序章② 異世界への遠い道のり
社会人になってからは異世界小説を読むのをやめた。
代わりに神隠しだとか、天狗隠しと言われる伝承や物語を読みふけるようになった。
日本には昔から多くの失踪者がいる。
その失踪の原因として、誘拐、家出、殺人事件などいろんな可能性がある。
しかし中には、突然消えたとしか思えない消え方をした人もいる。
いわゆる神隠しだ。
――その人は一体どこに消えたのか?
僕は思う。
ふいにこの世界から消えた人が行き着く先こそが異世界だ、と。
科学的根拠は何もない。
僕がそう信じたいから信じているだけだ。
しかし実際に神隠しにあった人間が、十数年後に発見されたときは、当時の姿のままであり、しかも不思議な力を宿していたという話しもあるくらいだ。
状況証拠としては信頼できる。
それからというもの、僕は平日の仕事の合間に神隠しの伝承を調べた。
休日には伝承に記された土地を訪れる。
森の奥地であったり、廃れた神社であったり。
探し始めた最初の頃はちょっとした旅行気分だった。
しかし歳月を経ていくにつれ、そんな浮かれた気分は萎んでいった。
――十年。
いつの間にかそれほどの時間が経っていた。
図書館に行って文献を読み漁った。
ネットで調べられる限り調べた。ネット民の力も借りた。
民俗学を研究してる人にも協力を仰いだ。
それでも見つけられない。
――今日、僕は呆然と立ち尽くした。
もはや調べ尽くし、行き尽くした。
たった今、僕は最後の場所を訪れて、確認を終えた。
山奥にある古びたトンネル。
その入り口は木々に覆い隠され、昼間だというのにトンネルの奥には光が一筋もない。黒塗りの深い闇と、風に吹かれた木々が、ざあざあと辺りの空気を震わせていた。
僕はついさっきこのトンネルに入り、何ごともなく、出て来れてしまった。
望みが薄いのは分かっていた。ここは割と有名な心霊スポットだった。
最近では訪れる人も多く、その割に神隠しが起きていなかった。
鞄から携帯を取り出し、トンネルの写真を撮る。そしてSNSのアプリを開いて投稿する。
『今、✖️✖️✖️トンネルにいます。ここも異世界には繋がっていなかった模様』
探し始めて五年が経過した後、心が折れそうになった。
少しでも奮起できるものが欲しくて始めたSNSだった。
今では物好きなファンがたまに覗いてくれる。
『まじかー』『ここが最後だったのにー』とか、すぐに反応がある。
誰も僕の投稿を馬鹿にしない。
心のどこかで異世界は存在してほしい。
みんな口には出さないが、その声が僕の励みになった。
しかしそれも今日までだ。
ろくに恋愛もせず、休みのたびに遠出するせいで貯蓄もない。
気づけば三十を過ぎていた。
これから第二の人生を歩もうか。
(••••••どうしたもんかね)
虚無に苛まれ、将来に対する一抹の不安を感じる。
そんな時、ふいに通知音が鳴った。
スマホの画面を見やると、調査する中で知り合った人からメッセージアプリで連絡がきていた。
その文面を見て、目を見開く。
『日本になかったら次は海外ですね!』
――まだまだ希望はある。
僕は一歩踏み出し、帰路についた。
それからというもの、僕は仕事に打ち込んだ。
海外に行くためにはなにせお金がいる。
平日は寝る間も惜しんで働き、休みの日に海外の神隠し絡みの話しを調べた。
この頃から僕の仕事に対する評価が一変した。
これまでは休日に出かけるために、どうしても平日の仕事終わりには調べ物をする必要があったから定時で帰っていたし、大きなプロジェクトの時も率先して前に出ることはなかった。
しかし今は逆だ。
自由な時間を得られる老後に、世界中を飛び回るために、お金を稼がなければならない。
その甲斐あって、順調に出世していき、十年後には会社の経営者側の立ち位置になっていた。
周りからは結婚のことを尋ねられたが、お見合いも社内恋愛もする気は起きなかった。
稼いだお金と老後の時間を全て自分自身で使うために。
さらに歳月が経ち、退職日を迎えた。
手塩に育てた部下たちから送別会を開かれ、花束も渡された。
傍から見たらもう社会の舞台から降りるわけだから、あとは余生を過ごすだけだろう。
しかし、僕の――いや、儂の人生はこれからだ。
送別会の翌日に、早速、海外に旅立った。
それからというもの魔法の本場、欧州を始め、中国、米国と渡り歩いた。
しかし一向に異世界への入り口は見つからない。
あれからさらに月日が流れ、今年でもう八十になる。
(……結局は無駄だったということか)
米国の〇×州南部に入り、昨夜モーテルにチェックインした。
少し日が落ちてきた頃、砂漠の大平原の中を車で走った。
ゴツゴツした赤い岩が突き出たような渓谷に向かって、どこまでも道路が伸びている。
観光目的なら雄大な大自然の景色に息を呑むほどだろう。
しかし、それを楽しむ余裕はない。
こうして運転できるのもいつまでだろうか。
目当の山の麓に到着する頃には夕陽が空を赤く染めていた。
広大な山は、所々にサボテンや何かの植物が見えるものの、地肌は剥き出しだった。
全てが夕陽の赤に染まっている。――黄昏が身にしみた。
(そろそろかの?)
この近辺に存在する伝承では日が暮れる頃、黒い霧がたちこめ、呑み込まれるとどこかに神隠しされるらしい。
それを期待していた。
だが――日が落ちても霧は出なかった。
(……さすがに初日で、というのは調子が良すぎかね)
車からキャンプ用具を取り出し、長丁場を覚悟した。黒い霧に呑み込まれるまでは帰れない。たとえその結果が望まぬものだったとしても。
それから何日か経過しても黒い霧は発生しなかった。
いい加減、食料がなくなりそうだったので、あと一夜過ごしたら一旦、引き返すことにした。
(なんじゃっ?)
その時である。
ふいに心臓が、どくん、と大きく脈打った。
胸をおさえた。
胸が痛い。
息苦しい。
全身から脂汗が噴き出た。
とても立っていられず、その場でのたうち回る。
視界から色が失われていく。呼吸がまともにできない。喘ぐ。
(――無念)
おそらく心臓発作。
せめてここが異世界への入り口ではないか。
それだけでも知りたかった。
目から光が失われ、視界が黒く塗り潰されていく。
倒れ伏す。
意識が薄れていく。
そんな中、奇妙なものを見た。
地面から黒い霧のようなものが、じわじわと湧き出ていた。
そして女性の声が耳朶を打った気がした。
「あなたの一生涯に感服しました。ここが異世界への入り口ということにしておいて差し上げます」
その声は、気品に富み、耳にするのも恐れ多いと思えるほどに神々しさを感じられた。
例えるなら、それはさながら女神のように。
そこで儂の意識は途絶えた――。
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