第30話 この戦いの果てに僕が見たもの
夜闇の剣を片手に、力の限り踏み込んでオーガキングに接近する。
しかしその直後、オーガキングは斧を振り下ろした。吟遊詩人が好んで詩にするであろう伝説級のSTR。その膂力から生み出される斧の一撃はまさしく自然の災厄そのものだった。
斧を振るう。
たったそれだけの行動で、大気が割れ、風が渦となって暴風を産み出した。吹き荒れる暴風に立ち向かおうとしたが、風の壁となって僕の前に立ち塞がり、距離を詰められない。ステータスという数値だけでは計り知れない現象が目の前で起こっていた。
「アンリ!」
背後で心配そうなアナスタシアの声が聞こえた。無様な姿は見せられない。夜闇の剣を構えながら暴風を避けるようにして大きく迂回する。
僕の現在のAGI(敏捷性)は上級冒険者級である。その速さは疾風のごとく、オーガキングが斧を振るう度に発生する暴風を大きく飛び退いて避ける。その一歩の跳躍は、まるで風をまとった翼を広げるように軽やかと言える。
迅速に移動し、オーガキングの視界の外から接近する。この位置からは風の影響を受けにくく、かつ相手の盲点に回り込んでいる。その後、僕は一気に距離を詰めて、オーガキングの足もとに辿り着く。
オーガキングが体勢を変えて斧を振り上げる中、僕は夜闇の剣を構えた。
「この一撃で――!」
斧が振り下ろされた瞬間、風のような身のこなしで斧の下を潜り抜けて、オーガキングの巨体の脇腹に攻撃をしかける。しかし、オーガキングは斧の振り下ろし動作を途中で止めると、驚くべき敏捷さで地を蹴って浮かび上がり、僕の攻撃は空を切る。
(くそ!)
心の中で悪態をつきつつも、すぐに冷静さを取り戻し、再び夜闇の剣を構えて対峙する。再び懐に潜り込もうと動いたが、次第に動きが読まれるようになり、オーガキングは斧を振るうリズムを変えて僕の動きに反応し始めた。
その変化に追従しようとするが、戦術技能はオーガキングの方がはるかに高く、戦いへの順応性は及ばない。一撃が遠く感じられる。
オーガキングの巧妙な動きで機動力が制限される。攻撃をかわしてなんとか懐に入り込もうとするも、オーガキングは斧の振り下ろしと同時に地を蹴って跳躍し、次なる攻撃の起点を作り出す。暴風を避けるように迂回したところにオーガキングが再び追撃をしてくる。そしてまた、斧を振り下ろされる。
オーガキングが咆哮ととともに斧を振り上げて迫る。全身の力を振り絞り、全力で身をかわす。しかし、その攻撃に速度の緩急差が次第につき始め、オーガキングの攻撃は僕の予想を超える。
――避けられない!?
横に薙ぎ払われる斧の一撃を夜闇の剣で受けようとしたが、最大耐久値のことが頭を過る。この武器は一度でも攻撃したり、防御したり、と振るってしまえば壊れてしまう。両手を上げて、脇腹でオーガキングの攻撃を受ける決意を固める。歯を食いしばった。
斧の一撃が身体を貫く。
空中を舞いながら地に叩きつけられた。
アナスタシアの心配そうな声が意識の隅に届く。
戦闘ログを確認するとHP345⇒HP217と表示されていた。128のダメージだ。まだ猶予はある。半神技能によると、通常、僕のHPは1以下にならず、死ぬことはない。けれど、世界の意思によって生み出されたこのオーガキングに、そのルールが適用されるか定かではないので、その状況になることはできるだけ避けたい。
オーガキングは真っすぐ地に倒れ伏す僕の姿を見据えると、低く嘲笑するかのような唸り声を発した。まるで虫けらを見るかのような獰猛な瞳をしている。
改めてオーガキングの巨躯を見上げると、森の木々と比較してもその巨大さが際立っており、まるで山が歩いているかのような存在感。その肉体はまるで岩を削り出して作り上げたかのように頑丈で、その皮膚は重厚さを感じさせる。
一撃が遠い。
立ち上がって再び夜闇の剣を構える。
その直後、大きな声が背中を打った。
「アンリ! ――わたしも戦うよ!」
その声は震えていたが、後ろを見ると、彼女もまたオーガキングに果敢に立ち向かおうとしていた。彼女の瞳には迫りくる絶望への覚悟が宿り、一途な意思が燃え盛っているようだった。その勇姿はまるで世界に対する最後の抵抗を象徴している。
オーガキングの意識がアナスタシアに向けられる。まずい、と思ったその瞬間、オーガキングは斧を振り下ろした。オーガキングの攻撃速度は上級冒険者程度はある。アナスタシアが反応できるわけがない。
