マーサ1
一二六五年七月六日、先代マリア騎士団団長のエマが突然死んだ。
朝起きる筈の時間に起きて来なかったので、様子を見に行ったら死んでいたということから、マリア騎士団は多少混乱したものの。
マリア騎士団において、団長の仕事は対外的なものが多いため、内部はそんなに混乱しなかった。
問題はその『対外的な』部分だった。
マリア騎士団領は、キプロス島だけでなく、エーゲ海の島々や遠くタジュラ湾沿岸まで増えており。対外的な交渉も増えていた。
ロマニア帝国を破ったことで、ニカイア帝国は東ローマ帝国へと名乗りを変え。それに従い、統治が面倒臭かったエーゲ海の島々の返却交渉をしていた私達マリア騎士団は。先代団長エマの突然の死で諸々の手続きが本当に、本っ当に面倒臭くなったので、その『対外的』な部分の重要性をよく理解した。
その交渉で活躍したのが不味かったのか。他薦だけれど、全会一致で、私マーサは五代目マリア騎士団団長になった。
モンゴル帝国との戦争は、細かい戦闘を含めるとずっと続いており。西ヨーロッパ諸国は疲弊していっていた。
テンプル騎士団は中東から撤退して、モンゴル帝国と戦う体制作りに入り。アンティオキア公国やトリポリ伯国は勢力を弱める一方で。
一二六八年、とうとうアンティオキア公国はマムルーク朝に滅ぼされた。
アンティオキアの全ての住人は、殺されるか奴隷にされて。マムルーク朝の従属国状態なエルサレム王国へと連行された。
この虐殺に対し、キリスト教国の中でもモンゴル帝国の脅威を感じていない国々が過剰反応し。一二七〇年、第八回十字軍が始まった。
「いやマリア騎士団は十字軍には協力出来ないけど?」
モンゴル帝国との戦争の後方支援で忙しい私達マリア騎士団は、十字軍に協力しなかった。
いやだってアンティオキア公国ってよく周囲のイスラム教徒を無駄に殺したり略奪したりしていたし。はっきり言って、アンティオキアの虐殺は単にやっていたことをやり返されただけだ、とマリア騎士団は考えたからだ。
十字軍の先鋒をつとめる、ルイ九世率いるフランス王国軍は、まず補給拠点を造ろうとチュニジアを攻撃したけれど失敗して。
ルイ九世は道半ばで病死した。
その後を継ぐかのように、イングランド王ヘンリー三世の息子エドワードが軍を率いてシリアの港町アッコンに上陸していった。一二七一年五月九日のことだった。
「あんな小勢で、何をするつもりなんだろ?」
一〇〇〇人程の軍勢でマムルーク朝と正面から戦おうなんて、控えめに言って馬鹿では?
エドワード軍はシリア各地を略奪して回るだけで、マムルーク軍と戦おうとしなかった。
その狙いが七月末、判明した。
「まさかモンゴル軍と手を組んでるなんて……」
エドワード軍は、裏でモンゴル軍と手を組んでいたのだ。
つまりエドワード軍は撹乱役で、後に来るモンゴル軍が本隊なのだ。
その情報をマムルーク朝やローマ教会、東ローマ帝国に流しつつ。私達マリア騎士団やホスピタル騎士団も、モンゴル軍との戦いに備える。
しかし、モンゴル帝国の動きの方が早かった。
一〇月末、モンゴル軍はシリアに到達し、シリア北西部の都市アパメアまで侵入し、略奪して帰っていった。一一月一二日にはシリアの奥地に引っ込んだというのだから、まさに『神速』だ。
モンゴル軍を呼び込むという、エドワードの阿呆な行為はイスラム教圏だけでなくキリスト教圏からも批判を受け。
補給の届かなくなり、めぼしい略奪先もなくなり、エドワード暗殺未遂事件まで起こった彼の軍は、一二七二年五月、一〇年一〇か月一〇日の休戦協定をマムルークと結び。
イングランドへと帰っていった。
「いや、本当何がしたかったんだろ?」
マリア騎士団一同、首を傾げた。
その後、エドワードの略奪被害もあって弱体化が進んだトリポリ伯国は、一二八九年に滅亡し。
エルサレム王国も一二九一年五月一八日、マムルーク朝に吸収された。
我がマリア騎士団は、エーゲ海の島々を全て東ローマ帝国に『返却』し。今では、キプロス島とタジュラ湾沿岸を領有するのみ。
十字軍の時代も終わったと言える今、いつまでもマリア騎士団が存在するのは、おかしな気もするし。巡礼者がいるなら、なくなる訳にもいかないとも思う。
今後、マリア騎士団はどうなるのだろう?
***
騎士マーサ。
五代目マリア騎士団団長。得に目立つ功績はない。
一二六五年八月三〇日、マリア騎士団団長となる。
性格は真面目だったとも、不真面目だったとも言われ、資料の少なさもあり、評価が一定しない。
彼女の生きた時代は、モンゴル帝国がヨーロッパに侵入し、十字軍が終わったという激動の時代の割に資料が少ないことから、『無能説』が出ることもある。しかし、この激動の時代に、キリスト教圏とイスラム教圏の間に立地する国を残せただけでも有能であることは間違いない。
一三〇〇年一月四日死亡。死因は癌と見られている。
一説によると、イングランド皇太子エドワード一世とモンゴル帝国との密約を暴露し、モンゴル軍のシリア侵攻を警告したのは彼女らしいが、資料が不足している。
また、エドワード暗殺未遂事件を引き起こした暗殺教団『山の老人』と協力関係にあったとする説もあるが、これは後世の創作である。
十字軍より生まれたマリア騎士団は、十字軍から完全に離れました。
この『親離れ』をもって、本作品を完結とします。
読んで頂き、本当にありがとうございます!