第28話 静かなる覚悟とその代償~僕の選択~
「わたしが活路をつくる」
アナスタシアの発言によって、教会内には期待と緊張が交錯し、興奮気味な雰囲気が漂った。しかし、彼女が僕に「アンリもついてきて」と語りかけると、空気が一変したように感じた。
全ての注目が注がれる。
誰もが僕に期待しているのが分かった。
この空気の中、僕は言わなければならない。
「……僕は行かないよ」
と。
首を横に振ると、息を呑む音が静かな教会の中で広がった、この一言で、周りには驚きとともに、失望が漂った気がした。教会内は再び静まり返った。
「どうして? 村の危機なんだよ。行かない、――いや、行けない理由はなんなの?」
アナスタシアの問いかけに、穏やかに、それでいてはっきりと拒絶の意思を込めて口にする。
「理由は言えないんだよ」
詳細を語ってしまうと未来にどんな影響が出るか分からない。ひょっとしたら村の魔物を倒し切っても彼女が勇者になれないかもしれない。だから今の僕にはこれしか返す言葉がない。
「おい、アンリ。冗談言ってないで一緒に戦ってやってくれ」
クレイが納得がいかないように言う。
「本当は俺だって戦いたいが、きっとおまえらの足手まといになる。それはいつもの剣術の鍛錬で嫌というほど痛感しているからな」
「アナだけでは危険です。アンリさん、あなたならきっとアナと一緒にこの村を救えると私は信じています」
「そうだよ、アンリ君。君たちならきっとこの村を救えるはずだよ」
リリアとセシルにも必死に説得される。けれど、僕の答えは変わらない。変えられない。
これまでの僕は、普段の開墾においても魔物が出現したら、アナスタシアと一緒に魔物を討伐することがあった。
みんなの中では、僕は魔物と戦うのも厭わずに、みんなを守るために立ち上がるような男に映っているに違いない。だから、ここにきて、僕が戦わないことを宣言することを誰も理解できないのだろう。
教会の中に立ち込める緊張感が心に突き刺さる。その緊張に抗うように僕はもう一度言った。
「理由は言えないんだよ」
未来はアナスタシアが戦うことでしか変えられない。
「――そう。なら、わたし独りで行くよ」
アナスタシアが肩を落としてため息をつきながら言った。
「おい、アナ。ひとりでなんて無茶だ!」
「いいよ、クレイ。なんだかさ、不思議なんだけどアンリが来ないって言ったとき、腑に落ちたんだよね。とても奇妙な感覚だよ。アンリはこの場にいないことが正しいと思えてしまったんだ」
アナスタシアはまるで天啓を受けたかのように穏やかな顔をして続けた。
「それを否定したかったけど、アンリを見ていたら、少しずつ、これはわたし独りで行かないといけないような気がしてきたんだ。だから――わたしは独りでいくよ」
「なんだよ、それ」
クレイは苦々し気に呟いた。
「だってこれは、わたしのためのはじまり。そうなんでしょ? アンリ」
アナスタシアの問いかけに僕は静かにうなずいた。
「だったらなおさら、わたしは独りで行かなくちゃね。みんなはわたしが帰ってくるのを信じて待っていて」
「アナ……」
リリアは不安げに呟いた。
「なにも心配なんていらないよ。村に侵入した魔物を蹴散らして、それから――大人たちも一緒にさ、また元の暮らしに戻ろうよ」
アナスタシアの決意の言葉に、教会の中にいる全員が静かに頷いた。現状とその未来を予感してかむせび泣く者もいた。そんな中、彼女は教会を出て行った。誰もがその背中を見つめていた。彼女が教会を去った後は静寂が教会を支配した。
誰もが僕に批難の言葉を浴びせてくるかと思ったが、クレイに無言で肩を軽く叩かれるだけだった。
「――そろそろ、僕も行ってくるよ」
しばらくしてから僕は言った。
教会の中に居る誰もが驚いた。母であるセレナでさえびっくりしている。あれほどアナスタシアと戦わないと言っていた男が何を言っているのか。そんな雰囲気を感じる。
「どういうことだよ」
クレイの疑問の声。
僕は彼の言葉に応えることなく、決然とした口調で自分に言い聞かせるように低く呟いた。
「僕には僕の、やらなければならないことがあるんだ」
その一言に誰もが息を呑んでいた。理解できないことに呆けているかのようだ。そんな彼らを残して、ただ静かに教会の扉から外に出た。
