第6話 リリアンからの贈り物
部屋で目を覚ましたとき、穏やかな陽光が窓から差し込んでいた。
朝の光といえば、淡い暖色のやわらかな色合いが特徴的だが、これはどちらかといえば昼の光に近い。まだ日差しは強くないが、部屋全体を明るく照らしていた。
どうやら寝すぎてしまったみたいだ。
ひさしぶりの寝台での一夜だった。
堪能しすぎたみたいだ。
寝台での一夜の余韻を感じながら立ち上がって支度をする。
部屋を出て、廊下を進む。昨夜とは打って変わって、廊下には宿の静けさが漂っていた。きっと泊まっていた冒険者たちはすでに宿を出ているのだろう。
一階に降りてホールに出る。
昨夜は酒場と化していたこの場所は、日中は食事を提供するためのホールとなっていた。昨夜の賑やかな様子とは違って静かな雰囲気に包まれていた。
「おや、ようやく起きたのかい」
「おはようございます」
昨夜と同じ受付の女性に声をかけられたので、挨拶を返す。
「ご飯はいるかい?」
しばらく頬をおさえて考える。昨夜から何も食べていない。お腹がすいていた。
「はい、いただければありがたいです」
笑顔で答えると、近くのテーブルに案内してくれた。座ると、メニューが用意されていた。小さな紙に文字が書かれていた。
「今日のおすすめは、採れたての野菜を使ったサラダと、自家製のパンだよ。燻製の肉の切り身もサービスでつけてあげるよ」
「それなら、それをお願いします」
「あいよ」
彼女は注文を確認してから、受付のカウンター奥にある扉を開けると、中に向かって叫んだ。その内容は僕がさっき注文したメニューだ。扉の先に厨房があって、そこで料理をしているのだろう。
しばらくして、手際よく一枚のプレートに盛り付けられた料理を持ってきた。サラダは新鮮な野菜が彩りよく盛り付けられ、パンからはふんわりとした香りが漂ってきた。燻製の肉の香ばしい香りに鼻がくすぐられる。
「お待たせ。どうぞ召し上がってちょうだいな」
料理を置くと、彼女はにこりと笑顔で去っていく。
昨夜の寝台に続いて、お肉も十二年ぶりだ。
口の中がすでによだれでいっぱいだ。
テーブルの上にはカトラリーが置かれていて、その中にナイフ、フォーク、スプーンがあった。
手を合わせて食事前のお祈りをすませてから、肉にフォークを突き刺して、口の中にいれる。味が口の中で広がった。思わず目を閉じ、口の中にあるおいしさに集中する。
十二年ぶりの肉だ。
うますぎる。
燻製の肉はじっくりと燻され、風味がしっかりと感じられた。外はカリッとした食感で、中はとてもやわらかで噛みしめるほど旨味が広がった。
パンにしても、スープに浸さないとかちかちで食べられなかった村のものとは違って、とても柔らかで美味しかった。
「おいしいかい? 坊や」
「とっても!」
受付の女性に尋ねられ、嬉しさをそのまま返した。子供のようにはしゃいでいたと思う。
「そうかい、それなら良かった」
口いっぱいにパンと燻製肉を詰め込み、頬張った。
肉汁の最後の一滴まで堪能し、食事を終える。
「そういえばあんたは昨夜はあれから降りてこなかったね。よっぽど疲れてたのかい?」
「どういうことですか?」
昨夜はたしかに十二年ぶりの寝台に浮かれて、そのまま熟睡してしまった。
「一泊二食の料金をもらっているからさ。夕食もせずに寝てしまうなんて、よっぽど疲労がたまっていたんだな。――ちなみに返金はできないよ」
そういうことか。
思い返すと、たしかに食事をとっていない。
少しもったいなかったな。
「もともと僕のお金じゃないですし、返金は不要ですよ。それよりも、ここの宿代はいくらなんですか?」
「一泊二食で五百コッパーだよ。ちなみに食事をしなかったとしても値段は変わらないよ」
「五百コッパー……」
初めて聞くお金の単位だ。
そのお金の価値がどんなものか分からない。
