ソフィア2
十字軍国家エデッサ伯領がイスラム勢力に奪還されたことを受けて、ローマ教皇エウゲニウス三世は聖地救援の十字軍を呼び掛けた。
とはいっても、エルサレムはエルサレム王国が保持していることから、救援という理由そのものが薄かった。
なのに、フランスやドイツの人々は一回目の十字軍の成功に目が眩んだのか、熱狂して賛同し、エルサレム王国への移動を始めた。
「嫌な商売だなあ」
私達マリア騎士団は、主にドイツ諸侯の小軍勢を、たまにフランス諸侯の小軍勢を、有料でエルサレム王国まで運ぶ仕事をしていた。
「まあ、イスラムとは渡りを付けてあるので、大丈夫でしょうが」
マリア騎士団の主力たるガレー船団を統率する、三代目『黒ひげ』ディーの言葉に、私は頷く。
「だねえ。ところでこの十字軍、イスラム勢力団結のダシにされてない?」
「その可能性はありますな」
シリアのイスラム勢力は結構バラバラで、十字軍国家と協力体制にあるモノも多い。邪推だけれど、イスラム勢は、この十字軍に対抗するというお題目を掲げることで、団結しやすくするのだろう。
「イベリア半島のレコンキスタと平行でエルサレム王国の救援、っていうのが既に謎なのに。エルサレムに行った後どうするかも考えていない、って時点で悪い予感しかしないんだけど」
「そのこと、イスラム勢力には筒抜けですしなあ」
私達マリア騎士団は、布教はするけれど『熱心ではない』、自発的に来る人相手以外は説教や説法をしない。強制したところで教えは身に付かないと知っているからだ。
その分、自分を強く律して『カトリック教徒はこうであれ』『騎士とはこうであれ』『人間とはこうであれ』と見本になれるようにしているので、来た人相手にしかしていないのに入信者が多いという、他の宗派からすると『謎な状況』になっているけれど。
私達の教えを強制しない、場合や状況によっては、異端や異教徒の『人間としてよりよい』教えを『解釈』として受け入れる姿勢は、ローマ教会から見ると不気味で嫌悪感があるらしいけれど。イスラムやユダヤからのウケはものすごく良い。
カイロのモスクを言葉だけの交渉で借りて、説教を行ったカトリックなんて、私達ぐらいじゃないだろうか?
その繋がりから、エジプトやシリアのムスリム商人から、私達マリア騎士団は警告を受けまくっているのだ。
「今回の十字軍、参加したら死ぬぞ」
と。
しかもそれは、ムスリムとして警告したのではなくて『友として』なされたものばかりなのだから、なんだか嬉しい。おばあちゃんが目指して挫折した、異端や異教徒とも分かり会える世界に近付いているんだな、と心が温かくなる。
「あの警告を聞くと、本当に十字軍の状況筒抜けなんだよねー。しかもそれを『十字軍に伝えても構わない』なんて言われるんだから、ねえ」
「イスラムが十字軍を嘗めているのか、私達が信用されているのか、悩みますな」
「十字軍戦士達に警告の内容は伝えたけど。信じてもらえなかったのがかなしい」
「カトリックよりもイスラムの方が私共を信じてもらえるのは、複雑ですなあ」
戦士を運ぶ仕事が終わると、今度はマルセイユやローマで食料品を買い付けて、エルサレム王国に運んで売る仕事に従事する。
「負け戦に参加する意味ないしねー」
「ですな」
私達が運び込んだ食料がある間は、十字軍の略奪がマシと気付いたイスラム勢力から、ワインを売ってもらったりしつつ。あちらこちらで買い付けた食料品をエルサレム王国と十字軍に売り付け続ける。
「これが『死の商人』なのかなあ?」
「何ですその物騒な響きの言葉は?」
「おばあちゃんがね、『戦争で儲ける商人のこと』をそう言う、って昔言ってたなあ、って」
「我々の商売はむしろ戦争の被害を軽減しているので、それは違うかと」
「だといいなあ」
そうこう言っている間に、十字軍はダマスクスへの攻撃を始めた。
「なんで? そこはエデッサ伯領の奪還じゃないの?」
「というよりも、ダマスクスはエルサレム王国の同盟国では?」
「わけがわからないよ」
「全くですな」
しかもその攻撃は、犠牲者だけ出して、何の成果もなく四日で終わった。
「謎」
「十字軍とは?」
私達マリア騎士団の面々は、ダマスクス近郊で略奪して小金持ちな元十字軍戦士達を乗せて、ローマやマルセイユへと船を走らせ続けた。
イスラム側から、家宝や宗教的に大切なモノの奪還をお願いされたので、運賃や食費としてそれらを貰い。イスラム側に渡してお金や特産品を貰う、なんてこともした。
「こう、なんだろ? おばあちゃんの話してた十字軍とイメージが違う」
「今回の十字軍が不甲斐ないこともありますが、我々の『力』が強くなったからでは?」
ディーは言う。
「我々マリア騎士団は、交易を続けてきたことで、地中海中の情報を集めることが出来るようになりました。ですが、先代騎士団団長マリア様は、何の情報網もなく、十字軍相手の交易をしておられました。
情報網が出来たことで、我々は危険な戦場を避けられるようになりましたが、マリア様はそうはいかなかった。その違いではないでしょうかと」
「……なるほどなあ」
私は思う。
「どうか、死んでいった彼らにも、神の愛がありますように」
***
騎士ソフィア
捨て子だったらしい彼女は、幼少期を聖ニコラ教会の救貧院で育ち。初代マリア騎士団団長マリアに憧れて、マリア騎士団に入団する。
文武両道で優秀でありながら、人々を慈しみ、誰よりも自分に厳しい性格から、騎士マリアの後を継いで一一四六年四月八日、二代目のマリア騎士団団長となる。
騎士マリアの代から、異端や異教徒と融和的だったマリア騎士団は、彼女の代で更に融和的になる。
例えば彼女は、団長就任後すぐの五月一〇日、エジプトはカイロのモスクを借りてカトリックの説教を行っている。
モスクを借りる際、マリア騎士団は言葉で交渉しただけでモスクを借りたと言われている。流石に喜捨くらいはなされたと考えられているが、それでも、当時の常識からいってあり得ないことである。
一一四七年から一一四八年の第二回十字軍では、マリア騎士団を率いて、フランスやドイツの十字軍戦士をエルサレム王国に運びつつ。十字軍当てに食料品を売り続けた。
兵站を略奪に頼りきっていた十字軍が、形だけでも軍隊として成り立っていたのは、マリア騎士団の影響だと指摘する研究者も多い。
第二回十字軍が失敗し、帰還する最中、マリア騎士団はイスラム側の家宝やモスクから略奪された品を『運賃』として回収し、イスラム側に有料で返還している。
有料とは言うが、大抵の場合商売上のちょっとした特権を求めただけだったようで。実質タダで返還したようである。
彼女はその後も異端や異教徒との融和を進め。コンスタンティノープルの正教会の教会やカイロのモスクでの説教を複数回に渡って行っている。
神の愛を説き続けた彼女は、一一八五年九月。風邪を拗らせて死亡する。