マルティナ5
一二一七年四月、ハンガリー王アンドラーシュ二世やオーストリア公レオポルド六世といった、第五回十字軍の主力がエジプトに向けて移動する中、私達マリア騎士団は、ローマで面倒臭い『お客様』の相手をしていた。
「よろしくお願いします!」
私達を見て、希望に目を輝かせる少年エティエンヌ。
「やった!」
「これで十字軍に参加出来る!」
「神よ感謝します!」
彼の後ろでは、四万もの少年少女に老人達が喜びに顔を輝かせていた。
私は木箱で作った即席の台に立ち、彼らに言う。
「今回は!『エルサレム巡礼の旅』に参加いただき、ありがとうございます!」
すると彼らは、顔を見合わせて困惑した。
「つきましては、まず現地の一般常識か……」
「ちょっと待って!」
私の挨拶を、エティエンヌは遮る。
「ん? どうしたの?」
「僕達はエルサレム巡礼に行くんじゃない! 十字軍に行くんだ!」
「そうだそうだ!」
「馬鹿にするな!」
「ふーん」
私は、目を細めて彼らを見る。
「あなた達、全員十字軍に行くつもりなのね?」
「そうだ!」
「信仰のために!」
「いざ神の地へ!」
そう騒ぐ彼らに、その代表格のエティエンヌに尋ねる。
「エティエンヌ君。君の右手の女の子は、妹かな?」
「な、なんだよ。そうだぞ!」
「そっか」
甘ちゃんだな。虫酸が走る。
「じゃあ、今ここで妹を殺して食え」
「……は?」
「そしたら、十字軍に連れて行ってあげる」
私の言葉は、静かに群衆に響く。言われたことが理解出来ない、といった様子で彼らは黙った。
「もしかして、道具がないと出来ない? なら貸してあげるよ」
私は、腰の短剣を抜いて、エティエンヌの足元に放り投げる。
エティエンヌはプルプルと震えて、怒鳴った。
「ふざけるな! そんなこと出来る訳ないだろ!」
「十字軍ではやるよ?」
激昂するエティエンヌに事実を伝えると、彼は呆けた。彼の後ろの群衆も、困惑を深めていた。
「民衆十字軍も。一回目の十字軍も。臆病者の十字軍も。ノルウェー十字軍も。二回目と三回目の十字軍も。みーんな! 仲間を食べてきた! 前回の十字軍だって、敵の肉は食べた。
君はそれが出来ないのかい?」
間を置いてあげると、彼らは恐怖の表情を浮かべた。エティエンヌは、妹を抱き締めて震えていた。
「いいかい? 十字軍っていうのはね、信仰に殉じる戦争っていうのはね、そういうものなんだよ。仲間の血肉を啜り、自分が倒れれば食べられて。それでもなお、死ぬまで戦い続ける。それが十字軍戦士なの」
マリア騎士団は、第四回のもの以外、ずっと十字軍に食料を売ってきた。だから、その現場の記録はよく残っている。私も、破壊されたコンスタンティノープルにお忍びで入ったから、その現場は目にしている。
「知っていると思うけれど、私は前回の十字軍と戦っているの。そんな私から見て、あなた達はただの『観光客』だ」
断言する。
「あなた達が戦場に来ても、邪魔なだけ。でも、ここまで来た行動力だけは認めてあげるから、エルサレム観光で我慢しなさい」
群衆は黙る。当然だ。彼らには覚悟も何もないのだから。
でも、エティエンヌは違った。
「そんなこと言われても! 僕達には!」
ぎゅっと妹を抱いて、エティエンヌは叫んだ。
「僕達には! 帰る場所がないんだよ!」
それは、今代のローマ教皇ホノリウス三世から聞いていた話だ。
彼ら『少年十字軍』は、フランス北部やドイツの田舎の三男三女以下と老人ばかりの、『口減らし十字軍』だ。村や町にいても、食うや食わずやの人々が集まったのが、この少年十字軍だ。
十字軍をダシに、村や町は口減らしをして。少年少女に老人は十字軍で『成功』することを夢見て、ここまでやって来たのだ。
そんな貧乏人集団だ。ローマに集まるまでに、大勢が死んだと聞く。
仲間達がバタバタと死ぬ中で、そんな仲間を励ましてここまで集めたエティエンヌの手腕は凄い。だけれどそれだけだ。
彼には、彼ら彼女らには、計画の終着点がない。
「じゃあどうする?」
叫ぶエティエンヌに、現実的な選択肢を突き付ける。
「十字軍として、仲間に食われて死ぬ? エルサレムに巡礼して、居づらい故郷に帰る? ああ、今ならジェノヴァの商人が、君達を使い捨ての奴隷として買ってくれるから、その選択肢もあるね」
「そんなの、選べる訳ないだろ!」
「ならどうしてここまで来た!」
私は大声で言う。
「夢だけ見て、現実を見なかった結果が『今』だ! 努力して這い上がろうとせず! 逃げた結果がこれだ! 神は努力しないものを救わない! 甘ったれるな!」
群衆達の多く、少年少女達は膝をついて泣き始める。
「でも!」
それでも、エティエンヌはごねる。
「もう良い!」
そんなエティエンヌを、杖をついた老爺が一喝した。
「爺さん!」
「もう良いんじゃ! エティエンヌよ」
泣きそうな表情のエティエンヌに、老爺は穏やかな表情で言う。
「確かに、ワシらは逃げてきた。その事実から目をそらして、の。マリア騎士団の団長様、それを自覚させてくれてありがとう」
曲がった腰を更に曲げて、老爺は言う。
「そしてどうか、ワシらを奴隷として売ってくれ」
「爺さん!?」
呆然とするエティエンヌを無視して、老爺は言う。
「この集団の半分、二万人は老人じゃ。ワシら老人を売れば、子供達の当座の生活費ぐらいにはなるじゃろう」
「爺さん!」
「その、ワシらを売った金で、どうかこの子達が生活出来るよう、手配してくれ」
「そんな! そんなのないよ爺さん!」
「黙らっしゃい!」
老爺は、エティエンヌに怒る。
「これは、ワシら老人衆の総意じゃ! 毛も生えとらんガキが口出しするな!」
エティエンヌは、耐えきれずに泣き崩れた。
「……いいんだね?」
私は、老爺に尋ねる。
「おう」
「老爺の奴隷なんて、マトモに取り扱われないよ?」
「それでもじゃ」
「死んだ方がマシな目にあうよ?」
「それでもじゃ」
「それでも、奴隷になるんだね?」
「それでも、ワシらを奴隷にしてくれ」
もはや、何も言うまい。
「分かった。君達老人をジェノヴァに奴隷として売る。明日の早朝、ここに集まるように」
私は、木箱の台から降りた。
老人達に、少年少女が泣きながら群がる。
彼らの間に、どんな物語があったのかは、分からない。きっと、老人達の決断は、この少年少女達を成長させるだろう。