第24話 幕が開く
――運命の賽は投げられた。
もし仮に突発的に発生する出来事の前兆が分かっていた場合、今回の一件はまさしくそれにあたるだろう。
ゲームの世界なんかで俗にいうクエストの開始。
アナスタシアが村人になったことで、世界の時が進みだしたのだ――。
アナスタシアはこれまで日々努力し続けていた。
挫折することがあっても挫けずに彼女は前に進み続けた。
けれど運命はこの日より彼女に更なる試練を投げかけた。
夢に向かって進む中、なりたいものになれない現実を彼女は十二歳になって思い知らされる。
さすがの彼女も深いショックを隠せないようだった。
護衛として皆を守ってきた自負も、たった一度の神託で全てが無残にも砕け散ったように彼女から生気を奪っていた。
神託が示した彼女の適性は、勇者どころか、村長の跡を継ぐことでも、これまでのように護衛として村人を守ることでもない。
戦士ですらない。
ただの村人。
「そんな馬鹿なことがあるか!」
バハバルが教会の神父様――マルクに詰め寄った。「何かの間違いだ」という思いが彼の行動から現れていた。
アナスタシアは教会の外壁にもたれかかって、うずくまっていた。
僕はバハバルの後を追って、教会に入った。
「しかし水晶がそう示しているのです」
マルクは教壇の上に置かれている水晶に目をやった。
水晶は神秘的な輝きを放っていた。
――これが神託の水晶か。
この水晶は神が人の進む道を明示するために造られたものだと言われている。
世界中を見渡しても大きな都市にしか置いていない貴重なものだ。
本来ならこんな小さな規模の村にあるものじゃないが、大昔にこの村に逃げ延びた商隊が所有していたものらしい。
それ以来、十二歳になった子供の進路を決めるために使われている。
実際にはこの水晶は、古代の伝説的な錬金術師たちが造ったものであり、ここ数百年もの間、誰ひとりとして複製に成功していないので、今では、神が造ったものだというのが通説として知れ渡っている。
「村人……。たしかにそう書かれているな」
淡く輝く水晶の中で文字が浮かび上がっていた。
村人、と。
この世界では技能が多数存在する。
しかし習得した技能や技能の習熟度を確認する術がない。
そのことが原因で人生の選択を間違える者も多くあり、そのことを憂いた古代の錬金術師たちが解決方法のひとつとして産み出した。
この水晶に触れると自動で技能の鑑定が行われ、その結果として習得している技能に適した進路が表示されるのだ。
「しかし村人とは……」
「あの娘の能力とこれまでの活躍はとても素晴らしいものです」
マルクが神妙な面持ちで言った。
「これはひょっとしたら、少し休みなさいという神からあの娘への伝言かもしれません」
「……そうであれば良いんだがな」
しかし、それから何日かして何度か、バハバルとマルクが、アナスタシアに神託の水晶に触れるよう促し、適性を表示させたが、その結果は何も変わらなかった。
それからしばらくしてーーアナスタシアは剣を持つのをやめた。
開墾の護衛にもついてこなくなった。
「……村人は村人らしく炊事と洗濯をするよ。これだって立派な仕事だからね」
互いに助け合いながら日常の営みを大切にする。
それが村の生き方だ。
そう言いながらも、アナスタシアの表情には冒険への渇望と勇者に――戦士にすらなれなかった自分への失望が滲み出ているようだった。
セレナたちに混じって、今日も彼女はこの村での女たちの仕事に励んでいた。
いつものように開墾を終えて村に帰ってきてからバハバルの剣術道場に足を運んでも、そこに彼女の姿はない。
今日もクレイと二人きりだ。
あの日から、僕たちは一度も集まっていない。
あれほど毎日五人で遊んでいた日々が嘘のように色褪せてしまった。
ある帰り道、川辺に身体についた汚れを落としにいくとアナスタシアが独り佇んでいた。彼女は穏やかな表情で、手の中の小石をもてあそびながら水面を見つめていた。やがて彼女は石を投げつける。
今では投てき技能Lv1を習得している彼女の水切りは、遠くの対岸まで石が勢いよく飛び込んでいく。
「……やあ、アンリ。そっちは順調?」
「いつもと変わりないよ」
物静かな言葉。
今の彼女は心にどんな想いを秘めているのか。
「最近、思うんだよね。村の仕事を手伝っている内にこれはこれで良いのかもしれないって。これが普通の暮らしなんだって」
「外の世界は諦めるの?」
「アンリも知っているでしょ? わたしは勇者じゃなかった。戦士でもなかった。もうわたしの生きる場所は村の中なの」
アナスタシアは言った。
「今までのは夢で、これからひょっとしたらアンリのお嫁さんになっちゃったりして静かに暮らすの」
「………」
僕は無言のまま答えなかった。
彼女が勇者になれなくても僕はこの村を出ていくからだ。
それはこの世界に生まれ落ちてから決めていたことだ。
「何か言ってよ。恥ずかしいじゃんか」
アナスタシアは少し頬を赤らめながらそっぽを向いた。
僕は何も言わない。
慰めない。
代わりにこれから起こる未来を告げる。
「もうすぐ始まるよ。アナスタシア」
「なにが?」
『魔の森』に視線を向ける。
アナスタシアもつられて森を見た。
探知技能を発動して『魔の森』全域に広げる。
森がざわめいていた。
魔物の大量発生の前兆。
それはゲームで例えるなら、はじまりの幕開け。
けれど決して成功は約束されていない。
保存も読み込みもできない。
――この村は、はじまりの村。
それは僕にとってのものではない。
彼女にとってのはじまりの村なのだ。
《全知の書》を顕現させる。
この村の歴史を改めて見る。
過去。
現代。
そして未来。
その歴史は今より十日後で途切れている。
その先を書が紡ぐことはない。
それはすなわち史実通りならこの村がもうすぐ滅ぶことを意味している。
「……君のためのはじまりがすぐそこまで来ているよ」
この結末を見届けてから僕はこの村を出る――。
全ての準備が整い、あとはもう時を待つだけだ。
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