第21話 空の青さとアナスタシアの瞳
その日は唐突にやってきた。
いつものように早朝の日課を終えて、モンドに連れられて木々を伐採しているときだった。
探知技能に魔物の反応が引っかかった。
『魔の森』での生存領域守るためか、人という餌ほしさのためか分からないが群れをなしてこちらに押し寄せていた。見張りに視線を向けると、周囲を警戒しているだけだった。その様子から探知を生業とする護衛の見張りはですら、まだ気づいていないようだった。
ゴブリンの群れの大移動。
茂みを掻き分けての進行はやがて森のざわめきとなって耳朶を打つ。周囲の人たちも何か異変を感じ始めたかのように辺りを見回していた。
「バハバル! やべーぞ! ゴブリンが大量にこっちに向かってやがる!」
ゴブリンの群れの足音が地鳴りとなって聞こえてくる頃に、ようやく見張りの探知技能に引っかかったようだ。
「数は!?」
「およそ三十だ!」
「なんだって!」
バハバルが呻いた。
周りも騒然となる。
探知と鑑定を併用し、未だ姿が見えない森のゴブリンを鑑定する。普段、相手にしているゴブリンよりも敏捷性が少なかったが、その分、少しだけ攻撃力と防御力が高い。
生息域ごとに個体差があるのだろうか。
なんにせよ、今の戦力では心もとない。
バハバルの決断を皆が固唾をのんで見守った。
「――村にあいつらを入れるわけにはいかない」
バハバルがすらりと剣を抜いて言った。
「モンドたちもその斧を血で濡らす覚悟で立ち向かってほしい」
「まかせろ!」
モンドが手にしていた斧を掲げて言った。
木こりだろうがなんだろうが、戦える人は戦う。
皆が一様に斧を掲げてバハバルに応える。
日差しが辺りを照りつけていた。彼らの間に困難に立ち向かおうとする気概が芽生えているようだった。
「まだ小さな子供たちは村に避難させるんだ。マルク! 先導をお願いできるか?」
マルクと呼ばれた神父は祈りながら頭を下げた。神父の役割は主に戦闘後の浄化だ。彼はまだ即効性の回復魔法は習得していない。
「さあ、行きますよ」
マルクは子供たちの頭をそれぞれ撫でた後に歩き始めた。子供らが彼の背中についていく中、森全体がゴブリンの足音で鳴り始めた。
「……アナ?」
踵を返し、歩き始めようとしたリリアがアナスタシアに声をかけた。アナスタシアは森を見つめたまま微動だにしない。森を睨むその表情からは、覚悟が感じられた。
「わたしはいかないよ」
アナスタシアは言った。その声は震えていたが、彼女の目には力が宿っていた。
「わたしはここに残ってあいつらと戦う」
「――いや、おまえは一緒に行け。アンリもだ」
「どうしてそんなこと言うの! わたしは戦えるよ!」
バハバルの発言にアナスタシアは噛みついた。
「だからこそだ。俺たちがもし食い止められなかったら、だれが子供たちを守るんだ? そのときはアナスタシア。おまえが守るんだ。アンリと一緒に子供たちを守ってやってくれ」
「でも――!」
「……いくよ。アナスタシア」
なおも食い下がろうとするアナスタシアの手を引いた。バハバルと目が合った。彼の目が強く訴えかけていた。アナスタシアを頼んだぞ、と。決死の覚悟だ。彼は大人の護衛もひとりつけてくれた。
「わたしは戦えたよ! ほんとうだよ!」
「わかってるよ」
アナスタシアの頭をぽんぽんと叩いてなだめた。そうは言うものの、彼女はどこかホッとしたような顔つきをしていた。
『魔の森』と村のちょうど半ばまでさしかかったところ、戦いののろしがあがった。男たちの闘志が雄叫びとなり、森全体に共鳴するかのようにゴブリンの金切り声が轟いた。
「いくぞ!」
バハバルのかけ声とともに、戦いが始まった。
「……大丈夫だよな」
畑の中腹にまでやってくると、クレイがぽつりと呟いた。彼の父親も戦っている。襲撃にあった不安と父親の安否を気遣ってか彼にもいつもの元気はない。
