、エデンたちはどうなんだろう。
迷宮の中はとても暗く、岩だらけの通路が続いていた。足元には不規則に並んだ石があり、時折、つまずきそうになる。
進むたびに岩壁の間を潜り抜け、曲がりくねった道を進んでいく。足音が迷宮内に響き渡り、その響きが闇の中を巡る。そして、やがて、広間のような空間が現れる。松明の光が、広間と岩壁が立ち並ぶ様子を照らし出す。
「ここが、今回の迷宮の一階層の中間地点だ」
「は? もう中間地点に着いたってか? 魔物と遭遇しないとか、つまらないな」
エデンが不満を漏らすと、レナも同意するように言った。
「まさか、こんなにも平和な迷宮探索になるなんて思わなかったよ」
「そうそう。緊張感がないよね」
「たしかにこのままだと、迷宮探索の醍醐味を味わえないね」
ミアとカイルも同様に呟く。
「まあ、今の時期は迷宮に魔物がいないから仕方ないよ」
「ほう? 坊やはよく分かっているようだな」
僕がため息をつきながらエデンたちを宥めると、バルドリックが反応した。
「人並みにね。魔物の迷宮での再出現は一週間単位。今はもう、さすがに迷宮内に魔物はいないですよね?」
「そのとおりだ」
「……え? そうなの?」と、エデンたちが口々に話をし始める。これまで迷宮に縁がなかった彼らは魔物の再出現期間についての知識は、どうやら持ち合わせていなかったらしい。その様子を満足げに眺めながらバルドリックは続きを口にした。
「だからこそ、迷宮で魔物と戦うことが冒険者の花形だと思っている連中の考えを改めるのにはもっとも適した時期だ。その意味が分かるか?」
意味……。
なんだろう?
松明の炎が揺らめくたびに、迷宮の壁面に影が踊るかのように現れ、立ち並ぶ岩々が不気味な姿を浮かび上がらせる。しばらく考えても答えが出ず、僕は首を横に振った。
「ここからの帰り道は、おまえたちが先導してみろ」
『――え?』
と、エデンたちの声がハモり、迷宮の暗闇の中で響き渡った。彼らの動揺が伝わってくる。彼らには道が分からないんだろう。ただアルデンの背中を追いかけているだけでは、暗闇の中の分岐点を記憶するのは難しい。迷宮の中は何もない。彼らは誰一人として地図を広げたり、迷宮の壁に目印をつけたりしなかった。
魔物が出現しなくとも、迷宮は安穏な場所でない。
そのことに一瞬で気づかされるバルドリックの言葉だった。しかし、彼の真意を知ってしまえば僕には別に驚愕すべきことじゃない。
「坊やは慌てないんだな」
「僕は迷宮は初めてじゃないんです。頭の中にきちんと道順は記憶しています」
「まじかよ、おまえ!」
「うそ! すごい!」
「ほんとうか……?」
エデンとレナ、カイルが口々に驚きを発する。
少し得意げに言ってしまったが、若干、後ろめたい。
道を進んでいるだけで《全知》が直感さながらに正解の道を教えてくれるので、実際のところ、そんなことはしていないからだ。
「さすがだな、坊や。日間討伐記録と最速の昇級を果たすだけのことはある」
バルドリックは意外そうな顔をして言った。
それにしても、さっきから、坊や坊やとやけに耳に障る言葉だ。
子ども扱いされると、ひとりの人間として認められていないみたいで、少しイラっとする。
まあ、たしかに、子どもだけどさ、と思いつつも、僕はにこやかに彼の続きを待った。
「しかし、油断はするなよ。今回の迷宮は罠も少なく、崖を飛び越える必要もないような、簡単な道しかなかったが、今後もそうだとは限らないからな」
「今回の?」
やけにひっかかる言い方だ。僕は聞き返した。
「それはどういう意味ですか? まるで迷宮が毎回姿が変わるように聞こえるんですが」
「そのとおりだ。実際、迷宮は姿を変えるのさ。さすがの坊やも、これは知らなかったと見えるな。アルデン、説明してやれ」
「わかりました」
バルドリックの言葉を引き継いで、アルデンが丁寧な物腰で言った。
「迷宮の魔物の再出現は週に一度行われます。そして、迷宮の道の再生成は二週間に一度行われるのです」
初耳だ。
村の近くにあった迷宮は一度もそんなことはなかった。
「それはどの迷宮も行われるんですか?」
「ごくごく稀に存在する小規模な迷宮では再生成は行われず、魔物の再出現だけ発生する場所もあるみたいです」
だったら僕が通っていた『隠者の迷宮』は再生成が行われない小規模な迷宮ということだな。迷宮の道が変わらなかったおかげで、しばらくすればピクニック感覚だったが、二週間に一度、道が変わるというのなら、そうもいかなくなるかな? 道を覚えなおさないといけない。
ああ、そうか。
だからセリーヌは迷宮に入って行ったのか。再び現れる魔物に備えて道を確認するために。
バルドリックに尋ねると、彼は「多くの冒険者はそうしている」と答えた。迷宮の道が再生成されない期間においては、魔物が再び現れる前に、道を把握することが重要なのだという。魔物を討伐するのは早いもの勝ちであり、そうしなければ競争に負けてしまう。
