第18話 死線の境界に手をかける
木こりデビューしてからというもの、僕の日常はさらに忙しくなった。
早朝に潜伏、隠密を駆使して魔物を狩って、帰ったらすぐに木こり業。
夕方前に帰宅してからはアナスタシアの家で剣術修行に励んだ。
変わったことがあるとするなら、剣術修行にクレイも顔を出すようになったことだ。よっぽどあの日のことが衝撃的だったらしい。今はこうして鍛え始めていた。
「くそう! 何度やってもおまえらに勝てねえ」
今日も力尽きたクレイが道場の床に寝転がった。道場の床はしっかりと踏み固められた地面だ。びっしりかいた汗に砂が張りついていたが、気にする様子もない。よっぽど疲れているのだろう。
「そりゃあ、わたしはゆう……戦士バハバルの子だからね」
アナスタシアは一度でかかった言葉を飲み込むと言い直した。いつものように笑っているように見えるが、あの一件以来、どことなく彼女の笑顔に力がなかった。
「じゃあ、こいつはなんだって言うんだよ」
「アンリは……」
言葉に詰まるアナスタシア。一拍置いてから彼女は言った。その声に力はない。
「アンリは特別だよ。勇者様のように特別な存在なんだよ」
「アナスタシア……」
僕はアナスタシアを見つめながら言った。彼女を見ていると哀しい気持ちになってしまった。彼女の憂いを帯びた表情が、特別な存在になれないことを痛感しているように見えた。
「……僕は斥候だよ」
口から自然とその単語がでた。
この村でいつしか語られるようになった勇者様一行のおとぎ話。斥候とは、ごっこ遊びで未だその役がいない、勇者様一行の最後の職業だった。
「――えっ?」
「それでアナスタシアが勇者。リリアが聖女。クレイは魔道士だろ」
「アンリ……」
――塞ぎ込んでいるアナスタシアはアナスタシアじゃない。
僕は言外にそう思いを込めながら、アナスタシアを見据えて口にした。
「たった一度失敗しただけじゃないか。また次の機会に再挑戦すればいいだけだよ」
「………」
アナスタシアは少し涙目になりながらうつむくと、口をきゅっと結んだ。しばらくしてから彼女は手で涙を拭った。
「ありがとう、アンリ。次にうまくできたら良いんだよね」
「そうだよ。アナスタシアならきっとできるよ」
僕はアナスタシアを励ました。彼女に元気がなかったら調子が狂う。まだあれから魔物に襲われていないので、彼女にはまだ精神的外傷を克服する機会は訪れていなかった。
「うん! 次こそはうまくやれるように頑張るよ!」
「その調子だよ」
少しだけアナスタシアの笑顔に力が戻った気がした。
「それでクレイは魔導士! それから――みんなで森を抜けて、冒険しよう!」
「……そうは言うけどよ、アナ。悔しいけど、俺はそんじょそこらの子供と一緒だよ。悔しいが、そいつとは違う。石を投げたところで魔法は使えるようにならないし、魔力のマの字もわかりゃしない」
クレイも僕と同じように少しホッとしたように、アナスタシアの調子に合わせて言った。
「この村には魔法使いがいないからね」
「そうさ。教わる方法がない」
クレイがお手上げとばかりに手を上げる仕草をした。
魔法を覚えるにはまず魔力探知の技能が必要だ。
通常、その技能は魔法使いから自身の体内に魔力を流してもらうことで習得できる。自分自身の中にある魔力を認知するところが習得の第一歩なのだ。
僕は全知の技能に付随する形で魔力探知を習得しているが、魔法を使えないので魔力を操ることができない。
クレイが覚えたがっている攻撃性の魔法は、神聖魔法とは仕組みが違うのだ。
「――だったら土を食えばいいじゃないか!」
「は?」
「魔力はありとあらゆるものに宿るって家にあった本に書いてあったよ。だったら、土とかを食べてみたら土に宿った魔力がいつか分かるようになるかもしれないよ」
「そんなバカな……」
クレイが、無理だろ、と同意を求めるように視線をこちらに向けてきた。僕は黙って首を横に振る。魔力を探知できるようになるには、確かに自分の体に魔力を取り込めば良いと《全知の書》に書かれていた。
森羅万象の考え方は確かにこの世界に通ずるけれど、それで覚えられるはずがない。
「……でも魔法書はどうするんだよ。魔力探知できるようになったところで、それがないと魔法は覚えられないって話しだぜ」
「そんなの後になって考えれば良いじゃん! まずは魔力探知でしょ! ――ともかくやってみなよ!」
アナスタシアがいつものように無邪気な笑みでそう言った。
翌朝、僕はゴブリンの短刀を装備して迷宮を訪れた。
今日は週に一度、魔物が再出現する日だ。
いつものように隠密状態で魔物を倒して先へと進んで行く。最初に訪れた時は迷宮を警戒したものだが、ここ三年ほど毎週かかさずに通っていると、もはやただのジョギングコースとしか思えなくなっていた。
迷宮内の全ての雑魚を倒し終えて、迷宮のボス前の扉に辿り着いた。
――隠蔽は相変わらず上がっていない。
扉に隠蔽を施して、隠密状態で忍び寄って背後から一撃で倒すという当初の作戦はいまだに使えない。
六歳になってから斧術、伐採術とさらにSTRを底上げできた。そのおかげでSTRは当初の目標値を達成できている。
――正直、正面から戦っても勝てるとは思う。
僕が背後からの一撃に拘っているのは、あくまでも僕の目標は『魔の森』を横断することであり、迷宮のボスを倒す必要はない。僕がここで命の危険を冒す必要はないのだ。
だからいつもはここで引き返す。
しかし、今日はどういうわけか僕の足はこの場に釘付けにされたかのように動かなかった。
ある種の決意が僕の中に芽吹いていた。ふう、とそれを確かめるように、ひとつ深呼吸をする。
――ゴブリンの前で震えるアナスタシア。
あんなに明朗快活な子でも、死の恐怖の前では立ち竦むのだと初めて知った。
前世の世界では死の危険と恐怖を感じることはなかった。
この世界でも僕は《全知の書》を入念に調べて、安全で確実な戦いしかこなしてこなかった。
だから僕は恐怖に打ち勝ったことも死線を潜り抜けた経験もない。どうやってそれを克服して、どんな言葉で助言をしてあげれば良いのかも分からない。
――あの日、僕を救ってくれたアナスタシア。
聖水を盗んだという僕の罪が消えるわけじゃないけれど、彼女は人狼狩りに陥りそうだった村の平和を守り、僕の罪悪感を見事に消してくれた。
だから、今度は彼女を救えるなら救ってやりたいと思えた。
そのためには――。
死線を潜り抜ける必要がある。
彼女よりも先に恐怖に打ち勝って、乗り越える方法を教えてやるのだ。
そのための経験ができるのはこの先にしかない。
――僕は、隠密を解いた。
心臓が大きく跳ねた。まるで早鐘のように脈打つ。
ボス前の――迷宮の扉に手をつく。
ひんやりとする。
恐怖で手が震えていた。
瞼を閉じて、深く呼吸をする。
ひとつ。
ふたつ。
みっつ。
そして、僕は未だ震える手で迷宮の扉を開けたーー。
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