第27話 運命への分かれ道~アナスタシアの選択~
僕たちは村の女性や小さな子供たちと一緒に避難した。教会に着くなり、皆は一斉に祭壇に向かって祈りを捧げ始めた。
この非常事態において、神に祈りを捧げることで、なんとか皆の心の平穏が保たれているような気がした。
皆が真剣に祈っているからか、不思議と神聖な空気が満ちているように感じられる。不安と神への期待が交錯する中、僕は呟いた。
「なんだかみんなで集まって話すのも久しぶりだね」
声が静かに傍にいる彼らに緊張を運ぶ。アナスタシア、リリア、クレイ、セシル。彼らは皆、同じ時を生きる同い年だ。僕の声に彼らは反応した。
「そうですね。まさか、こんな状況で集まるとは思ってもいなかったです」
リリアは言葉を続ける。
「ちょっと怖いですね」
「大丈夫だよ。きっと父さ――村長たちがなんとかしてくれるよ」
「俺たちがもう少し大きかったら一緒に村を守れたのにな」
「ボクは見張りくらいしかできないかな……」
クレイの勇ましい発言に、セシルは申し訳なさそうに言った。
「せめて今練習している弓が、ものになってくれていたら良いんだけど……」
僕は静かに彼らの言葉を聞きながら、自分の心が冷めていくのを感じた。温度差がある。どうしてもそう思えてしまった。けれど、彼らからしたら僕の黙々とした態度は、冷静かつ重厚な雰囲気を演出しているように感じたらしい。
アナスタシアが助言を求めるように僕を見て言った。
「アンリ、どう思う?」
「……残念だけど、僕にもどうなるか分からないよ」
「……アンリさん」
いつもゴブリンをハエを叩くかのように苦も無く倒している僕が、悲観している事実にリリアが不安げに呟いた。
「おまえがそんなことを言うとはな」
「でも、君がいるだけでボクたちは安心できるよ」
「わたしもアンリがいるとなんとかなる、って信じられるよ」
クレイとセシル、アナスタシアが軽い口調で言った。
久しぶりの彼らとの会話は、こんな状況においてもこの上なく愛おしいと思った。
それと同時に、どうしても疑念がつきまとう。
――僕が戦わないのは本当に正しいことなのか?
と。
僕が戦ったところで村の滅びは避けられないことかもしれない。
けれど、アナスタシアが勇者になれず、この村の滅びが決定してしまったときに、あのとき戦っていれば……と思うだろう。
矛盾だらけの葛藤だ。どんな選択が正しいのか、どんな未来が訪れるのか分からない。けれど、一歩でも間違えれば、後悔しか残らない。
アナスタシアに勇者になってほしい。でも、この村も同じくらい守りたい。それが僕の本音だ。
(両方選べたら良いのに……)
《全知》の技能があるがゆえに、未来の先に広がる道が不透明にしか見えなかった。おかしな話だ。
「きっと神様が助けてくれます」
と、リリアが微笑みを浮かべた。その微笑みはなぜか希望に満ちているように感じた。しかし、次の瞬間、現実の重みが戻ってきたように、彼女はハッとした。
道中、僕はアナスタシアの家に寄って、何か武器が残されていないか見て回った。そのときに回収した武器を三人に手渡したのだ。彼女は手渡された武器の冷たさに、村が直面している危機の現実を思い知らされたようだった。
クレイとリリアには杖のように細い棍を、セシルには弓を渡した。おとぎ話に登場する勇者パーティの斥候は弓を好んで使っている。最近、彼は弓の練習をしているし、ごっこ遊びでは斥候になることも多いので、ぴったりの武器が見つかって良かった。
僕には愛用のゴブリンの短刀があるので、アナスタシアにはバハバルから手渡された剣を差し出したが、拒否された。しかし、この剣は、本来の歴史で垣間見た彼女が使っていた。彼女が持つべきものである。
僕は深呼吸をした。
――この剣はこの戦いの象徴だ。
未来に対する疑念とこの村に対する責任感への苦しみを断ち切るように、剣を教会の床に突き立てた。その瞬間、自らの行動に後悔の念を抱く。理解を求めるようにリリアに視線を向けた。人の家の床に剣を刺したのだ。さぞ彼女は憤慨しているだろう、と思ったのだが、剣が突き立つことで、教会が平穏から危機の場に変わりつつあることを感じ取ったように彼女は息を呑んだ。
突き刺された剣が教会の床に立つと同時に、神聖なステンドグラスから光が剣に注がれた。その一瞬、教会内に神秘的な輝きが広がり、まるで神聖なるものが剣を通じて示されているような幻想的な光景が広がった。
「まるで物語の一場面のようですね」
リリアは静かに言った。
しかし、安らぎも束の間。
発動させていた探知能力が、村の防護柵の一部が破られたことを感知した。ひとかたまりになって村の門を襲っていたゴブリンとは対照的に、単独行動をとっていたゴブリンが防護柵を破り、村に侵入した。
村を防衛している人たちは、誰も気づいていない。
いつまでも戦闘が終わらず、祈っても神は助けてくれないのではないだろうか? という疑念が教会内に漂いつつある中で、