即座に、僕は駆けた。アナスタシアを突き飛ばす。頭上から斧の一撃を喰らってまた地面に叩きつけられる。その直後にオーガキングに踏みつけられた。僕の身体は冷たい土に押しつぶされる。幸いにもまだ意識はある。激痛が身体を支配する。
オーガキングの巨躯が圧倒的な威圧感をふりまき、場の空気が凍りつく。アナスタシアは必死に立ち向かうものの、その身体は震えていた。
――逃げろ、アナスタシア。
肺が押しつぶされてしまったのか、声が出ない。
圧倒的なステータス差。
絶望を味わっているだろう。
――まだ現実という残酷さを知らず、日常は憧れで満ちていたあの頃。
彼女を見ているとどうしても子供の頃を思い出した。
世界の意思がこの村を滅ぼそうとする残酷さを前にしても、彼女の瞳はまだ輝いていた。
アナスタシアが震える足で一歩踏み出す。
オーガキングも確実に彼女を殺すために体勢を整えた。オーガキングの最大の目的は勇者の卵である彼女を殺し、村を滅ぼすことだ。斧を振り上げて振り下ろす。
オーガキングの意識がアナスタシアに集中し、僕から意識が逸れる。オーガキングが体勢を変えるにあたって、踏みつけから脱した僕はその斧の攻撃に飛び込んだ。
アナスタシアの頭上に迫った攻撃を腹で受けきり、地に叩きつけられるが、攻撃を終えた後のオーガキングにわずかな隙ができる。全身に激痛が奔り、立ち上がるだけで強靭な意思が必要となる。けれど、最後の闘志を燃やして僕はオーガキングの足もとに再び潜り込むと、回避しづらいであろう脇腹に夜闇の剣で攻撃した。
オーガキングはさっきと同様に僕の攻撃を回避しようとしたが、その顔が一瞬驚愕で歪んだように見えた。その顔には思い当たる節がある。かつて僕も迷宮のボスに同じように驚いた。
夜闇の剣の特殊効果が発動する。
強化されて今では命中率が50%も上昇している。
夜闇の剣がオーガキングの脇腹に吸い込まれるようにして刺さる。剣身の漆黒が深みを増し、その刃は星のように煌いた気がした。その一瞬、剣が巨大な肉体に呑み込まれるような感覚がした。刃がオーガキングの体内にすんなりと入っていき、血潮とともに深く沈みこんでいく。
その直後、オーガキングの巨体が微かに震え、その眼光が闇の中に消えていく。一瞬、悲鳴のような低い唸り声がこだまするが、それもすぐに消えて、オーガキングの巨体は大地に崩れ落ちた。それと同時に夜闇の剣も砕け散る。剣の欠片が空中に舞い散り、星が瞬くような神秘的な美しさを放っていた。
村中から驚きと歓声が巻き起こる。周りの家屋はオーガキングの攻撃が生み出した暴風により軒並み吹き飛ばされ、瓦礫と化している。これからの復興は大変そうだ。
アナスタシアが僕の無事を確認すると、抱き着いてきた。抱きしめる彼女の腕は強く、その抱擁は安堵と共に温かさを伝えてくる。彼女の胸に頭を預けると、心臓の鼓動が伝わってくる。僕と同じように早鐘を打っていた。
全て終わった。
邪気が全て払われ、この周辺に魔物を発生させる原因はもう存在しない。
アナスタシアを残念ながら勇者にすることはできなかったけれど、それでも村の滅亡は免れた。無事に世界の意思を跳ねのけた、と安堵する。
しかし、念のために《全知の書》を開いて確認すると、僕は驚愕に目を見開いた。
書は更新されていなかった。
彼女の死と村の滅亡がまだそこにあった。
その瞬間、再び邪気が森の上空に産み出された。
そこまでして世界は彼女を、村を、既知の歴史から変えたくないのか。滅ぼしたいのか。
邪気と『魔の森』に漂う魔力が結びついて、再び大量の魔物が産み出されていく。さすがにオーガキングを再び産み出すほどの魔力は今の『魔の森』に残されていないらしい。けれど、大量のゴブリンどもが産み出され、再び村を襲い始めた。
僕もアナスタシアとともに応戦するも、もはや村に貯蔵されていた聖水は底をつき、邪気を祓えない。
そのため、魔物は死ぬ度に『魔の森』で再び魔力と結びついて復活していく。本来そのサイクルはもっと遅々としているはずなのだが、即座にそれがなされている。
そして、僕が浄化をして回ったところで、その結果は同じで、一定量の邪気がどこからともなく発生し続けていた。もはや無限ループだ。
世界に五つ存在する『はじまりの村』。
勇者が誕生してしまった今となっては、『勇者が誕生したはじまりの村』だけしか存続を許されていないかのように、世界が確固たる意志をもってこの村を滅ぼそうとしているかのようだった。
――どうすればいい?
