第17話 アナスタシアの涙
「よし、アンリ。いよいよ今日から一緒に働けるな」
「くれぐれも無茶をしないようにね」
「ありがとう。行ってくるよ」
心配そうな眼差しのセレナに声をかけ、家を出た後はモンドに連れられて村を歩く。
「おー。アンリ。今日はいよいよ村の外に出られるね!」
「アンリさん。今日はよろしくお願いします」
村長――バハバルの家の前を通りかかるとアナスタシアから声をかけられた。その傍にはリリアもいる。
「アンリを護衛するというのも変な感じだな」
バハバルが言った。
村の外の『魔の森』を伐採しての開墾には危険が伴うため護衛がつく。
幼い頃に聞かされた通りだ。
六歳になると親の手伝いをするのは、村の慣わしのため、アナスタシアもリリアも戦士見習いと神官見習いとして同行をするようだった。
「その剣、重くない?」
アナスタシアの腰に視線をやる。彼女はいつもの木剣ではなく本物の剣を腰に帯びていた。
「大丈夫。お父さんがわたしに合うように調整してくれているから」
「そっか。良かったね」
「うん! だから安心してね。今日はアンリをしっかり守ってみせるんだから!」
話をしながら連れ立って村の出口までやってくるとまた一人見知った顔の男の子がいた。クレイだ。彼もまた魔法使い見習いとして……ではなく、今日から僕と同様に、木こりデビューする。ごっこ遊びでは魔導士だが、その実態は単なる木こりの息子だった。
「おせーぞ。おまえら」
腕を組んで不機嫌そうにクレイが言った。
「クレイ、あまり汚い言葉を使うんじゃない」
クレイの傍にいるモンドと同じく筋骨隆々の男性が彼を嗜めた。クレイの父親だ。クレイは軽く舌打ちした。
「ごめんなさい。お父様、遅くなりました」
リリアは門の端っこで、静かにこちらを見ている男性――神父様の元に駆け寄るとぺこっと頭を下げた。神父様はにこやかに彼女の頭を撫でる。
他にも何人か屈強な体格をした村人とその子供がこの場にいた。子供の年齢は六歳から成人前くらいまでとまちまちだ。木々を伐採して開墾する人がいたり、地を馴らして畑にする人がいたり、畑にて農作業に出向く人もいるようだ。
「さあ、行くとするか」
バハバルが柏手を打ち、皆に号令をかけると僕たちは村を出た。大人たちの後をついていく。列を為しながら土を踏みならしたような道を進んだ。畑までやってくると農作業に従事する人達が列から離れて畑に入って行き、畑の手入れをし始めた
耕地は三つに区分されているようだった。それぞれ違う作物が作付けされていた。一つのエリアにクローバーらしき植物――《全知の書》で調べるとクローバーと同じ効能――が作付けされている。
(三圃式農業かな?)
畑を横目で見ながら僕は歩いた。
三圃式農業は中世ヨーロッパで広く行われた農業形態だ。
耕地を三つの区分にわけ、そのうち二つのエリアで作物を育て、一つのエリアを休ませる。これを三年周期で行い、農地の地力の消耗を防ぐ輪作である。休ませるときにはクローバーだとか根菜類を作付けするらしい。
「わー。なんだか冒険って感じがするね!」
「緊張します」
「こんなの村の中からいつもみてる光景と一緒じゃないか」
『魔の森』に近づくにつれて、興奮度が増しているかのようにアナスタシアの鼻息が荒くなっていた。いよいよ我慢できずに、彼女は村の外に出て嬉しそうに声をあげた。リリアとクレイが彼女につられて、それぞれ初めて村の外に出た感想を漏らした。
「でもワクワクするよね! 御伽話の勇者様も初めて自分の村を出た時はこんな気分だったのかな!」
「そうかもしれないな」
「きっとそうですよ」
「いいね、いいね! わたしたちもいつかこの森を抜けて勇者様のパーティみたいに色々なところを冒険したいね!」
アナスタシアが無邪気に笑いながら言った。
しばらく誰も返事をしなかったが、やがてリリアが「そうしたいですね」と笑った。
――アナスタシアだけは相変わらずだな。
二人はアナスタシアと違って現実をきちんと見つめているようだった。
子供の頃にこの世界の誰もが一度は憧れる御伽話。勇者様御一行の冒険譚。魔王を倒した勇者はこの世の神秘を求めて世界の果てまで冒険する、というものだ。
しかし、どれほどごっこ遊びで憧れていても六歳になって初めて親の手伝いをするようになると、いやでも実感させられてしまう。
自分の人生は冒険とは無縁の親の後を継ぐだけなのだ、と。
そして十二歳になった時に行われる職業の適性診断にて夢は絶たれてしまうのだ。
――だれもが憧れる勇者。
どんな傷も治してしまう聖女。
どれほど強大な魔物も灰にしてしまう魔導士。
どんな脅威も未然に防ぐ斥候。
御伽話に登場する勇者様一行のパーティ構成だ。
これらの適性がなければ、『魔の森』を横断できず、アナスタシアの言う冒険も始められない。
『魔の森』の入り口に到着すると、モンドから手斧を渡された。周囲を見回すと僕と同様に、クレイたちも自分の親から斧を渡されていた。
「振れそうか?」
「問題ないよ」
僕のSTR(力)はすでに成人男性に達している。他の子達が苦労している中、僕は軽々と斧を持ち上げて近くの木に斧を打ち込んだ。
――カツンッ!
