マルティナ6
「おら! 降りろ!」
元、少年十字軍老人衆取りまとめ役のニコラウスは、ジェノヴァ商人の声で目覚めた。
「船旅は堪えるのう」
「そうじゃのう」
「高く売れるといいのう」
「早く歩け!」
老人衆の仲間達でワイワイ言いながら、船を降りると。
「ここは……」
その港町では、乾燥した空気に、沢山の諸侯の旗がなびいていた。
「まさか!?」
ジェノヴァ商人は言う。
「お前らはハンガリー王が買ったんだ! 一人でも多く異教徒共を殺せよ!」
「おお……、おお……!」
老人衆は嬉しさから泣く。
「まさか! 最後に十字軍として戦えるとは!」
彼らが運ばれて来たのは、ダミエッタの港、エジプトの第五回十字軍最前線の街だったのだ。
「これは良いところを見せんとのう」
「仲間の血肉を啜ってでも、戦わんとのう」
「しかりしかり」
老人衆は、明るい表情で泣く。
十字軍は老人衆に粗末な槍だけ持たせて激戦区に送り。二万の老人衆は、使い潰されて、それでも最後の一兵まで戦って、全滅した。
***
騎士マルティナ
三代目マリア騎士団団長。『キプロス奪還戦争』や第三回十字軍の『アッコンの屈辱』、第四回十字軍の『エーゲ海の戦い』など、武名の名高い騎士である。
幼少期をアッコンのスラムで育つ。一一七〇年、スリをしようとしたところをマリア騎士団の騎士ドラコに捕まり、説法を受けて改心。マリア騎士団に入団する。
スラムでは子供達の取り纏め役のひとりだったらしく。彼女を慕っていたスラムの子供達と共にマリア騎士団に入団している。
入団したマリア騎士団で、五代目『黒ひげ』ヨハンにその戦闘能力を見出だされ。訓練を受ける。
一一八五年九月、東ローマ帝国の皇族イサキオス・コムネノスが反乱を起こし、マリア騎士団の主要拠点の港のあるキプロス島を占領する。
彼女は、横暴に振る舞うイサキオスに耐えられなくなったキプロス島の住人とマリア騎士団の騎士達を扇動して反乱を決行。一日でイサキオス陣営の主要メンバーを捕縛する。これが『キプロス奪還戦争』である。
この戦争後、混乱する東ローマ帝国に代わり、マリア騎士団はキプロス島を実効支配するようになるも、島を経営するのに必要な人員は当時のマリア騎士団だけでは足りなかった。
なんとかキプロス島を維持していたところに、第三回十字軍が始まり。その兵站を担うことになったマリア騎士団は過重労働状態に陥る。
そんな中、イングランド王リチャード一世の軍団が、何故かキプロス島に漂流してくる。そこでイングランド軍は横暴に振る舞い、過重労働で判断力の鈍っていたマリア騎士団は激昂。イングランド軍を一方的に叩きのめす。
捕縛したイングランド軍の武装を剥いで縄で縛り、マリア騎士団は第三回十字軍の激戦地アッコンに上陸。対峙する十字軍とアイユーブ朝の軍の陣地の真ん中で、イングランド軍を蹴飛ばして双方を挑発する。
この時、騎士マルティナに蹴られたリチャード一世は『城壁よりも高く跳ね上がり』、そのあり得なさとマリア騎士団の雰囲気に呑まれたアイユーブ朝の軍と十字軍の士気は崩壊。双方潰走する。これが、カトリック・イスラム双方で言われる『アッコンの屈辱』である。
その後マリア騎士団は『まだ歩ける』十字軍を率いて港町ヤッファを奪還。アイユーブ朝側と交渉に入り、非武装のキリスト教徒のエルサレム巡礼の認可と、休戦時の勢力圏でのエルサレム王国の復活、テンプル騎士団とホスピタル騎士団による巡礼者の護衛を認めさせる。
アッコンの戦いは激戦であり、また双方とも兵站がまともに機能していなかったことから、両陣営とも倒れた仲間の血肉を食べる有り様であり。元から士気が低かった、という指摘もある。
第四回十字軍では、十字軍の目標がコンスタンティノープルであるといち早く見抜き、コンスタンティノープルの人々を脱出させる。
その脱出の、ローマへの最後の便がヴェネツィア船団と交戦したのが『エーゲ海の戦い』である。
マリア騎士団の大弓による一方的な射撃により、ヴェネツィア船団は混乱。鎧を着たまま船から飛び降りた騎士も多く。ヴェネツィア船団は二十隻のガレーと一〇〇〇人の騎士を喪失する(諸説あり)。
この『カトリックの子女を狙った卑劣な』戦いにより、第四回十字軍の名声は地に落ち、その後成立するロマニア帝国の弱体化に繋がる。
このように武名の名高い彼女であるが、ローマ教会に『マリア銅貨』の発行を認めさせたり、キプロス島に当時最新の農法を持ち込んだり、少年十字軍を解散させたり、と内政・外交面でも手腕を発揮していることは注目に値する。
また彼女の時代に、マリア騎士団はイスラム教の聖地メッカにある『カアバ神殿』で説法を成功させていることも注目に値する。
現代ではどの宗教・派閥でも行われる『説法』だが、当時のカトリック教会では異端であった。それを第四ラテラン公会議にて、『マリア騎士団の秘技』としてローマ教会に認めさせたことは、歴史的に見れば、約三〇〇年後の『宗教改革』に深い影響を与えたことは間違いない。
一二二六年、彼女は『体調の悪化』を理由にマリア騎士団団長を引退。
後任の騎士団団長エマの相談役を行いながら、第六回十字軍を見届けた一二三〇年、眠るように永眠。
宗教改革真っ最中の一五二〇年、彼女は『全ての信仰の守護聖人』として列聖される。
これはコンスタンティノープルからの脱出の際、受け入れ先の宗教毎に、カトリック・正教会・イスラム・ユダヤと脱出させた功績を認められたためである。