なにかこの村を救う手立てはないのか。
このままでは全員、遅かれ早かれ倒れてしまう。
人間は飲まず食わず、睡眠をとらずして戦いを続けることなんて不可能だ。
《全知》に答えを求めても、生存の回答は導き出されない。
さきほどのオーガキングの対処方法は存在しても、すでに決められている結末は変えられないとでも言うように。なぜなら未来はすでに決まっているからだ。
――だったら、それを変えてやるしかない。
僕は思った。
世界の意思がこの村を滅ぼそうとするのなら、僕は僕の意思でこの村を救ってみせる、と。
この世界の意思で行われる冒険シナリオは、勇者を選定するものであり、ひとつのはじまりの村で勇者が誕生した場合、それ以外の村は滅びを迎えるというものだ。
ならば、その事実をなくしてしまえばいい。
この終わらないクエストの原因はすでに勇者がいるからだ。
それならば――。
その歴史を無かったことにしたらどうだ?
僕は、《全知の書》を開くと、勇者が誕生した村の歴史を表示させた。そしてそのページに手を置いて、隠蔽技能Lv10を施した。
すでに誕生した勇者の歴史を隠蔽する。
これならば状況が変わるかもしれない。もはや望みはここしかない。
隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽、隠蔽。
ひらすら隠蔽を施す。
しかし歴史は隠蔽されない。
《全知》の技能はLv20である。
隠蔽の技能レベルが足りないからか。
それとも無茶なのか。
隠蔽を施すたびに《全知》に看破されるようだった。
人類の到達点である技能Lv10程度では到底、神の領域に届かない。そして到達点であるがゆえに、それ以上は技能レベルは上がらない。けれど、今の僕は半神として覚醒している。使えば使うほど《全知》によって看破され、隠蔽の技能経験値が入っていく。
やがてMPが枯渇する。
僕はアナスタシアに声をかけた。
「……僕はしばらく戦えない。何も聞かずに、僕を信じてこの村を守ってほしい。村の命運をアナスタシアに託すよ」
「まかせて!」
アナスタシアはただそれだけ言うと、ゴブリンの群れに突っ込んでいった。
家の裏手にはまだまだ魔石が残っている。
日に三十もの魔物を倒して、週に一度は迷宮踏破をした。
魔石のもう一つの使い道はMPの回復だ。
魔石一つにつき、倒した魔物のHPと同程度のMPを回復する。僕が長年集めた魔石の数は合計で九万個近く。そのうちの七割を夜闇の剣の強化に使ってしまったが、それでも残りおよそ三万の魔石が残されている。五十万以上のMPを回復可能だ。
これらを全て使い切って隠蔽の技能レベルを上げる。
それしか打開する方法を思いつかない。
魔物に見つかると技能のレベル上げが中断されて厄介なので、僕は隠密状態へと移行する。そして、ひたすら《全知の書》に隠蔽を施した。
時折、アナスタシアと村の皆の無事を確認しながらひたすら、隠蔽を施していく。
日数にしておよそ六日。
僕はひたすら隠蔽をかけた。かけ続けた。
睡魔に襲われ、本来なら不眠によって死亡するところだが、半神技能のおかげでHPは1以下にならなかった。つまり寝ななくても死ななくなったということだ。
そして、やがて隠蔽の技能レベルが21に達する。
ようやくだ。
村は疲弊し、物資はもう限界だ。けれど、なんとか間に合った。
《全知の書》の上に手を置いた。
深呼吸をする。覚悟を決める。
祈るような気持ちで勇者が誕生した村の歴史に向かって、隠蔽技能Lv21を発動する。
――今や僕の隠蔽レベルは21。
もはやこの世界の神すら欺く!
《全知の書》、村の歴史に隠蔽がかかった。
その瞬間、まるで世界が一瞬で別の場所に置き換わったような気がした。
村全体が光で包まれ、『魔の森』上空に絶えず発生していた邪気が収まり、魔物の出現が途絶えた。
そして、全ての魔物を倒し終えた瞬間、村の歴史が更新された。
新たなる章が刻まれる。
再び平和な日々が村に訪れる。
そして、そこには、勇者の誕生が記されていた。
アナスタシアを鑑定すると、彼女に新たな職業技能が宿っていた。
やれやれ。
ようやく上手くいった。
彼女の職業が、村人から勇者に変わっていた。
隠密を解除すると、僕を見つけたアナスタシアが駆け寄ってきた。彼女の顔には疲労が色濃く残っていたが、同時に希望に満ちているように感じた。
この隠蔽が解かれたとき、未来がどうなるのか。
僕には分からない。
一抹の不安を感じずにはいられない。
しかし、それでも、この彼女の笑顔を見ることができただけで、今は満足だ。
未来の行く先は見えないが、少なくとも今は平穏で、笑顔に満ちた瞬間が続いていた――。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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次回、はじまりの村編、エピローグです。