とりあえず冒険者ギルドで任務をこなして、その報酬と比較するか。
「それじゃあ、そろそろ行きますね」
「行ってらっしゃい。あんたがいつか戻ってこれるのを楽しみにしているよ」
「――?」
どういう意味だ。
まるで今夜は戻ってこれずに、再会はずいぶん先になるような言い方だ。
ちょっと変な言い回しに首をかしげたが、とりあえず僕はお礼を言って、背嚢を背負って冒険者ギルドに向かった。
昨日の夕暮れ時と同じように、お昼前の冒険者ギルドも賑やかだった。
街道を歩く冒険者たちの中に混ざり、ギルドに入ると、独特の雰囲気を感じられた。受付のリリアンが手を振ってきた。彼女の笑顔に迎えられ、僕は彼女のもとに向かい、挨拶を交わした。
「おはようございます」
「おはよう、アンリ君。ずいぶんと遅かったわね」
子供だからか。
あるいは昨日の会話のおかげで、少しだけうちとけてくれたのか。
『君』づけされた状況に戸惑いつつも、照れくさい。
そういえば村では基本的に敬称なんてほとんどの人がつけていなかったし、新鮮な気分だ。
「ちょっと寝坊してしまいました」
「今日は任務を受けに来たのよね」
「はい。何か良いものはありますか?」
「残念ながらもう任務はないわよ」
「え?」
予想外の返答に一瞬、頭の中が真っ白になってしまった。
もうない?
そんなに任務の数は少ないのか。
「任務は基本的に朝から取り合いになるの。特に初級冒険者が受けられるものは数に限りがあるから競争率が高いのよ」
「そうなんですか……」
やってしまった。
かなりショックだ。
「ちょっとこちらに来てもらえる?」
リリアンに促されて、掲示板の前まで移動した。
その掲示板の上側には文字が書かれている。『全知』の技能が発動し、その意味が頭の中に流れてくる。それぞれ毎日、毎週、毎月を意味する文字が書かれているようだった。
「本来はこの毎日、毎週、毎月の文字の下にそれぞれ依頼用紙が貼られているの」
「……見事に何も貼られてないですね」
「そうでしょう? 主に、毎日の任務は薬草採取や都市周辺の既定の魔物の討伐で、毎週は迷宮関連の任務ね」
リリアンの話を聞きながら、僕は頷いた。
なるほど。
迷宮で魔物が再出現する期間は一週間だ。
それに合わせて任務が発生するのか。
「毎月は主に東にある『魔の森』の魔物討伐ね。魔物が増えすぎるとそれだけで脅威だから、毎月既定の数を討伐しているの。もう今月は既定数を達成したので、任務としては発生していないのよ」
「そうだったんですか。話を聞く限り、冒険者の仕事って、都市の外の脅威の排除や薬草だとかの魔物との戦いには欠かせない素材の調達なんですね。迷宮の任務はどんな内容なんですか?」
「主に攻略報酬よ。迷宮からの魔石なんかは商人に高く売れるの。ここよりもっと発展している都市には、魔石の魔力を使って稼働する便利な魔道具なんかもあるみたいだから、それらを動かすために需要があるんですって」
「つまり迷宮は資源なんですね」
「そういうことになるわね。むつかしい言葉を知っているのね」
それほどでも、とリリアンに笑みを返しながら僕は内心で頭を抱えた。
ここに来て宿屋の女性の言葉の意味がわかった。
今日、僕が稼げないことを察していたのだろう。
初級冒険者たちがとっくに全ての任務を受注しているということを。
はあ、どうしようか。
何も貼られていない掲示板の前に立ちすくみ、呆然とした。
すると、リリアンが耳元に手を当てて唐突に囁いてきた。
「昨日はありがとうね。アンリくん」
「なにがですか?」
首を傾げながら返事をした。
なんのことだろう。
「昨日、あなたの言うように気分を変えてみようと思って、違う道を使って帰ってみたの。そしたらそしたら、とても良いことがあったのよ!」
リリアンの声には熱がこもっていた。
「それは良かったですね」