「迷宮では魔物と戦うためにも、そして無事に生還をするためにも、きちんと道を覚えなければいけません。それを失敗してしまうと、遭難して外に出られずに死んでしまうものです。実際、Fランクに昇級したての冒険者の一番多い死因は魔物にやられてしまうのではなくて、迷宮内での遭難です」
「言われてみればそうかも……」
ミアはアルデンの言葉に納得いったように頷いた。彼らの心に深く刻まれていくのが分かる。迷宮内を探索するだけでも命がけの戦いであり、慎重な準備と計画が不可欠だ。
「そういうわけで、今日は、この中間地点と入り口の間を何度も往復して、迷宮の地図化の方法と進み方の練習をしますよ。これができるようになって、あなたたちはFランクに正式に昇級です。いいですか?」
「はい!」
と、エデンたちの元気な返事が、暗闇の中に響き渡る。その中には、少しばかりの不安や緊張が混じっているように思えたが、いつもの調子でエデンは興奮気味に笑っていた。
ただ、僕には必要ないので、帰らせてほしいと思った。しかし、一般の冒険者たちが迷宮内をどのように進むのかを知る良い機会だと考え直し、エデンたちに付き合うことにした。
その後、何度か迷宮の一階層の中間地点と入り口を往復しながら、エデンたちはアルデンに渡された一枚の紙に迷宮内部の様子を書き込んでいった。
その様子をじっくり観察すると、彼らの中で唯一『探知』技能を所持しているミアが最も正確に地図化できているようだった。
ひょっとしたらステータスに現れない部分で、空間認識能力に補正がかかっているのかもしれないが、僕の《全知》は何も答えてくれない。だから、たまたまなんだろう。
紙に地図も書かずにただ歩いているだけの僕に、アルデンは少しだけ嫌そうな顔をした。彼の目には、授業中にノートもとらない、やる気のない学生のように映っていたのかもしれない。
頭の中に記憶している、と僕が言っても虚勢を張っているだけかもしれない、と彼は思ったのか、一度だけ僕を先頭にして迷宮の中間地点から出口まで案内するように言った。
アルデンも地図を開かずに完全に記憶しているようだった。
にもかかわらず、Fランクに昇級したての、ましてや子どもが同じことをできるはずがない、と彼は僕をみくびっていたのかもしれない。
まあ、僕の場合はカンニングのようなもので、彼の推測は正しかったのだが、侮られるのは嫌なので、僕は完璧に彼の要望に応えた。
迷宮の床の水たまりや、つまずきそうな岩の凹凸を全て指摘しながら、彼よりも速く皆を安全に出口まで引率してやると、さすがのアルデンも顔色を変えて、言葉を失ってしまった。
ざまあ、みろ。
ちょっとだけ気持ちがスッキリした。
夕暮れ時までこの地図化の講習は続いた。外の光が次第に弱くなったころに、「終了」の声がアルデンの口から語られた。
陽が完全に落ちる前にギルドに戻り、ギルド証を更新してもらう。
「おつかれさま」というリリアンからの労いの言葉とともに、新しいギルド証を受け取ると、ランクの表記が『G』から『F』に変わっていた。
やった。
これで明日から、より自由に冒険者として活動できるぞ。
週が変わったら早速、迷宮に乗り込んでやる。
視線を移すと、喜びに満ちた笑顔で新しいギルド証を手にするエデンたちの姿が印象的だった。彼らの目には、新たな冒険への期待と興奮が宿っているように見える。彼らは、また明日も魔物が出現しない内に迷宮に潜って地図化をするらしい。
宿屋に戻ると、例の彼を一階で見かけた。食事をしていた。
「こんばんは。今日はFランクの講習を受けてきました」
声をかけると、彼は軽く頷いて応えてくれた。
「――そうか。慣れないうちは地図化は難しいだろう」
「一緒に受けた知り合いはとても苦労していました」
と、僕が苦笑いすると、彼は興味深そうに耳を傾けて言った。
「君は?」
「それほどでもなかったです」
「すごいね」
彼は驚いたように眉をあげて言った。その表情は彼の素のように見えた。そろそろ顔見知りではなくなり、友達みたいになりつつある気がする。
僕は、彼との会話の中で、いつあの話を切り出そうか、と考えながら、今夜も彼と食事をしながら一日を終えた。
その翌日、冒険者ギルドを訪れると、慌ただしい雰囲気が支配していた。いつも豪快で余裕綽々を体現しているかのような男――バルドリックからは悲壮感が漂っている。彼は椅子に腰をかけ、憂鬱そうに顔を伏せていた。
受付のリリアンに事情を尋ねると、彼女もまた悲痛な表情で言った。
「セリーヌさんが昨日から行方不明だそうです」
と。
その言葉を頭の中で反芻する。
やがて僕は理解する。
そのときがやってきたのだ。
セリーヌが遭難した。
彼女の運命の終着点が訪れた――。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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