第9話 森のゴブリンとの遭遇
(ここが『魔の森』か……)
森に足を踏み入れた瞬間、灰色の霧がうっすらと森を包みこみ、不気味な静けさがその中に漂っていた。
隠密状態を維持したまま、密集した木々の間を進んでいく。ときおり、茂みや蔦が進路を遮ったが、かまわずに進んでいく。隠密技能はレベルに応じて、本来自身が発する音を消してくれる。
たとえばレベル1では足音が消え、レベル5になるとこういった茂みの間を通り抜けても音が発生しない。原理は分からないが、こういう仕組みらしい。
風がかすかに吹き抜け、森がざわめいた。陽の光は一筋も森の中に差し込んでおらず、ひんやりとしていた。霧のせいで視界がわずかに曇っていたが、少し先に影が見えた気がした。
一瞬、森の影のように思えたが、その影の周辺では、ときおり悲鳴のような鳴き声が空気を裂いていた。
目を凝らす。
小柄で奇怪な外見をした生き物がそこにいた。
――ゴブリンだ。
僕は息を呑んだ。一目で分かる。
低い身長で、ひょろりとした体つき。緑色をした体はどこか不気味であり、汚そうな印象を受ける。大きくて尖った耳。鋭い牙。小さな赤い瞳が邪悪な輝きを放っているようだった。手足は細く、指先には尖った爪が生えていた。手には粗末な太い木の棒を持っていた。
初めて見る魔物に心臓が早鐘を打った。今からこれと戦う。意識すると、少しだけ恐怖が胸中を吹き抜けた。
覚悟を決めろ、と自分に言い聞かせながら、僕は目に力を込めて鑑定の技能を発動させた。
【森のゴブリン】
Lv 5
HP 10
MP 7
VIT 1
STR 3
DEX 5
AGI 5
INT 2
MND 0
【技能】
ゴブリンLv1
棍術Lv1
探知Lv1
潜伏Lv1
隠密Lv1
(なんだ、こんなものか)
見るからに弱い。少しホッとした。モンドたちにとっては脅威かもしれないが、僕にとっては数値を見るからに負ける要素はない。
詳しくみてみると、種族技能とでも言うのかゴブリンの技能でVIT / STR / DEX / AGIにそれぞれ1ずつステータスが加算されているようだった。
棍術技能でSTR 2 / DEX 1のステータス上昇。
同様に、探知技能でDEX 1 / INT 2。
潜伏技能でDEX 1 / AGI 2。
隠密技能でDEX 1 / AGI 2。
ステータス値は各技能に決められた値がLv分上昇するのだが、どうやら技能によるステータス上昇値は魔物も人族も同じようだった。
(これなら余裕だな)
僕は短刀を握り絞める。少し緊張するが、あらためて冷静に分析するために戦闘ログの確認を行うことにした。《全知の書》に現在の自分のステータスを表示する。ログの確認の前に以前との比較も行った。
アンリ(種族:半神)
Lv 26 → 44
HP 226 → 244
MP 326 → 348
VIT 0
STR 0
DEX 10 → 25
AGI 0 → 30
INT 100(105) → 100(107)
MND 0 → 2
ユニーク技能:全知Lv20(探知Lv20、魔力探知Lv20、解剖学Lv20、動物学Lv20、獣医学Lv20、鑑定Lv20、開錠Lv20、罠解除Lv20、毒知識Lv20)
【技能】
野営Lv5
人族の共通語Lv2
短剣術Lv1
潜伏Lv7
隠密Lv7
隠蔽Lv2
(――ステータスの差は圧倒的だな)
何度見てもとんでもないステータスである。
INTについては超過分を含めた数値が()にある数値なのだが、この世界のルールが適用される数値は100までなので、それ以上は余分な数値ということになる。
また、アナスタシアとの戦闘にも使用した鑑定技能をはじめとして、《全知》の技能を習得するにあたって、()内にある技能が付随する形で生来備わっていたらしい。
本来であれば各技能とそのレベルに応じてステータス上昇が見込めるが、()の技能に関してはあくまでも《全知》のおまけでひっついてきているだけなので、僕のLvやSTRなどのステータス値には反映されていないようだった。
ただし、合計Lvが高ければ高くなるHPとMPに関しては、種族:半神の特質として影響を及ぼしている。そのため僕のHPとMPは異様に高くなっているらしかった。
