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アナスタシアの回想②

 今日もアナスタシア――わたしは『魔の森』という、魔物がひしめく深い森を進んでいた。村で調達した携帯用食料はすでに底をつき、日々、魔物との戦いの中で食べられる植物や生き物を見つけ、採取しながら進んでいた。

 生まれて初めて、生きた獣を見かけたときはテンションが上がったが、どうやって食べればいいのか苦慮したこともあった。

 父から昔、村にいた生きた獣の話しを聞かされたこともあったので、四苦八苦しながら血抜きをして内臓を取り出して皮を剥いだ。クレイの水魔法で丁寧に洗い、火の魔法で焼いてもらった。

 初めての獣の肉。

 最初の一口は衝撃だった。

 それはわたしだけではなくて、皆も同じように驚いていた。

 その味覚の新奇さに感動し、興奮したのを覚えている。肉の食感と風味は独特のものだった。しっとりとした質感があり、火の魔法で焼かれたことで外側は香ばしく、豊かな風味が口の中に広がった。

 肉を食べ終えると、お腹の中から活力が漲ってくる気がした。これまでパンと野菜での食事でも充分だと思っていたが、これほどの満足感を得たことがなかった。

 また、セシルが獣を見つけてくれないかな、と期待しつつ、今日は森の中で見かけた小さな川で身体の汚れを落とす。先ほどまでリリアも一緒だったが、彼女は今、近くの茂みに身を隠してお花を摘みに行っている。

 村を旅立つ際には、父から代々受け継がれてきた鎧や剣といった装備をもらい受け、みんな、装備している。とても古びているが、しっかりと手入れが行き届いている。まるで村の歴史を感じさせ、年月を経てもなお、わたしたちを守ってくれそうな気がする。

 川の水で汚れた軽鎧や衣服を洗っていると、かつて村の女たちと一緒に衣服を洗濯していた頃を思い出した。

 懐かしい思い出が蘇ってくる――。


 初めてのゴブリンとの戦いから歳月が経って、わたしは十二歳になった。

 あのころのアンリはいろんな武器に手を出して剣から浮気していた。そのことが少し気に喰わなかったが、わたしも真似をした。彼は常に向上心を持っていたし、その彼が違う武器を学んでいることに何か意味があると思ったからだ。

 結果として、いろんな武器の扱いを知ることは同時に身体の使い方を改めて学ぶ機会となり、身体能力が向上したと思う。

 そして、教会に出向いたあの日。

 不退転の覚悟で臨むために「勇者になってくる」と口にしたものの、私の覚悟を嘲笑うかのような神託が下った。

 わたしは村人として生きろ、と神様に告げられた。

 とてもショックだった。

 強くなって勇者になりたい。旅をしたいとずっと願っていたからだ。そのためにずっと鍛錬を続けてきた。

 しかし同時にふに落ちた。

 アンリに比べればわたしの強さはわずかしかないと感じていた。彼のようにずば抜けてはいなかった。だから、やっぱり勇者はアンリこそがふさわしい、と改めて思わされた。

 それから自分の感情を打ち明けたりしても、アンリは全く聞いてくれなかった。


 ――お嫁さんになるって言っても!


 思い出すだけで恥ずかしい。


(……アンリはわたしのことどう思ってるんだろう)


 もやもやする。

 アンリと再会できる日はくるのだろうか。旅を終えて村に戻ったとき、彼はどんな人になっているのだろう。一度気にし始めると、彼への思いが溢れてくるようだった。

 だってあのときのアンリは意味が分からない返事しかくれなかった。


 ――わたしのためのはじまり(チュートリアル)


 まるでこれから、わたしに試練が待ち構えていて、乗り切れば勇者になれるかのような口ぶりに、わたしは苛立った。

 アンリは幼い頃から神様の加護を与えられているかのように特別な存在だった。しかし彼にはその自覚がなかった。


 それからしばらくして、村が魔物に襲われて、教会の中でわたしは奮起した。

 しかし教会に避難してからもしばらくは悩んでいた。

 この村では、非常時においては、成人男性と戦闘職以外は基本的に避難し、守られるべき存在とされている。

 わたしは戦う力を持っていたけれど村人である自分を受け入れていた。だから村の掟を守ろうとして戦わないという選択をした。けれど、アンリの言葉で、この窮地きゅうちにおいては村長バハバルの子として、皆を導く義務があると気づかされた。