「もし防護柵が破られたらどうする?」
と、クレイが不安を口にした。その発言を発端に、僕たちのみならずこの場にいる村人たちの不安が言葉となって、教会内に響き渡った。
「……村長が言っていた通りに逃げるんじゃないの?」
セシルが言った。
「こんな大人数でか? ここで立ち向かった方が良いんじゃないか?」
「たしかに森に逃げてもボクたちが生き残れるか不安だね……」
セシルがそう言うと、リリアは棍をぎゅっと握り絞めた。
「でも武器はここにあるものしかありません」
「――たしかにそうだな。結局、村の大人たちを信じるしかないってことか」
戦ってもすぐに返り討ちに合う未来を容易に想像できたのだろう。
クレイが苦い顔をして言った。
そんな中、セシルが恐怖にひきつったような顔をした。
ようやく日ごろ見張り役をしている彼の探知技能にも、状況が飛び込んできたようだ。
「……ま、魔物が村に入ってきています!」
セシルはひっそりと叫んだ。その声はひどく怯えている。
「どうする? アナスタシア」
アナスタシアは一瞬、不安と責任感が入り混じったような表情で瞬きした。しかし、彼女は深呼吸をして、僕を見つめ返す。彼女の瞳の奥底にはバハバルと僕とのやり取りが過ったのだろう。
「アンリが決めてよ」
「――いいや、アナスタシアが決めるんだ。君のお父さんはああ言っていたけど、僕の意見は違うよ。適正が、たとえ村人だったとしても君は村長の子なんだ。皆を率いて先導する義務がある。この剣を手にするのは僕じゃない。アナスタシア、君だよ」
こんな非常時においては村の掟など関係ない。村が壊滅してしまったらなおさらだ。どんな掟も意味を持たないだろう。
言外にその真意を汲み取ったのか、アナスタシアは教会の床に刺さった剣を引き抜こうとした。けれど、柄に手で触れた瞬間、彼女は手を引っ込めた。その一瞬の迷いで、教会内は静まりかえる。場に緊張感が生まれた。
「――セシル、お願い」
アナスタシアは厳かな表情で口を開いた。
「教会の屋根に上がって、森に抜けるための道がないか確認してくれる?」
「うん、まかせて」
セシルはいつもの軽妙な口調でうなずいた。
最近では彼が、ごっこ遊びの斥候の役割を果たすことが日常となっている。日ごろの遊びが、現実の危機にも役立っているようだ。常日頃からロールプレイングに慣れ親しんだ彼らはこの非常時においても、ごく自然に自身の役割を理解しているようだった。
セシルが教会の屋根に登り、しばらくしてから戻ってきた。彼の表情は重苦しさに包まれていた。
「だめだよ。村の中には魔物が蔓延している。何人か大人たちも……やられているみたいだった」
教会内で村人の一人が突如として悲鳴を上げた。悲観に耐えられず、上げられたその悲鳴によって深い静けさが広がる。母であるセレナの視線が僕と交わった。彼女の表情からも教会の雰囲気が一変し、不安と緊張が空気を支配しているのを感じた。皆が皆、自分の大切な人の身を案じていた。
バハバルはきっとここまでの魔物の攻勢を予測していなかったに違いない。しかし、僕が忠告したところで、その結果は変わらなかっただろう。なにせ戦える者は限られている。
「森には抜けられると思う?」
アナスタシアが口を開くと、セシルは躊躇いを含んだ口調で答えた。
「……無理じゃないかな」
その瞬間、恐怖と絶望が空気を支配したかのようだった。教会の中にいる全員の視線が一斉にアナスタシアに向けられた。皆は救いを求めるように彼女を見つめ、その肩にかかる重圧が手に取るように伝わってきた。教会内には静まり返った緊張感が漂っていた。
――もう、戦わない。
と、あの川辺で出会ったアナスタシアは頑なに村人であることを決意していた。しかし、皆の視線を一身に受けてまで彼女はそんなことは決して言わないだろう。なぜなら、彼女はたとえ村人であっても、戦える力を持ち、混沌とした状況でその素質が一層輝く勇者の卵だからだ。
「……わたしは戦ってもいいのかな?」
アナスタシアと目が合う。その瞳に映るのは、いつも笑顔のときに見せるものだけではなくて、今この瞬間の不安も宿っているようだった。彼女を見つめて黙って笑みを返すと、この場にいる全員を見回してから彼女は再び口を開いた。
「今だけ村の掟を破っても良いかな?」
アナスタシアの問いかけに、教会内の全員が静かに頷いた。
その瞬間、教会の床に刺さった剣は、まるで新たな希望の光が差し込んだかのように強く輝いた。アナスタシアは深呼吸をし、教会の床に刺さった剣を抜くと、決意の表情で言葉を紡いだ。
「わたしが活路をつくる」
と。
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今回の話しで、佳境に向けて、本来の歴史に合流していきます。
次話よりアンリ回に戻ります。