たとえば《全知の書》で調べてみると、神託をされたばかりの本物の勇者様の約2倍、僕の方がHPとMPが高い。
ちなみに技能のレベルの指標はこんな感じらしい。
技能Lv1~2:初級。
技能Lv3~5:中級。
技能Lv6~8:上級。
技能Lv9:超級。
技能Lv10:人類の到達点。
技能Lv11以降は叙情詩にでてくる英雄や、伝説上の人物とみなされるほどの実力になり、Lv20で神に手がかかる半神級の実力となるそうだ。
僕の種族は半神なので、《全知》やそれに付随する技能は最初からLv20に調整されているらしい。
もちろんLv20以降もあるが、その先は小神、大神と話しの規模が大きくなりすぎて僕の頭では理解が追いつかなかった。
そんなこんなで、僕が負ける要素はないのだが、唯一の気がかりがSTRの値が0なことだ。果たしてどんな戦闘になるのか知るためにも、ゴブリンの鑑定ウィンドウを《全知の書》の僕のステータスに重ねた。
(正面からの攻撃は通らないか……)
僕が今装備している短刀ではゴブリンの防御力を上回れず、ダメージを与えられないらしい。
それならば、やることはひとつだ。
最初からこのスタイルでいく、と決めていた。
万が一、ゴブリンから攻撃を食らったとしても、ダメージはせいぜいアナスタシアから後頭部を殴打されたときより少し多いくらいだ。たいしたことはない。
――よし。
僕は意を決すると隠密状態を維持したまま、ゴブリンの背後に移動した。ゴブリンの身体から鼻を突き刺すような強烈な悪臭が鼻孔を刺激した。思わずむせそうになるが、ぐっとこらえた。
ゴブリンの探知技能はレベル1。たとえ僕が背後にいようと気づかれない。
あらためて覚悟を決めるように歯を食いしばり、短刀を握る右手に力を込めた。そのままゴブリンの首に刃先をあて、力いっぱい裂いた。
ゴブリンの首からわずかな血が飛び散る。僕の今の攻撃力では一撃で倒すことはできない。
「――ギギッ!?」
攻撃をしたことで隠密状態が解除される。
ゴブリンは苦痛からか驚きからか、声を上げる。こちらに振り向こうとするが、その瞬間、僕は茂みに身を潜めて再び潜伏技能を発動、隠密状態へと移行する。
相手の視界に入っていない状態ならば、たとえ僕が茂みに入っているのを知っていても、潜伏技能の発動条件は満たす。茂みから抜け出し、再びゴブリンの背後に立つ。
ゴブリンがこん棒をさっき僕が入った茂みに叩きつけた。
(――残念。僕はもうここだよ)
再度、ゴブリンの首を短刀で裂く。飛び散った血で自分の身体が汚れないように僕は大きく後退した。
二度目の僕の攻撃を受けて、ゴブリンはその場で倒れ、ぴくりとも動かなくなった。
(やった!)
声を出すと魔物に見つかるので、僕は心の中で叫ぶと小さくガッツポーズをした。
初の魔物との戦闘。
そして勝利だ。
これが夢にまで見た異世界での戦闘。
なんとも感慨深いものがあった。
嬉しさで涙が出そうになるが、まだまだこんなもので満足をしていられない。
探知技能Lv20を発動。
周辺にゴブリンがいないか探る。
探知技能はLvに応じて探知範囲が拡大されていき、その精度も増していく。感覚的にはゲームによくあるような周辺マップが頭の中に表示されるような感じだ。現状は探知範囲を『魔の森』に限定しているが、実際のところはどこまで探知できるか分からない。
試したい気はするが、仮にこの世界の全てを探知してしまい、全ての地図を知ってしまったら、新しい街や村、迷宮を発見する喜びがなくなってしまう。だから今は試さない。
もう少し『魔の森』の奥に入ったところにゴブリンが3匹ほどいるようだ。
隠密しながらその1匹の背後に回り込み、そして短刀で攻撃した。
「――ギギッ!?」
と、攻撃した瞬間に隠密が解除され、気づかれるが、先ほどと同じように近くの茂みに飛び込み、ゴブリンの視界から姿を消した瞬間に潜伏を発動し、隠密状態へと移行する。
そしてまた再び背後から攻撃した。二度攻撃を受けたゴブリンは倒れ、絶命する。《全知の書》の戦闘ログで確認した通り、このゴブリンも二回の攻撃で確殺だった。