 なによりも村は共同体だ。

 皆が協力して村を運営している。

 教会内に避難している全員が、わたしが戦うことに賛同してくれているならその意思を無下にできない。

 それからは剣をもって魔物と戦ったが、アンリはついてきてくれなかった。

 わたしに戦え、と言っておいて、わたしより強いアンリは戦わないと言った。

 アンリの真意は正直分からなかった。

 その意味を問いただした。しかし、アンリと話しをしているときに、その表情を見て、わたしは納得してしまった。

 幼い頃、木剣でアンリに戦いをしかけた。まるで神様の加護でも受けているんじゃないかと思えるほど、棒立ちの彼に攻撃があたらなかった。

 そしてゴブリンよりわたしの方が強いと言ったとき。

 川辺で、この村でとんでもないことが起こると告げたとき。

 すべて――すべてこの表情だった。

 眉と目がどこか申し訳なさそうにしているくせに、その頬はすこし弛んでいて笑いを噛み潰しているように口を結っていた。それは言いたくても言えない迷いと、未来を想像して、その未来への期待を悟られないようにしているような奇妙な表情だった。

 このときわたしは不思議と確信した。

 アンリはきっと全て知っていた。

 わたしの攻撃があたらないことも、ゴブリンよりわたしが強かったことも、この魔物の襲撃も。

 そして、そのアンリが戦えないと言う。その理由は、ひとつだけだ。ここは、わたしが独りで立ち向かわなければならない。今はその局面なのだ。

 だからわたしはアンリを信じて、魔物の群れに立ち向かった。


 参戦してからしばらくして、わたしは奇妙なことに気がついた。

 村の大人たちは魔物に苦戦しているようだったけれど、なにをそんなに苦戦しているのか分からなかった。魔物は一太刀で倒せるし、そしてその動きはノロマだ。

 初めて見る牙をもった四つ足の獣や魔法を使うゴブリンには驚いたが、何度か相対するだけでその動きの単調さに気づいた。それからは動きを合わせるのは簡単だった。

 しかしそう思って父――バハバルを見ると、魔物を倒すのに二撃から三撃も必要としており、そしてその動きは魔物と同様にノロマだった。

 アンリの背中を追ううちに、いつの間にかわたしは、とんでもなく強くなっていたようだった。だから、物見台から魔物の再度の襲撃を聞いた時、わたしは独りで『魔の森』に向かった。独りの方が戦いやすいと思ったからだ。


 しかし、『魔の森』で戦ううちにとんでもなく巨大な魔物が出現した。

 とても勝てない。

 そう思って村に逃げ帰ったとき、わたしは信じられないものを目撃してしまった。

 アンリが手にしていた剣は、まるで夜の世界が実体化したかのようで、同時に、その煌めく刀身は神聖な輝きを放っていた。その剣は神秘的に見え、叙情詩で詠まれるような勇者の武器を遥かに凌駕しているように思えた。まるでこの世の創世神話に語り継がれるような神聖で神秘的な武器が、目の前にあるかのように感じた。

 戦いの中、アンリは巨人の一撃を喰らった。彼の死を直観したが、予想に反して彼は致命傷を負ったものの、生存していた。

 驚異的な光景に立ち尽くして、不安と興奮が入り混じった複雑な感情がわたしの心を支配した。


 ――普通じゃない。


 暴風を巻き起こすような斧の一撃を受けて生きながらえていることに畏怖を感じた。アンリが巨人に踏みつけられるが、それでも彼は生きていた。その姿はまるで死と無縁の存在であり、彼が巨人の攻撃を受けながらも生き続ける様子は、人では到底ありえないと思ってしまった。

 その瞬間、アンリの存在をとても遠くに感じた。しかしそれでも彼の傍らに肩を並べたいと思って、わたしは巨人の前に一歩踏み出した。そして、巨人の注意がわたしに向いた瞬間、彼は満身創痍になりながらも巨人をたった一太刀で斬り伏せた。

 星屑のように輝きながら剣は砕け散ったが、その光景はとても美しいものだった。 

 その後、全てが終わったと思ったけれど、魔物の襲撃はまだ続いた。

 そのときアンリがわたしに全てを託すと言ってくれた。

 わたしは理由を聞かず、「まかせて!」とだけ返事をした。

 また全てを知っているかのような表情で、アンリが言ったからだ。

 わたしは、アンリを信じた。

 そしてそれからわたしは戦い続けた。

 仮眠をとったり、合間に食事をしたりもしたけれど、ほとんど不眠不休で六日間戦い続けた。その間、アンリの姿は見かけなかったが、それでも彼の言う通りに戦った。

 そして、魔物の襲撃を退けたとき、わたしは驚いた。

 まるで神様がわたしに告げるかのように、頭の中で声がした。

 

"汝の勇気と信念、そして強靭なる意志に敬意を表す。魔物の脅威を退け、困難な道を歩み抜き、神聖なる試練によくぞ打ち勝った。汝こそが今このときより勇者に相応しい者となった。来る脅威に備えて旅立つのだ"