集団の足取りは、命をつなぐ細い糸の上を歩くようにとても静かで慎重なものだった。
(あー……)
探知技能が察知するのと、村の見張り台に立っている人が騒ぎ始めたのは同じタイミングだった。『魔の森』の混戦から抜け出した魔物が数匹こちらにやってきている。門番が村から飛び出してこちらに走ってくるのが見えた。そのときになって、皆が異変に気付いた。
一斉に子供らが『魔の森』を振り返る。
たちまちにして悲鳴をあげ、マルクの静止も遮って子供たちは我先にと村に向かって走り出した。
そのことがより一層ゴブリンの注意を惹き、彼らの足取りを早めてしまう。
「おい、やべーぞ」
「ねえ、どうしたらいいの」
クレイとリリアが不安げに言った。
「とりあえず逃げよう」
僕は言った。
戦うのは追いつかれた時でいい。
そのときには村の門番も合流できているかもしれない。
僕たちは村に走った。
リリアたちは息をきらしながら必死に走っていたが、ゴブリンの足音が次第に近づいてきた。
――子供の足だと限界があるか。
「おまえたちは先に行け!」
ゴブリンが迫っている中、『魔の森』から一緒だった大人の護衛が僕たちに言った。そして立ち止まる。背後で剣を抜く音がした。その直後に剣戟の音が耳朶を打った。すぐそこにまでやってきている。
振り返ると、ゴブリン三匹に襲われて、僕たちを守ろうとしてくれた人の身体から血が激しく飛び散った。つられて一緒に背後を見たリリアが小さく悲鳴をあげてしりもちをついた。
今度は一斉にゴブリンが彼女に襲いかかる。
「リリア!」
アナスタシアがリリアの元に駆け寄って彼女を突き飛ばす。間一髪のところでゴブリンの攻撃から彼女を守った。三匹のゴブリンを前にして、アナスタシアはリリアを庇うように背後に隠した。
(ここまでか……)
当初の目論見であった門番の合流にまでたどり着きそうにない。
護衛の大人も殺されてしまった。
逃げる選択肢は――ない。
「アナスタシア、やれる?」
「も、もちろんだよ」
言いながら、剣の柄に手をかけるアナスタシアの手は震えていた。
――アナスタシアの今のステータスならゴブリン三匹を相手にしたところで問題はない。
状況を鑑定し、戦闘ログを確認する。
問題は戦えるかだ。
手を出すべきか。
見守るべきか。
アナスタシアが精神的外傷を克服する機会が次にある保証はない。過酷なようだが、彼女が憧れを手にするにはここで戦えないといけない。
(……ぎりぎりまで様子を見るか)
それが僕の出した結論だ。
ゴブリンが三匹、アナスタシアに威嚇している。魔物は本能的に彼女を強敵と分かっているのだろう。安易に襲いかかろうとしない。
「アナ……」
リリアの震える声に背中を押されるようにアナスタシアは剣を抜いた。
その瞬間にゴブリンが低く唸った。そして一斉に彼女に飛びかかった。各々が棍棒、斧、短剣を振り下ろす。
「ひっ!」
アナスタシアが小さく悲鳴をあげて、背にしていたリリアの手をとって大きく後退した。ゴブリンたちの追撃はない。けれど彼女は剣を落としてしまった。拾う様子はない。その顔は以前と同様に完全に恐怖からか青ざめていた。
好機とみた一匹のゴブリンが飛びかかった。
アナスタシアは目を見開いたまま硬直していた。
僕はすぐさま忍び寄り、彼女の足もとに転がる剣を手にすると一刀の下、ゴブリンを斬り伏せた。残りの二匹が後ずさる。手中に収めた剣を軽く振って感触を確かめる。
僕の剣術技能は相変わらず1のままだ。
けれど、ボスとの一戦以来ずっと思っていたことがある。
剣術技能が及ばなかったとしても、僕の器用さと敏捷性のステータスは中級冒険者級だ。それ相応の動きができるんじゃないか、と。
――やれそうな気がする。
残りのゴブリンを見ながら深く呼吸をする。
(……いくぞ!)