僕のSTRは0。そして薪割りようの短刀の攻撃力は2だった。
通常の攻撃ならゴブリンの防御力に阻まれてダメージを与えられない。
しかし、短剣術の技能特性には、相手から気づかれていない状態での攻撃は100%クリティカル発生というものがある。
さらにクリティカル発生時には、防具を装備していない部位に攻撃をあてた場合は防御力を貫通してダメージがそのまま通り、短剣術Lv〇×100%のクリティカルダメージが上昇する。僕の場合は短剣術Lv1なのでダメージ2倍である。
残りの2匹が襲い掛かってくるが、これもまた僕は近くの茂みに飛び込んで視線を遮る。そして潜伏し、隠密。残りの2匹のうちの1匹の背後に迫った。
僕の目にはゴブリンの動きが停まって見えた。
攻撃速度はDEXとAGIの合計値と装備重量によって決まる。よって、ゴブリンの攻撃速度は6であり、一方、僕の攻撃速度は54だ。単純に僕の方が9倍速く攻撃できることになる。
隠密状態のまま、本日五度目のゴブリンの背後からの攻撃。
(――これでダメージ100%アップ!)
相手から探知されていない隠密状態で背後からの最初の一撃。
ここでもダメージ100%アップの恩恵を授かれる。
隠密×背後攻撃×短剣術。
これらの技能の組み合わせで、攻撃力2の短刀でも8のダメージを与えることができる。森のような遮蔽物があるような場所では、隠密を見破られない限り、攻撃し放題である。
もっとも、潜伏および隠密状態は10秒につきMP1を消費するので、僕のMPであっても1時間くらいしか戦えないが。
潜伏、隠密、背後攻撃。
先ほど見つけた三匹のゴブリンも危なげなく討伐できた。
そして再び探知を発動させて、次の獲物を追いかける。
(……MPの続く限り、やってやる!)
初戦闘の昂揚からかゴブリンを倒すたびにテンションが上がっていき、夢中になって僕はゴブリンを探知しては背後から攻撃していった。そうこうしている内にMPがなくなりかけたので、急いで村に戻った。
結果、今日は25匹ものゴブリンを倒すことができた。
1匹倒すたびに40のスキル経験値を手に入れられたので、合計経験値は1000だ。
この世界の一日あたりの基準討伐数は分からないが、モンドたちのように大人数人が隊を組んでいるような世界だ。まあ、一人にしては上々ではないだろうか。
また隠密状態で門番の横を素通りする。
背後から攻撃して、返り血を浴びないように立ち回ったから、身体は特に汚れていないが、腕に鼻先をくっつけて臭いを嗅いでみると少し臭い気がした。
ゴブリンの悪臭が少し身体に移っていた。
(水浴びしてから帰るか……)
このまま帰ったら大騒ぎになりそうだったので、臭いを落とすために少し村のはずれにある川で水浴びしてから帰ることにした。
川原に到着すると、ゆうしゃアナスタシアとせいじょリリア。それにもう一人見知らぬ子がいた。アナスタシアは相変わらず木剣を振り回して遊んでいるようだった。
(……めんどうな奴がいるなあ)
そう思いながらも、僕は川に入り、水浴びをする。隠密のLvが高水準のおかげで、水浴びをしていても、僕のことは認識されないようだ。
隠密が万能すぎて怖い、と思ったが、それは僕の潤沢なMPのおかげでそう感じるだけであり、他の人からすると数十秒しか発動させることができない技能だ。さぞ、使いにくいだろう。
(さて、帰るか)
あらかた臭いを落とせたのを確認してから、僕は川から出た。そして、そのままこの場を後にしようとしたが、ふいにアナスタシアの絶叫が聞こえてきた。
「あー! あくまだ! あくまめ、かくごしろ! きょうこそはたおしてくれる!」
「――え?」
思わず変な声を上げてしまう。
……どうして見つかった?
アナスタシアが木剣の切っ先を僕に向け、剣を構えていた。
まさか、と思い、《全知の書》でステータスを確認すると、現在MPが0だった。
どうやら隠密のしすぎでMP切れになっていたようだった――。
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