外に出てからは隠密を即座に発動させ、近くの家屋の屋根に登る。そして、そこから教会の屋根に飛び移る。
教会の屋根からは村を一望できた。
平和な日常が一変し、村のあちこちでゴブリンが歩き回り、大人たちが必死に抵抗している様子が目に入った。村の平和は影を落とし、煙が立ち込め、焼けた匂いが辺りに広がっている。
ゴブリンの数と勢いはこの村の大人たちに比べて圧倒的でもはや敗勢のように思えた。
(これから避けては通れない運命が待っている。でも、今はまだアナスタシアを見守ることしかできない……)
アナスタシアの戦いを見届ける。
そして、世界の意思に彼女が負けた時は、彼女を救い出してみせる。
焦土と化した農地、崩れゆく家屋、そして必死に戦う大人たち。
村の危機的状況を見つめながら、僕は決意を固めた。
燃え盛る炎と悲鳴が村を覆い尽くしていた。
アナスタシアは感情豊かないつもとは違う表情――冷徹を思わせる眼差しで、魔物を倒していく。やがてバハバルと合流し、共に魔物の群れに立ち向かう。村の至る所で火の手が空を舞い、家屋が燃えていく。
凶暴な牙と爪をもつ狼のような姿をした獣。
闇の力を帯びた不死者。
そして、お馴染みのゴブリンが魔物の群れを形成していた。その中でも、ひと際厄介だと思ったのは、魔法を使うゴブリン――ゴブリンシャーマンの存在だ。ゴブリンが変異し、炎の魔法を使うことができる魔物。見境なしに火球を放っている。
しかし初見であるにもかかわらず、アナスタシアは鋭い動きで火球を避け、剣を振るい続けていた。今、こうしている間も彼女の剣は魔物たちに容赦なく切り込み、次々と討ち果たしていく。
村の至る所に散らばっていく魔物の死体。
教会の神父――マルクが神聖魔法Lv1を発動させると、浄化の光が霧となって死者たちを包み込み、邪気を払っていく。だが、そのMPにも限りがあり、アナスタシアの参戦によってあっという間に枯渇してしまう。
村の中にいる魔物を全て倒し切り、彼らは焼けていく村の中で一時の安堵を得る。
「……マルク、聖水のストックはどうだ?」
バハバルの問いに、マルクは一瞬ためらいつつも返答をした。日々、聖水の作成を行っているが、その瓶には限りがある。これほどの大量の魔物を浄化しきれるか不安な様子が顔に出ているようだった。
「確認しましょう……」
しかし、その矢先、物見台からの報告が舞い込んでくる。
「新たな魔物が森から来ます!」
その報告を聞いて、アナスタシアは冷静な表情のままで返答した。
「父さん、わたしが前にでるよ。その間に村の火消しと、形勢のたてなおしをお願い」
「――おい! アナ!」
バハバルの静止の声を振り切り、アナスタシアは『魔の森』へと向かった。村から出て、北と東側には大きな川が流れ、西と南側には村の畑と、その奥に『魔の森』が広がっている。今にも魔物が溢れようとしている『魔の森』に向かって、彼女は駆けた。
教会の屋根に待機しながら探知技能を発動させてアナスタシアの動向を見守る。
魔物の群れに向かってアナスタシアは飛び込むや剣の一閃。全ての魔物を一太刀のもと、斬り伏せていく。本来の歴史の彼女では、ゴブリンを倒すのでさえ二撃必要だった。けれど、今の彼女は出現する魔物を全て一撃で斬り倒していく。
新たな魔物が発生する速さよりも素早く彼女は次から次へと魔物を倒し、たった一人で前線を押し上げた。
やがて彼女は魔物に囲まれた。気力を奮い立たせるためか剣を高く掲げる。
――例の場面だ。
本来の歴史において、ここで彼女が力尽きてしまう。
けれど今の彼女にとっては脅威にすらならず、傷一つ負うことなく包囲網を突破し、魔物を蹴散らした。
(未来は変わった……か?)
《全知の書》を開く。その瞬間、新たな物語が紡がれていく。
まるで神様が小説を描いているかのごとく《全知の書》に、現在の戦いの様子がリアルタイムで刻まれていった。アナスタシアが次々と魔物を打ち破る様子に期待と喜びが込み上げてくる。
しかし、喜びも束の間、僕は気づいてしまった。
彼女の奮闘とは裏腹に、《全知の書》にはアナスタシアの死亡と村の滅亡、その結末だけは今なお存在し続けていた。彼女がどれほど努力しても、滅亡を回避できないのではないかという焦りと不安が心を掻きむしる。
(歴史は変えられないのか……?)
