第19話 迷宮のボス
【隠者の迷宮Lv5】のボス――迷宮ホブゴブリンは、迷宮内のゴブリンよりも一回り大きかった。
扉を開けた瞬間、どす黒くぎらついた赤い瞳と目が合った。
思わず後退しそうになったが、踏み止まり、一歩踏み出して僕はボス部屋に入った。
その直後、ドン、という大きな音が背後で響く。扉が閉じられた。
腰のゴブリンの短刀を抜いて、目の前のボスの様子を伺った。
(……くるならこい)
ジリジリと近づく。
足が重い。
一気に接近できないのは恐怖のためか。
改めてボスを鑑定した。
VITとSTRはほぼ互角。
DEXとAGIは圧倒的にこちらが有利だ。
だが、厄介なのはボスが所持する武器だ。
黒の刀身をした剣。
ユニーク武器――夜闇の剣だ。
攻撃力が高くて特殊能力もある。
命中率30%アップ。
防具を装備していない部位に命中時に防御貫通。
僕の場合、衣服は防具とみなされるので肌が露出している部分に少しでも触れただけで、そのままダメージを食らってしまう。
天井に生える光茸が月明りのように迷宮内を照らしていた。
少しずつ接近する。
ボスは動かない。
じっとこちらの様子を伺っているようだ。
やがて互いの影が交錯した。
その瞬間、ボスが動き出す。
俊敏な剣捌きで僕の頭上から剣が振り下ろされた。
「なっ――!?」
身をかわして反撃に移ろうとしたが、ありえないことに眼前に迫る刀身を見失ってしまった。まるで夜の暗闇に溶け込んでしまったかのように武器が見えなくなった。
――これが命中率30%アップの特殊効果か!
大きく後退し、ボスの攻撃を避ける。
反撃しようとしたが、間髪入れず追撃され、反撃に移れない。
目の前のボスは剣術技能Lv5と戦術技能Lv5だ。
剣を扱う技量と、いかに隙をつくらずに攻撃を繋げていくか。
このどちらも僕よりも技能Lvが格段に高い。
持ち前の速度を活かしてなんとか攻撃を掻い潜るが、時折、相手の武器を見失ってひやりとする。左腕に黒の刀身がかする。たったそれだけで激痛が奔った。傷で言えば紙で指を少し切った程度のものだ。
けれど、防御貫通の効果によってそのままダメージを受けてしまう。思わず戦闘ログを確認した。その数値にゾッとする。あと九回あたったら――死ぬ。
(やばい……)
剣術技能と戦術技能を少し軽んじていた。
ここまで攻撃に隙がないと思わなかった。
速度の利点が圧倒的にあっただけに、なんとかなると思っていた。
ボスは狡猾な舞踏者のように足取りが軽く、その剣戟は緻密だった。いかにして相手を追い詰めるか。その意思を明確に感じられる。
しばらくするとボスの継戦能力に限界がきて、攻撃の谷間ができた。そのタイミングで僕は短剣をぎゅっと握り絞めて攻撃に転じた。
(攻撃さえできれば――!)
ゴブリンの4倍の攻撃速度。
守り一辺倒だった僕が突然俊敏な動きを見せたからか少し面食らったようだ。
一撃。
二撃。
三撃。
と、攻撃を命中させる。
けれど、日々の魔物討伐で培った僕の短剣技能はレベル3。戦術技能にいたってはレベル2だ。最後の一撃を防がれてしまい、そのまま短剣が受け流されて体勢を崩された。
(――まじか!?)
早く体勢を整えなければ。
心中で警鐘が鳴り響く。
目の前のボスが、流れるような動きで剣を構えていた。
その瞬間、空気が剣の鋭さで裂ける音が耳朶を打った。袈裟斬り。逆袈裟斬り。そして最後に胴を真横に薙ぎ払われた。連続技をまともに喰らってしまった。
左肩から脇腹にかけて激痛と血が飛び散った。
お腹が横一文字に斬られ、じわりと血が滲んだ。
痛くて逃げ出したくなる。
しかしそんなわけにはいかない。
再び、あいての継戦能力切れを待って、同様に攻撃をしかける。
だが、うまくいかなかった。
――想定外だ。
本来の命中率の数値は発揮できず、相手の攻撃をうまく回避できない。
技能レベルの差というだけでは説明ができなかった。
(……どうしてこんなことになった?)