頭の中で、あのとき戦ったボスの動きを再生する。
技能ではなく、ステータスを駆使して無理やりボスの動きをなぞるのだ。
その瞬間、空気が剣の鋭さで裂ける音が鳴り響いた。袈裟斬り。逆袈裟斬り。そして最後に胴を真横に薙ぎ払わう。あのとき喰らった連続技の再現だ。
ゴブリン二匹が瞬く間に斬り刻まれて地に伏した。
「な、なんで……! どうしてアンリはそんなことができるんだよ!」
アナスタシアが悲痛な声を上げた。
悔しさ。
失望。
怒り。
その矛先はすべて彼女自身に向いているようだった。
「信じているからだよ」
「なにを!」
「自分を――」
――これまで培ってきた技能ならやれる。
と。
あのとき、迷宮のボス戦で僕が最後の一歩を踏みだせたのはステータスへの信頼。これまで培ってきたことへの信頼だった。
自分を信じることができたからだ。
「アンリさん!」
リリアが叫んだ。言われずとも分かっている。また『魔の森』から複数のゴブリンが抜けてきていた。襲いかかってくるゴブリンを振り返りざまにまた斬り倒す。
「どうして簡単にそんなことができるの……」
「アナスタシアもできるよ」
「ほんとうに……?」
僕はアナスタシアを強く見つめた。
「どうしてそう思うの?」
「君のことも信じているからだよ。これまでずっと一緒に剣の練習をしてきたじゃないか」
――そう、信じる。
たったそれだけのことだ。
それだけで一歩踏み出せるはずだ。
自分ならやれる、と。
けれど、それだけのことが彼女には難しいようだった。
なぜなら僕の場合は《全知の書》で自分と相手とのステータスの差が分かる。そして戦闘ログを見ることで自分のステータスならやれる、という揺るがない信頼と自信を得られる。
――なら、アナスタシアは?
この世界の住民は己の強さを分からない。
相手の強さも分からない。
そんな状況で、しかも一歩間違えたら死んでしまうのだ。
だから必然的に憶病になってしまう。
彼女が恐れているのは、一歩踏み出した先にあるものが、栄光か破滅か。そのどちらか分からないからだ。それゆえにその一歩に自信をもてずにいる。だから踏み出せない。すでに歩んできた道は栄光へと続いているというのに。
またゴブリンがこちらに近づいてくる。
心配そうにアナスタシアとリリアが僕を見つめていた。
「アナスタシア……」
彼女に手渡すように剣を差し出した。
「君ならやれるよ」
アナスタシアは不安げにゴブリンを一瞥した。ゴブリンがすぐそこまで迫ってきている。早く倒して、とすがるような瞳で彼女は僕を見た。
真横でゴブリンの気配が立ち込め、ゴブリン特有の「ギギッ」という小さな鳴き声が耳に響いた。棍棒を振りかぶる様子が視界の片隅に入った。振り下ろしてくる。
このままでは頭部を殴打されるだろう。しかし、僕は身じろぎしない。じっと、目の前のアナスタシアに剣を差し出したまま見つめ続ける。
彼女が自分を信じられないというのなら、代わりに僕が彼女を信じてやる。彼女が感じる恐怖以上に、僕は彼女を信じてやるだけだ。僕の命を君に託す。その覚悟を彼女に伝える。
「君を信じているよ」
と僕は囁いた。
「アンリ!」
棍棒が僕の頭部に触れる寸前。アナスタシアの声が響き渡る。
その声は力強い。リリアを守ろうと思わず、身体が動いた時と同様に。あのときの彼女の反応は僕よりも早かった。
彼女は僕の手に握られた剣を奪い取る。その瞬間、時間が止まったかのようだった。彼女の手が剣を握りしめ、視線が交わる。その瞳の美しさに息を呑んだ。
その澄んだ青い瞳は、まるでどこまでも続く自由な空を映し出しているかのように輝き、その力強さはまさに勇者の如くだった。
美しい剣の一閃が空気を震わせた。ゴブリンの棍棒はその威力に耐え切れず、寸断されると同時に、彼女は雄々しくゴブリンを斬り伏せた。
ゴブリンが地に伏すと、彼女は手に握りしめた剣を見つめ、静かに目を閉じて天を仰いだ。その瞬間、まるで神託を受けたかのように、彼女の周りには静謐な空気が広がった。
そして、目を開けた瞬間、彼女はこちらを見つめ、嬉しさに輝く微笑みを浮かべた。
「やったわ」
と。
その言葉には、勝利への誇りと、未来への希望が込められているようだった。
「ああ、そうだね」
心の奥底が少し熱くなった。
なぜか彼女を見ていると、かつて自分が憧れ、夢見たことが鮮明に蘇る。
子供の頃に紡いだ感想文。
異世界で英雄として活躍する主人公たち。
その中でも、彼女はまるでその物語の中から抜け出てきたような存在に思えた。
彼女の眩しい笑顔が、当時の夢と憧れを今もなお鮮やかに照らし出してくれているようだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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