結果を知っているだけに頬が緩みそうになったが、勤めて冷静に答えた。
「素敵な人にでも会いましたか?」
「それはもう!」
一瞬、全てを知っているかのような僕の言葉に、リリアンはきょとんとしたが、すぐに彼女はとびきりの笑顔をして言った。
「――それでね、公私混同とか、ギルドの受付が特定の冒険者に肩入れしちゃうとかはダメなんだけど、昨日のお礼をどうしてもしたくてね」
「?」
とても言い難そうにするリリアンに僕は首を傾げた。しばらくすると、彼女は胸元のポケットから一枚の紙切れを取り出した。
「実は、毎日の薬草採取の依頼用紙を一枚だけキープしてたの。よかったらこれで任務を受注してちょうだい」
「え! まさか! 本当ですか!」
まさかのリリアンの提案に、興奮を抑えきれずに僕は声をあげてしまった。
「任務を用意してくれてたんですか!」
「ちょっと声が大きいわよ」
リリアンは周りを気にしながら、照れくさい笑顔で耳打ちするように言った。でも、僕は興奮を抑えきれない。なにせ人生初の任務のチャンスだ。
その依頼用紙を受け取り、期待に胸を躍らせながら中身を確認した。文字は相変わらず読めないが『全知』の技能が頼もしく中身を教えてくれる。
「やった!」
薬草採取の依頼――これが人生初の任務だ。
気持ちは高揚し、即座に、『毒知識』と『鑑定』、『探知』の技能を発動させた。
依頼を見る限り、特定の採取範囲は指定されていないようだ。
技能が混ざり合い、薬草のありかを教えてくれた。
街道沿いの茂みや『魔の森』に多く生えているようだ。
道の脇に緑の茂みが広がり、その中にそよ風にふかれる薬草の瑞々しい葉が脳裏に垣間見えた。遠くの『魔の森』の暗い影が立ち並んだ木々の中。日光が差し込むと、薬草が光を浴びて輝いているような光景も思い浮かんだ。
そして、依頼の達成報酬は三〇本の薬草採取で達成報酬は三〇〇コッパーだった。宿屋での会話を振り返るあたり、宿泊代には及ばない。五〇本採取してようやく一泊二食できる五〇〇コッパーだ。
「既定の本数より多く採取するのはダメなんですか?」
「採取してもいいけど受け取れないわよ。流通しすぎてしまうと、相場が崩れてしまうし、無理をして奥地まで採取しにいく冒険者も現れるからね。だから毎日、安全に初級冒険者が採取できる数を私たちギルドが制限しているの」
「――そうなんですか。ちょっと残念です」
依頼の数といい、かなり数字に厳しい世界だな。
しかし魔物が存在する危険な世界だからこそ、色々と運営に気を割いているのだろう。
とはいえ、依頼報酬ではあの宿の一泊分に及ばない。
規定を超える数を採取したら特別報酬がでないか期待したのだが、それは望めないらしい。
他の宿を探せば、依頼報酬で宿泊できる宿はあるかもしれないが、泊まるならあの宿がいい。
――仕方ない。
お金のことはあとで考えよう。
とりあえずこの任務を終わらせないことには何も始まらない。
「そうは言っても、三〇本を見つけるだけでも大変なんだからね。まずはしっかりと任務をこなして、ランクを上げていけばやれることも増えていくんだから、しっかりね!」
リリアンに励まされて、僕は「はい、がんばります」と笑みを返した。確かに彼女の言う通り、まだ始まったばかりだ。これからこの世界の仕組みを知っていって、冒険者として駆け上がっていくんだ。決意を新たに、僕は彼女に言った。
「それじゃあ、手始めにこの任務を頑張ってきますね! 本当にありがとうございました!」
「ええ、いってらっしゃい。気をつけてね」
リリアンに見送られて、僕はギルドを後にした。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
感想、評価、ブクマを付けてくださっている方々、本当にありがとうございます。