苦痛で顔が歪んだ。
傷口をおさえながら戦闘ログを表示させる。
命中率、回避率。
攻撃速度と継戦能力。
技能のレベル差。
総合的に見ると、ここまで一方的にやられはしないはずだ。
――きれいに避けながら戦おうとしたのが悪かったのか。
本来なら真っ向勝負で良い勝負だったはずだ。
それなのに、傷を負ったりするのが怖くて慎重になりすぎたのか。
それとも戦えているつもりでも、恐怖で足が竦んでほんのわずかに踏み込めていなかったのか。
原因は分からない。
けれど、確実に言えるのは、このままでは負けるということだ。
死が、一歩一歩背後に忍び寄ってくる気配がした。
斬られたところが、火をつけられて燃えているかのように熱くて痛かった。
戦闘ログをまじまじと見つめる。
今、ここに表示されているのは、僕がこれまでに培ってきた技能やステータスによって得られる戦闘の情報だ。
数値上は良い勝負なのだ。
それなのに劣勢なのは明らかに僕の精神に問題がある。
戦闘ログは示してくれている。
僕の歩んできた道が勝利をもたらすはずだ、と。
扉を開けた時、腹をくくれているようでくくれていなかったのかもしれない。
歯を食いしばって、痛みを噛み潰す。
――ここからだ!
ボスに接近し、短剣で連続攻撃をしかける。
打ち合い、刃が激突するたびに金属の甲高い音が響き渡る。
時折、ボスの攻撃が肌をかすめたが、お構いなしにボスの身体に刃を突き立てる。一発。二発。三発、とボスの継戦能力切れを待たずして、僕は継戦能力の許す限り一心不乱に攻撃をした。
やがてボスの身体から勢いよく血が噴きあげた。その損傷具合がボスの残りHPを表しているようだった。
「魔物召喚!?」
満身創痍のボスが雄叫びをあげた。
すると複数のゴブリンが地面から生えるように突如として出現した。
その数はおよそ十匹。
一瞬だけ面食らってしまったが、所詮は雑魚だ。
乱戦となったが、一匹一匹蹴散らしていく。
残り四匹となったとき、それぞれゴブリンが武器を捨てて同時に飛びかかってきた。
三匹までは瞬殺するも、残りの一匹が足にしがみついてきて自由を奪われてしまう。
好機とばかりにボスが襲いかかってくる。
思わず舌打ちしてしまう。
あと何回攻撃を受けたら死んでしまうのかも分からない。ひょっとしたら、これが最期かもしれない。けれどそんなのは関係ない。僕はこれまで歩んできた道を――自分の技能とステータスを信じるだけだ。
僕ならやれる、と。
「うっとうしいんだよっ!」
ゴブリンにしがみつかれたまま蹴りを放った。
そのゴブリンを盾にし、ボスの攻撃を蹴り飛ばす。黒の刀身がゴブリンの身体に食い込み、そのまま消滅した。
刀身を跳ね上げられたボスは体勢を崩した。
「いい加減、倒れろ!」
即座にボスの首元に短剣を突き刺した。
急所への命中。
クリティカルヒット。
その瞬間ボスの身体が大きく膨らむ。
そして――爆ぜた。
「おわった……!」
思わず天を仰ぐ。
呼吸が荒い。
緊張の糸が途切れたのか足が震えてきた。
足に力が入らない。
思わずその場に崩れ落ちてしまった。
仰向けになって寝転がると、背中がひんやりとした。
光茸の明かりが床一面に広がる血痕を照らし出していた。
僕は拳を突き上げた。
静かにガッツポーズをする。
静寂が再び迷宮内を包み込んだーー。
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