 と。

 わたしは急いでアンリを探した。彼の家の裏手で見つける。何もない平らな地面の上で彼は座り込んでいた。すごく疲れているように見えた。そこで彼が何をしていたのかは分からない。けれど、彼が何かしたことでわたしは勇者になれたのだと思った。

 だって、アンリは、また全てを知っているかのような奇妙な表情をした。眉と目がどこか申し訳なさそうにしていて、その頬はすこし弛んでいる。そして笑みを噛み潰すように口を結んでいた。

 そのとき、わたしは気がついた。

 アンリが何かをしたというのなら、その所業は勇者にできるようなことじゃなくて、そんなことができるのは――。


(……神様だ)

 

 神様以外に存在しない。

 アンリはわたしの勇者じゃなかった。

 アンリは神様の加護を受けていたんじゃない。

 アンリが神様だったのだ。

 そしてわたしを勇者に選んでくれたに違いない。

 自然と笑みがこぼれた。


 それから村は復興していき、アンリとセシルが十二歳になった。

 クレイとセシルは、今日、斥候ハンターが生まれ、いよいよ旅立ちのときを迎えられると喜んでいたけれど、わたしは嬉しさよりも寂しさを感じていた。

 アンリとの別れの日がいよいよ来てしまう。

 アンリが教会に入る際に、またあの顔をしていた。彼が斥候ハンターであることを願っていたが、それはありえない、と確信してしまっていた。だって彼はわたしの神様だ。神託を受ける側じゃなくて、神託を下す側だからだ。

 案の定、アンリには何の神託もくだらなかった。クレイとリリアは驚いているようだったが、わたしにはなんとなく分かっていた。


 旅立ちの前夜になっても、アンリは何も語ってくれなかった。

 だからわたしは我慢ができずに、アンリに詰め寄った。彼が多くを語りたがらないので、何も知らないふりをして、彼に戦いを挑んだ。

 勇者のわたしと互角。

 いや、あの巨人を倒したアンリはもっと強いはずだ。きっとわたしの強さに合わせてくれているのだろう。念願の一撃を彼に叩き込めたが、ちっとも嬉しくなかった。まだまだ彼は遠いところにいると思った。

 そう思うと気持ちが溢れた。

 今まで一緒に過ごした時間、思い出がぐるぐると頭に廻った。

 星空の下でアンリと向き合い、彼に詰め寄る。

 もっと一緒にいたい。

 これからもわたしを導いてほしい。

 その思いが口からついて出た。

 しかし、なんとなくわたしには分かっていた。だからこそ余計に哀しかった。

 アンリは――神様としてわたしを勇者として選んでくれた。そこで彼の役目は終わり、ここから先は、彼に頼らずに、わたしがひとりで――いや、みんなと一緒に前に進んでいかなければならない。だから彼は何もわたしに語らなかったのだろう。

 案の定、アンリは別れの言葉を口にした。


 ――でも、僕は僕で楽しむからってどういう意味よ?


 そんなことを疑問に思いながら、川での水浴びと洗濯を終えてわたしは旅路に戻った。

 それから何十日もかけて、ようやく『魔の森』を抜けた。

 辿り着いたのは広がる平原と、そこに佇む美しい都市だった。草原の風は心地よく、都市の光が夕暮れから夜にうつりゆく空を照らしていた。

 ここまで正確ではないが二カ月くらいの道中だったと思う。

 地図なき道を行き、前に進んでいるのか戻っているのか方向感覚が狂う中、食料を集めるために採集だけの日を設けたり、雨の日には足もとが泥濘でいねいとなり、進むことが困難で岩陰に身を寄せて雨宿りをして過ごした日もあった。


 ――ひょっとしたらアンリなら直線距離ですぐにでも抜けられたのかな。


 森を横断した達成感と嬉しさからか少し心に余裕ができて、ありもしないことを考える。

 村とは違う立派な都市の門を仲間たちとともに潜り抜ける。

 誰一人欠けることなく辿り着いた。

 達成感と満足感。

 初めての冒険を無事に終えられた安堵が押し寄せてきた。心が満たされながら都市に入る。そこでわたしはあるものを目にした。

 ひとつの銅像だ。

 驚愕した。

 その姿はとてもアンリに似ていた。

 周りにいる人に問い詰めると、これは最近、都市を救った英雄の像らしい。


「楽しみすぎだよ。わたしの神様……」


 銅像の前で呆然とわたしは呟いた。

 一体何が起こったのか。

 理解が追いつかない。

 なんにせよ、アンリはわたし以上に冒険を楽しんでいるらしい。

 銅像でさえ、あの奇妙な表情しているアンリを前にして、いつか追いついてみせる、とわたし――アナスタシアは心に誓った。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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