残り四か所のはじまりの村の歴史を開いてみるも、《全知の書》には三か所の村の滅亡と、勇者が誕生した村の歴史しか記述がない。結果だけが示され、現在の進行度は分からない。
しかし《全知の書》に記された内容は、今のアナスタシアがそうであるように、あるいは、クレイの例が示すように、人の自由意志によって未来は変容する。
《全知の書》で勇者が誕生するとされる村でも、人々の自由意志がもたらす選択の結果によっては、勇者が誕生しない可能性もある。勇者が誕生しなければ未来は変わるはずだ。
その詳細と現在の進行度を知る方法を僕は持っているが、その技能の発動を本能が忌避していた。この世界の全てを探知するには代償が伴う、と本能が警告してくる。深呼吸をして覚悟を決める。
――探知技能Lv20発動。
勇者が誕生するとされる「はじまりの村」。その村は世界の果てに存在する。探知の範囲を一気に広げると、情報が頭の中に津波のように押し寄せる。過度な情報に頭が割れるような痛みがした。あのときの予感は正しかった。
探知技能Lv20は神の領域。
その気になればこの世界の全てを探知できるかもしれない。けれど、人の身には到底耐えられないという人間としての本能の直感。
案の定、情報量に脳の処理がおいつかない。あふれ出た情報が頭をかち割って出たがるような激痛がする。異常な痛さに危機感を覚え、ステータスを確認すると、HPが徐々に減っていた。人の身には過ぎたる能力。たとえば肉体への過度な負荷が筋肉を断裂させていくのと同様に、脳への負荷が限界を突破し、HPの損傷へと繋がっているようだ。
今まで何事もなく使えていたのは、自分の周辺限定だったので自動的に発動レベルが抑えられていたのだろう。
――まだだ。
歯を食いしばる。
痛みに耐えながら探知速度を上げて、範囲を拡大させる。世界の果てはまだ遠い。探知範囲が広がるにつれて、HPが減少する。技能Lv10が人間の限界だ。この反動は半神とはいえ、神の領域に半分人間である僕が片足を突っ込んだためかもしれない。けれど、止めることはできない。
やがて目的の「はじまりの村」の探知に成功する。
頭痛が続き、目から涙が流れる。頬を拭うと、手には赤い血のしみが広がっていた。赤い血が目から流れていた。
(……あとすこし)
自らの命が削れている予感がしたが、もう目的の村には既に達している。残りのHPが足りることを祈りつつ、探知を続行。その村もここと同じように『魔の森』に囲まれ、外見もこの村と似ていた。しかし、村にはすでに魔物は存在していないようだった。魔物を産み出す邪気も感じられない。
一人の女性が村の中で空に向かって叫んでいた。その声は歓喜に満ちている。興奮気味なその女性を探知越しに鑑定する。
(……そんな)
驚きとともに絶句した。HPは依然として減少。頭痛もする。けれど意識が一瞬のうちに空白になり、表示される鑑定ウィンドウに目が釘付けになった。その女性の職業は――勇者だった。
すでに勇者は誕生してしまった。
本来の歴史通り。
アナスタシアはまだ戦っている。
彼女は勇者になれず、村は滅びるのか。
僕たちの村の周辺ではまだ魔物との戦いが終息に向かう気配もなく、すでに勇者が誕生してしまった今となっては僕が傍観をする必要もないのかもしれない。
村の滅びを回避できるかは分からないが、戦いに介入しようか迷いが生まれた。
――しかし、彼女はまだ戦っている。
ひょっとしたら、今の魔物の攻勢を乗り切ったら二人目の勇者として誕生を許されるかもしれない。
一るの希望を捨てきれない。
迷いだらけでどうすればよいのか。僕は逡巡した。正解が分からない。
そのとき、愕然となる中で、胸が焼けつくような痛みが襲った。まるで心臓を締めつけられたかのようだった。あまりの痛みに、身動きがとれなくなる。胸をおさえてうずくまる。前世でも経験したことがある。僕の最期を支配した痛み。心臓発作の痛みだ。
(まさか、こんな終わりなんて……)
勇者誕生の衝撃のあまり、失念していた。
慌てて探知技能の発動を止めるも、もう遅い。残りのHPを確認すると、その数値は0だった。残りHP0。それはすなわち死を意味する。
(こんなところで終われない……)
強く思いながらも、目の前が真っ暗になっていった。またあの時のように女神のような女性の声が聞こえるでもなく、ただただ意識が失われていく。
教会の屋根の上に倒れ伏し、視界が完全に黒塗りになった。
その瞬間――。
『半神覚醒』
というウィンドウが、意識の奥底に唐突に出現した。
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