と、木の幹に斧が食い込む。
視界の片隅で、クレイが僕に負けじと斧を頑張って持ち上げようとしていたが、うまくいかないようだった。
僕はまた斧を構えて木に打ち込む。《全知の書》を密かに顕現させて技能を確認する。STRに大きな恩恵を与える斧術と伐採の技能に経験値が入っていた。
(いいね。これ)
技能経験値が入ると途端に楽しくなってくる。僕は嬉々として斧を振った。六歳児が軽々と斧を扱っている様子に周囲がどよめいた。本来なら六歳の頃から徐々に鍛えてできるようになるものだ。
「アンリ。おまえ……」
モンドが絶句していた。
バハバルとアナスタシアはどこか当然のように満足げに頷いていた。
しばらくの間そうしていると、護衛の一人が突然叫んだ。
「ゴブリンがこっちに近づいてくるぞ!」
と。
モンドにぎゅっと抱き寄せられた。非戦闘要員は後方に退き、一か所に集まった。近くのクレイは完全に青ざめていた。
やがて森から六匹のゴブリンが姿を現す。
バハバルが陣頭指揮をとりながら、隊列をつくる。戦闘要員は神父様を除いて十人ほどだ。どうやら迎え撃つらしい。彼はアナスタシアを守るように彼女を背にしていた。どことなく彼女もクレイと同様に顔から血の気が引いているように見えた。快活な彼女もさすがに初めて見る魔物には少し怖気づいているようだった。
ゴブリンが攻撃姿勢をとり、こちらに襲い掛かってきた。その直後にバハバルは号令をかけて突撃した。十の大人がゴブリンと臨戦状態になるが、アナスタシアを含めて戦士の子供たちは恐怖で足が動かなかったのか、その場に取り残される。
「――しまった! アナ!」
バハバルの一撃を受けて致命の傷を負ったゴブリンが一匹、彼の脇を潜り抜けて後方に取り残されている子供たちに襲い掛かる。
アナスタシアは剣を抜こうと柄に手をかけたが、その手は恐怖からか震えていた。
(――抜くんだ。アナスタシア。君は勇者になるんだろ)
僕はモンドの傍らで見守っていたが、アナスタシアが剣を抜く気配はなかった。ゴブリンが剣を振り上げ、振り下ろす。彼女は身を硬直させたまま、ぎゅっと目を閉じた。
僕はその瞬間、モンドの手を振りほどき、持ち前のAGIを発揮して瞬時にアナスタシアのもとに駆け寄った。そしてゴブリンの頭部めがけて蹴りを放ち、そのままゴブリンを地に叩きつけた。その一撃でゴブリンはぴくりとも動かなくなる。
「アンリ! 気をつけろ!」
バハバルの叫び声だ。また一匹、護衛の大人たちの間を潜り抜けてゴブリンがこちらに向かってきた。そのゴブリンも同様に蹴っ飛ばす。これもまた一撃だ。
大人たちから感嘆の声があがり、同じ年の子たちからは「すげー」という声が聞こえてきた。
「よくやった。さすがはアンリだ」
戦闘は無事に終結し、バハバルに肩をぽんと叩かれた。
モンドは口をあんぐりと開けて絶句していた。バハバルから僕のことを聞かされていたとしても、実際に僕の強さを目にするのは初めてだから驚いているのだろう。
アナスタシアのもとに向かうと、彼女はぎゅっと抱きついてきた。そのまま僕の胸元に顔をうずめる。服がわずかに濡れた。彼女は静かに泣いていた。
勇気を出せなかったからか。
それとも殺されそうになって怖かったからか。
もしくは本当は弱い自分――現実を知ってしまったからか。
僕はアナスタシアを無言でそっと抱きしめた。
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