第26話 運命の扉が開くとき
その日、村の朝は普段と変わらないようでいて、何かが違うと僕は感じた。
空に広がる朝焼けは異様な赤みを帯び、その光景が心に不穏な影を落としていた。
異変の前触れを感じながらも、まだ具体的な兆候が見当たらない。
モンドとセレナは気にも留めていない様子で朝食をとっていた。
外の様子を伺ったが、何も変わった兆候はない。ただの静かな朝の風景が広がっていた。しかし、直感が警告を発しているような錯覚がする。この日に起こることを知っているせいで、異変があるように感じるのだろうか。
「なんだろう、この違和感は……」
僕は自分の感覚に耳を傾けながら呟いた。探知技能からの反応はない。
村にはピリピリとした空気が漂っていたようだった。
バハバルは何かを感じ取ったのか、防護柵の念入りな点検を命じていた。今日は村の外での仕事はなくなり、その代わりに皆で柵に不具合がないか確認をすることになった。
普段は登ることのない物見台にも彼が姿を見せ、村の外に異変がないか窺っていた。彼は直感的に何かしらの前兆を感じているらしい。防護柵の点検が無事に終わり、皆からの報告を聞き終えた彼が呼吸を整えつつ、また物見台に登った。
そのとき、突如として異常な空模様が広がり始めた。太陽の光が、厚い雲によって遮られ、一瞬にして日光が消える。それに伴って村全体が薄暗くなり、周囲に広がる森の影が不気味な雰囲気を生み出した。
胸の高鳴りを感じ、不安が心を締め付けた。異変はただの気象の乱れではないことを僕は理解していた。いよいよ来るのだ。《全知の書》が記す結末へのはじまりが。
その瞬間、遠くから異音が聞こえてきた。まるで森が不気味にざわめいているかのような音。耳を澄ませ、その音が響く方向に視線を向けた。人々の不安を煽るかのように、地鳴りがした。探知技能が大量の魔物の出現を感知した。
このときになって、物見台に登ったバハバルの目にもその光景が映ったのだろう。森から漏れるようにして現れる魔物の姿が、彼の視界に飛び込んできたに違いない。血相を変えて彼は凍りついていた。村中の人が彼の動揺を見て取り不安になる。彼が注視している視線の先にやがて皆が気づき始めた。誰かが絶叫と悲鳴をあげた。その声に彼は我に返って、すぐに号令をかけた。
「魔物だ! 戦える者は武器をとれ!」
緊張感が村を覆う中、いつも護衛として付き従ってくれる人たち――村の戦士たちが武器を手に取った。皆が皆、森の中から魔物たちの襲撃が迫っていることを理解する。『魔の森』から現れた魔物――ゴブリンたちは村の門に向かって押し寄せてきた。
「門に魔物が殺到している! 皆、門を死守するんだ!」
バハバルの号令に従って、村の戦士たちは慌ただしく配置についた。
「セレナ、アンリ、いってくるよ」
非戦闘員の職であったが、セレナの静止を振り切って、モンドも斧を担いで戦いの場へと足を踏み出した。周りをみると、いつも農作業をしている村の男たちですら、手に武器をとって家族と別れを告げていた。胸中の不安が鼓動とともに激しくなり、昔見た村の結末が脳裏に過った。
《全知の書》が正しいことを証明するかのように、村の平穏な朝は一瞬にして崩れ去った。彼らがこれからどうなるのか、僕だけは知っている。知っていて、僕は利己的な決断を下そうとしている。
――この戦いには参戦しない。
僕が介入してしまうとアナスタシアの道が閉ざされてしまうかもしれない。心配そうにモンドを見守るセレナが視界に入ったが、見ないようにした。ひょっとしたらモンドは死んでしまうかもしれない。けれど、彼女が勇者になるためには僕はここで戦ってはいけないのだ。
傍らにいるアナスタシアを見ると、彼女は祈るようにして天を仰いでいた。
「戦えない者は教会に避難せよ! 教会に行け!」
バハバルは、セレナたち村の女性や戸惑う子供たちに向けて言った。彼と目が合ったが逸らしてしまった。すると、僕の迷いを見て取ったのか、それとも本来ならこの村の歴史に登場しない僕を除外しようと、冒険シナリオの意思が働いたのか彼は僕に言った。
「アンリ。おまえもだ。おまえも教会に行け」
「――――」
声を上げようとした。本当にいいのか、と。
けれどそれを発する前に、バハバルに一振りの剣を渡された。
「俺たちに何かあった時はみんなを頼んだぞ。村から出て、森の中に逃げ延びるんだ」
「ーーわかった」
「心配するな。きちんと蹴散らして帰ってくるよ」
バハバルの強い眼差しを受けて託された剣を腰に帯びる。
「それじゃあ、父ちゃんは行ってくるな。アナスタシア」
最後にアナスタシアをぎゅっと抱きしめてバハバルは戦場へと向かった。最後まで彼女のことには触れず、ただ守るべき対象として見ていた。それは、彼女が村人だったからなのか、あるいは娘を守ろうとする親の気持ちがそうさせたのか。ひょっとしたらその両方だったのかもしれない。
どちらにせよ、《全知の書》に刻まれた未来の歴史の中に、僕たちはまだその通りに存在していた。
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